今日の朝刊にも紹介された、江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」が世界記録遺産に登録されました。
静岡県にも深く関係する朝鮮通信使。文禄・慶長の役で朝鮮にとっては許すことのできない日本であったが、江戸時代、朝鮮通信使の訪日は国交を回復する一手段であったようです。特に静岡市清水区の清見寺とはかかわりが深く、この寺には同通信使の一行が少なくとも4回立ち寄り、そのうち2回は一行が宿泊したと言われ、静岡市では一行の行列を再現した祭りも開かれたと言う。
今回の世界遺産登録で再び脚光を浴びることでしょう。清見寺訪問時の画像でご紹介します。
(清見寺は静岡市清水区興津にあります。右画像の門の文字も通信使の書と言われています。)
(山門と境内の間を東海道本線が走ります。 右は大方丈(本堂)です。)
一行は朝鮮から対馬にわたり、日本側の案内をつけ瀬戸内海を経由してから大阪まで船で。さらに淀川を別の船で登り、淀(宇治の方面?)まで行き後は陸路江戸(幕府)までの行程という。一行は470~500人規模の大集団。日本側の警護は1500人に上ったとの情報も。清見寺はその途中での宿泊地でもありました。
(本堂内部に掲げられた通信使の書など。)
清見寺内には、朝鮮通信使に関する書などがたくさんありました。特別資料館にはもっと詳しい資料があるようですが、非公開とのことで見られず。
このほか寺内には明治天皇が宿泊された玉座の間や徳川家康が幼いころ学ばれたとする部屋などとともに、北側の庭園、五百羅漢や臥龍梅なども見られます。
(玉座の間や壁の掲示物。)
(五百羅漢と清見寺庭園。)
(境内の臥龍梅と清見寺から眺める清水港)
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