穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

モンスターにはモノローグは似合わない

2022-02-13 14:04:59 | 書評

 東野「白夜行」評の二回目です。これは最初短編シリーズとして書いたものを長編に纏めたと、どこかに書いてあったようだが、確かに登場人物は入れ替わり立ち代わり目まぐるしく出てくる。しかし主役は、あるいは中心人物は二人のモンスターであると言ってもよかろう。この小説は二十年弱の期間にわたる物語で、二人の主役は勿論最初から出ている。当初女性のモンスターは小学校五年生くらい、男は高校二年だったと思う。なお、モンスターと言うのは私が彼らに張り付けた言葉で、本文中にも書店の宣伝文句にも、馳星周の解説にもそんな言葉は出てこない。
 ここで馳星周の巻末解説の珍説に触れる。彼は二人をモンスターとは言っていないが、こんなことを言っている。ただし主語が彼の文章でははっきりしない。ただ彼は「モノローグなしで通すのはチャンドラーでもできなかった」とおかしなことを言っているが、途中まで読んだところでは冒頭に私が白夜の主役と指摘した二人の内面描写はたしかにない。そんなことを馳星周のように「私には到底できない」と嘆賞する意味がない。卑下しなくてもいい。
 馳星周はチャンドラーの作品のなかのPIマーロウのことを言っているように受け取れる(馳星周の文章が不明確なのでそうかどうかは分からないが)。マーロウでも時には抒情的なモノローグを「使った」と言うのだ。それをチャンドラーの欠点のように書いている。当たり前だろう。かれは探偵で犯人を推理する。推理されるほうにはモノローグはありえない。マーロウ記述者からみれば外面的な表情、しぐさ、セリフしか書けない。犯人候補者のモノローグが出てきたらおかしなことになるのは当たり前だ。同時にマーロウのモノローグ挿入は全く自然である。もっともなるだけ抑えているがね。ハードボイルド文体がどうのこうのと言う問題とは関係ない。
 ドラキュラが「あの女の血は極上の葡萄酒の味がするかもしれない。今夜飲んでみるか」なんてセリフを吐きますか。作者はいきなりその場面を描写します。
 さてPOSITION REPORTをしておこう。白夜行5ページから356ページ、および840ページから854ページを読んだ。最後はパシャンと唐突にシャッターが下りた感じだね。
 補足;ハードボイルド(私が言うのは一時期を限ってアメリカで咲いたローカルなジャンルである。具体的にはハメットとチャンドラーに限る)。ハメットの「マルタの鷹」は確かに探偵サム・スペードの内面描写はない(ほとんどないか)。しかしハメットほど文体の変遷が顕著な作家もいない。すべての作品で探偵の内面描写、モノローグが無かったかどうかは保証できない。