まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

初体験

2015-04-07 | 暮らし

病院で殿を笑わせようと、意識が回復した時に言った。「強烈な初体験やね。」殿は笑った。わたしの頭もどうかなっていた。このままでは動けなくなると思い、掌を握ったり、足首を曲げたり出来るか尋ねてしまった。殿は、手足を動かすと、「よかったよかった、動けなくなったら大変やもんね。」と、笑って泣いて。

「あのぉ・・」と、話しかけようとする殿。次の言葉が出てこない。「辛いのに無理せんでいいよ。大好きやってことは、何回も聞いたし、ありがとうも何回も言ってくれたし・・。」「あのぉ・・・」

何だろう。しばらく黙っていた。そして「あのぉ・・の次は、隠し財産があるって?」というと、にっこり笑う。「もしかして、隠し子がおったとか」また、にっこり笑う。その後、とうとう「あのぉ・・」の、次の言葉が分からずじまいだった。

香典返しが足らなくなるほど大きな葬儀と、爺さんの家族葬として新聞に「終了」で出した葬儀を、別々の葬儀屋でした。段取りが分かるので微妙なところの違いを知ることになる。

質素にした爺さんの葬儀でも、お布施は同じで、爺さんが自分で「院号」の入った法名を持っていたため「永代経」を、殿の倍支払わなくてはならないということを知った。

終了したばっかりに、葬儀の後は家を空けられない状態になった。会葬の人が毎日訪れるので、ファミリーの会館でも先に新聞に載せるべきだったかと少し考えたが、親戚や知人の手前この形にみんなで決めたので仕方がない。

本当に、初体験やわ。と、遺影に語りかける。


相続手続き

2015-04-07 | 暮らし

H銀行の殿の相続手続きを終えたが、今度は爺さんのを引き続きすることになり、その手続きがもうひとつ厄介なことに気付いた。

相続人が死亡しているという証明をまた取らなくてはならない。そして、妻である婆さんはすべてをわたしに任せて安心しているが、嫁の立場では関係ない手続きで、本家へ養女として出た妹にも証明をもらわなくてはならない。本家から嫁に出たので、爺さんに関しては謄本は膨大な枚数になった。これが、93年生きてきて、殿に勝る歴史を物語る。

印鑑証明を追加でもらいに行って、ついでに税務課へ寄って土地・家屋の所有の台帳をもらいに行く。その時、どこかのじいさんが、窓口の人に食って掛かっていた。「わしの土地やったのに、・・・!!!」大声で難癖をつけ、ついには、大切な書類が盗まれたので証明できん!!と、暴れていた。税務課は大変だろうな。役所の人のせいではないのに、市民の怒りはここにぶつけられるのだろう。

年金の手続きで、わたしもムンクの「叫び」みたいな心境になった。一体長い間勤めてかけてきた年金はどうなったのだろうと。頭の中に、厚生年金会館とかの建物が浮かんで消えた。

殿の手続きも遅々として進まないのに、振り出しに戻る状態。殿は誕生日目前に逝った。皮肉にも、がん保険は65歳にならないで亡くなった場合、死亡保険は65歳になったときの倍なのである。若いということか。