穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

東野圭吾(白夜行)を読み始めた理由

2022-02-11 21:31:39 | 書評

 大分むかし、同じ作者の「容疑者Xの献身」と言うのを読んで水準だなと思った記憶がある。最も筋とか内容はまったく記憶していないが、読後感が悪くなかったという印象だけが残っていた。それで小川榮太郎氏が同じくらいの点数をつけている白夜行を求めたわけです。
 これは集英社文庫で、わたしは集英社文庫を買うのは初めてだが、小川氏の推奨する小説には結構集英社文庫収録のものが多い。もっとも買うときにちょっと迷った。何しろ新潮文庫よりも活字が小さくて、それでもって850ページもある。普通なら上下二巻になる分量だ。一作上限400ページ未満というのが私の不文律なので、規格外なのだが。
 その時に変なことを思い出した。時々大きな声で話しながら書棚を数人で回り本を選ぶ人がいるでしょう。あるときに体躯魁偉な女性がおつきのような女性を連れて本屋の書棚を回っていた。見ると手にはすでに数冊の文庫本。そのひとが白夜はすごいよ、なんて話している。その時は白夜なんて何だろうてなくらいだったが、ふとその時の光景を思い出した。変な話で理屈は付かないが、それを思い出して急に買うことにした。他愛のない話で申し訳ない。
 家に帰って馳星周の「解説」を読んでしまったと思った。まるで小学生の文章で的外れでチンプンカンプン(珍文漢文)。的外れもいいところだ。しかし大枚千三百円をどぶに捨てるのはおしい。といま300ページまで読んだところ。
しかし読んでみると馳星周の解説の印象とは違い、文章のすべりはいい。