今月の月刊誌WILLに作家深田佑介氏の表題の文章がある。私もこのブログで今年の芥川賞の二人の書評を昨年に続いて書いた。
別に深田氏のようにその退廃を悲憤慷慨するほどの気力はないが、今年の芥川賞二人については書いたとおり、書評を身を入れて書く食指が動くような代物ではなかったな。
退廃と言うから昔はすこしはましだったのだろうか。あまり読んだことがないのだが、大昔のことはいざ知らず大体似たようなものではないかな、とも想像するのだ。
とにかく、最近読んだものの大部分はたしかに深田氏のいうようにひどい。しかし、まめに昔から多数の候補作を読んできたわけではないから絶対的な評価と言うか、時系列的な比較はできない。
その原因というか責任はどこにあるか、と問うわけだ。深田氏はこんな現状では審査員なんかやっているほうがおかしいと言う。石原慎太郎氏の辞任は当然、だという。
作品が悪いのか、選考委員がわるいのか、はたまた選考過程が悪いのか、それには彼は触れていない。
小沢一郎裁判と同じでオイラは(私から急にいい慣れたオイラになる。以下おなじ)、証拠を持っているわけではない。
いろんなケースが考えられる。可能性だよ。断定しているわけではない。
選考委員が悪いと言うことも考えてみる必要があろう。しかし、選考委員が読むのはせいぜい編集者や下読みが読んで推薦した4,5編を眺めるだけだと言う。そうすると、第一次か二次かしらないが、石原慎太郎クラスの選考委員まで行く前に、彼らがいいものがあっても拾い上げなかったら屑ばかり、選考委員はあてがわれるわけだ。
選考委員はこの業界で生きていくしがらみもある。義理もある。人情もある。利害にからむ思惑もあろう。適当にカンカンガクガク(ワード変換不能) して入れ札をすることになるのであろうよ。
聞くところによると、下読み連中の場合はもっとひどいようだ。ブローカーかフィクサーみたいな古だぬきがにらみを利かしていて、徒党を組んで八百長をするらしい。芥川賞や直木賞のように一応活字になったものを選考対象とする場合はそれでもある程度歯止めがかかるが、エンタメ系の新人賞などひどいものらしい。