はじめに:前に「読みながら、読む前書評」というのをいくつかやったが、主として小説の類であった。今度は哲学についても「読みながら」書評を試みる。
さて、二十世紀後半のポスト・モダンの流行蔓延に対する批判として「思弁的実在論」とか「新しい実在論」とか「実在論を立て直す」だとかが二十一世紀の流行らしい。ポストモダンがインフルエンザとすると、どうやらそれに対する集団免疫ができたと思ったらコロナ的な実在論ウイールスが哲学業界を席巻しだしたらしい。これにはまだ免疫がない。しばらくは流行が収束しそうもない。
それで流行には敏感な小筆は何冊か翻訳本を買い込んだ次第であった。これが存外厄介なしろもので、見てくれのいい言葉すなわち「読みくれのいい言葉」でいえば難解、別の言い方をすれば納豆みたいに歯ごたえがない。どうして素直に読めるものではない。そこでとりあえず、読みながら書評をすることにした。「その都度」(これも二十世紀の哲学書でよく出くわす言葉であるが)、メモのつもりで感じたことを書く。メモにしておけば後で見て、ははあ、と役に立つこともあるだろう。
メモでインターネットに上げておけば、メモ帳を持ち歩かなくても外出先、旅行先でスマホでチェックできる。当然こういう反論があるであろう。そういう無責任な私的なメモを公共的空間であるインターネットにあげるというのはどういうことだ、と。お叱りごもっともなれど、このブログはアクセスも少なく、ほとんど私的空間といえるからお許しいただけけるかと愚考いたした次第である。
いや、前置きが長くなった。次回からメモを上げさしていただく。