まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

乗り越えられるか

2014-04-11 | 暮らし

夕方病院から呼ばれた。状態が悪いので福井の循環器病院へ転院することになった。夜7時30分に救急車で福井へ。今週2度目の救急車同乗。

説明が聞けたのは11時だった。血が止まったら今度は血栓ができて手術も、フィルターもできない状態だった。娘たちと一緒に聞いて冷静にしていたが、帰って風呂に入ったら、涙が止まらなかった。もうすべての時間を一緒に過ごしたい。この時をどうやって乗り越えればいいのか分からない。

いろいろなことは、平然と乗り越える自信はあったが、これだけはダメだ。大切な人との別れだけは耐えられない。娘たちは、希望を捨てないでと慰めてくれるが、いまここにいないことがすでに寂しい。

残る奇跡を信じるというのもつらい。もう5年目になる癌は自然と体に悪さをしているのだ。この状況を乗り越える力が出るだろうか。血液をじわじわ溶かす間に、血栓が心臓に入ったら突然死です。と、何回も突然死という言葉を繰り返された。言葉は心をそこへ持っていく。

どんなことがあっても越える。しかし、今まで旦那に何でも話していたので、家に帰って話し相手がいなくて寂しい。ブログでしゃべるしかない。夜中に黒ちゃんに8月の大会の出席を取り消してもらうことを連絡した。夕方に急変した旦那の状況も話した。黒ちゃんは奥さんを癌で亡くしているので、気持ちを汲んでくれる。一言一言に優しさがある。意外としぶといもんだよとも言ってくれた。

夜、持ち帰った旦那の携帯と腕時計を眺めても泣けてくる。余命宣告にも泣けてきた。いざとなると弱いのである。腕時計をはめて、お気に入りの呉服屋で買った作務衣っぽい服を抱いて寝た。しっかり朝まで寝ていた。疲れていたのかもしれない。

気持ちは八方塞の状況に絶望的な気分になる。この山は越えられるのか。


予定 その3 不確定

2014-04-11 | 暮らし

8月の大会の係員の予定表がでた。出欠を聞かれたので、今の状況が良くなっていくとみて、なるべく出席したく、「出席」と意思表示をした。選択肢の中に「不確定」という項目があり、今の状況をかんがみ「不確定」と言ったほうが良いのか迷ったが、予定には出るという意思表示をしなくては話は進まないのではと思った。また、状況は好転する希望のうえからも。

さて、不確定という予定には、何が入るのだろう。例えば、我が家のように年寄りをあっちにも、こっちにも抱えていると、いつ何が起きるか分からない場合「不確定」と、いうのか。それは本人の意思を聞くので、起きもしない事柄を聞くのではないが、確率が高いと言えば、今日この頃の変化にとんだ毎日からは「不確定」と、答えるのか。それなら、欠席か・・いや、出るつもりだが何かあったら出られないという意味。となると、すべての人に何かあったら・・は、あてはまるが。逆に、出ますと言って、穴を開けるようなことは返ってまずいか。とか、考えだしたら気持ちが揺れた。こうゆう状態を、うじうじ考えるという。

ところで、病気を抱えていても、会社でも弓道協会でも「会長職」を、引き受けている旦那は偉いと思う。ある意味「不確定」な体なのだ。それでも、本人の意思はそこへ行こうとすることによって気力が出ると思える。

今日大部屋へ移るという旦那を見舞いに行くと、相変わらずICUにいて、血圧が低く脈拍も早いので様子を見るため延期。この状態は「不安定」という。