穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

133:呼び込みに引っかかっちゃたのよ

2020-09-05 08:52:42 | 破片

 立花は美しく均衡を保った美女のうりざね型の顔を嘆賞しながら聞いた。

「どうしてこんな本を買ったんだい」

「呼び込みに連れ込まれたのよ」

「えっ何だい。ホストクラブに行ったのかい」

「そりゃあ無いでしょう。脂ぎったおばさんでもなのに。それに男性の相手ならいくらでもありそうな美人にそんなことを聞いちゃいけませんよ」と第九はあきれてたしなめた。

「そうでもないぜ。最近では未成年の女子大生でも一人でホストクラブに行きますよ」と風俗通のCCが口をはさんだ。

彼女は苦笑して「ホストクラブにはいかないけどさ」と言いながらテーブルの上にある本を手に取ったが、「あら無い」と声を荒げた。「どうしたのサ、帯があったでしょう」と立花を睨みつけて詰問した。

「えっオビ? そうだシオリの代わりに使ったから本に挟んでないかな」

彼女はパラパラとめくっていたが、帯を見つけて「これこれ、ちょっと聞いてよ」とその上にある惹句を読み上げた。

* 2007年4月27日、ロンドンで「思弁的実在論」は誕生した。最初のメンバーは四人。ブラシエ、グラント、ハーマン、メイヤスー。思考と存在の相関を超えた実在への志向を共有した彼らの哲学は、瞬く間に世界を席巻し思想界の一大潮流となる、云々 *」

「それに引っかかったのか」と下駄顔が笑った。

「そうなのよ、我ながらたわいがないわね」

「その、思考と存在の相関というのはなんのことですか」

「カントの哲学で:人間は感覚を通して入ってくるものを人間に備わった処理装置、超越論的認識論というんだがね、でまとめたものしか認識できない:という思想だね」

「しごくまっとうな考えに思えるがそれに四人組は反対しているんですか」とエッグヘッドは質問した。 

「カントが余計な一言を付け加えたんですな。 :感覚の向こうにある『物自体』は人間には認識できない :と余計なことをいった」

「言わずもがなのことだな」

「物自体という立言も間違いというか無意味でしょうな」と下駄顔が決めつけた。

「それが常識ですが、なかなか常識が通用しない世界がある」

「ふむ」

「それでよくわからんのだが、物自体というのが絶対なんですか」

「なにか彼岸のような天国のような、世界の内奥にある真理というか神秘と思いなすんでしょうな」

「そうすると実在論者は彼岸はこういうものだ、と自分は解明できるというわけですな。しかし、理論物理学でも実験物理学でもそんなことは証明というか実証できないから思弁を駆使して暴こうというわけだ」

「ま、そんなところでしょう」