精神がアイドリング状態のときに、精神の真空状態を埋める作業を消暇作業と言うが、そういう時にチャンドラーをちょこっと読み返すことがある。ソフィスティケイドなモダンジャズを聞く時もある。ドニゼッテイのルチアを聞くときもある。デキシーランドジャズを聴くときもある。プレスリーの性的絶叫を聞くときもある。どうもそれらはその時の精神状態を反映しているらしい。だからプレスリーを聞くときにはドニゼッテイは受け付けない。
てな具合でチャンドラーも抵抗なく読めるときとそうでも無い時がある。最近珍しくチャンドラーモードになって「ロンググッドバイ」(LGB)をちびちびやっている。十日ほどかかり、ようやく残り100ページあまりとなった。村上訳である。
LGBについてはこのブログでも何回か書いて、ラストの謎解きがチャンドラーにしては良いと書いてきたが、今回読み返してみると繋がらないところが多すぎる。全体としては上手くできたラストなんだが、細部にこだわると、分からないこと、つまり説得力がないことが、多すぎるのである。
これで思い出したが、清水俊二訳には省略が多いというが、そういう所もあるのだろうが、もともとの版が違うこともあるのではないか。あるいは清水訳では繋がらないところは訳していないのではないか。清水訳は現在でも売っているようだから買って比較したいと思っている。