穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

読者は役者のように何回も下稽古を求められる

2022-10-15 08:34:36 | 書評

 該書(燃え尽きた地図)は読後何となくわかったような気がする。しかし本当に理解するためには、大江の健ちゃんが言うように、安部の作品は論理的(論理構造がしっかりしているという意味か)なので、理解するためには再読が必要だという。とすると、該書も読み直すと、くっきりとした論理構造が味読出来るのかもしれない。
 これって、俳優が長期間下稽古をして作品、演出者の意図を理解していく過程と似ているね。芝居、映画でもそうらしいが、長期間、半年とか、何回も稽古をするらしい。そうして演出者が納得するような舞台に仕上げていく。芝居の意図が観客に伝わるように仕上げていく。
するってえとだ、安部が小説の読者に再読を要求するのは、芝居の下稽古で役者に作品の意図を出演者に沁み込ませて理解させるようなものだね。われわれ読者は役者にならなければいけないのかな。いや役者兼読者か。
これも演劇作者としての安部公房のドラマツルギーから来ているのかもね。



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