穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アップデート要求53:人口調節庁の創設

2021-04-23 07:11:35 | 小説みたいなもの

 モーニングサービスで運ばせた朝食を平らげコーヒーをポットが空になるまで飲み干すと殿下の気分はすこし落ち着いてきた。資料の咀嚼検討から解放されて気持ちにゆとりが出来ると昨夜から気になっていた客室に備え付けてある大型デスプレイを検分した。23世紀風に言うと50インチの液晶テレビなのだが、30世紀になってもテレビなどと言うものが生き残っているものだろうか。マーケティングの専門家である彼は興味を持って正体不明の機器をながめた。 

 これはなんだ? 監視用のモニターかもしれないと思ったものだから昨夜調べ物をした時にはスクリーンの上にジャケットをかけておいたのだ。ジャケットを取り除けるとスクリーンの前に在る操作盤のようなキーボードを検討した。やはり何らかの受像機らしい。彼は電源ボタンと思われるものを押してみた。いきなり画面に流れるように文章があふれ出して画面一杯になると流れが停止した。読んでみるとどうもニュースサービスらしい。昨日の国会中継がどうのこうのとある。画面の下にダウンロードボタンというのがある。そのメニュの一つに携帯端末とある。そうかスマホなんかに落としてゆっくり読めるということか。彼は自分のスマホを取り出したが、気が付いて苦笑した。23世紀のスマホでダウンロードできるはずがないだろう。第一コネクターが合わない。無線ではつながるのかもしれないが、当然通信規格も100Gくらいになっているだろうから機能するはずもないだろう。

 どうしたもんだべか、と思案していると、操作盤にプリントというボタンがある。物は試しだ、とそのボタンを押してみた。するとカタカタ音がしたかと思うとデスプレイの下からプリントアウトが出てきた。それを引きちぎってソファに戻ると読んでみた。昨日の国会中継の議事録である。まだ国会と言うものがあるらしい。世の中と言うものはナカナカ進歩しないものだ。もっとも日本語の文章もあまり変わっていない。ただ内容は相当に23世紀離れしているので、誤読しないように彼はゆっくりと二回読み返した。

 昨日の議題は人口調節庁の新設の是非であった。過ぐる(スグル)核大戦によって、日本民族も種無しスイカになる危険性があるのだが、どうすべきかと言うのである。基本的には星人の勧告するように、まだ汚染されていない精子と卵子のプールをつくり、人為的に健康な一卵性多胎児を増産することだ。

 その場合、多くの問題が発生する。家族制度をどうするか、多胎児の出産までの措置をどうするか、出産後の保育、教育をどうするか、など画期的(破壊的)な社会制度の変更が必要となる。

 星人の勧告は家族制度の廃止である。また、野合や結婚による従来型の出産を禁止しなければならないが、違反者にどのような罰を科すべきか、という問題も厄介で大きな問題である。検討すべき範囲は膨大である。国会は昨年からこの問題の議論で空転しているのそうである。プリントアウトはそう告げていた。