200ページまで読んで通読を放棄しました。記述が退屈で切れがなく、引き込まれることもないし、内容がthought-provokingでもなく、読むのが苦痛になったので。
しかし200ページの投資を無駄にしないために、ウィキペディアの「万延元年のフットボール」の「あらすじ」をチェックしておきました。記述がdullでもどういう展開になっていくのか、工夫があるのか。それによっては我慢して読もうかな、というわけでした。
なんかあっけないですね、それで通読放棄を決定しました。ウィキペディアには「評価」という項目があって、いろいろな評論家の意見やら、江藤淳氏の大江との対談も要約が載っています。江藤は登場人物の名前が妙なのばかりだと非難しています。この非難に大江がどう反論したかは出ていないので、大江の考え方も不明ですが、これは明らかに大江が私淑したというラブレー先生こと仏文学者の渡辺一夫氏のガルガンチュア物語の影響ですね。
体重130キロの大食女などラブレーの登場人物的です。蜜何とかいうのもそうだし、鷹四と言う名前、彼の親衛隊の星男とか桃と言うのもガルガンチュア的です。「スーパーマーケットの天皇」なんてのもそう。
ところで「芽むしり」には、ふと気が付いたのですが、逆にほとんど名前が出てこなかった記憶があります。僕、弟、村長、鍛冶屋、脱走兵など。唯一名前が出てくるのは「朝鮮部落の李」でしたかね。そういえば、少年院の南というのもあったかな、いずれにしても少数派だ。
評論家は根所たちの曽祖父たちが関係したという万延元年の農民一揆と現代(終戦後10年くらい?)の対比、意味的合致をうまく料理したというのが、海外の意見も含めて一致しているようですが、???です。すくなくとインパクトのある対比にはなっていないし、そこから何らかの寓意も引き出せていません。