『鳥取県大山町のJR山陰線下市-御来屋間では12月31日午後4時15分ごろ、鳥取発新山口行きの特急「スーパーおき5号」(3両編成)が大雪のため動けなくなった。乗客約130人が列車内で一夜を明かし、1日午前11時現在も立ち往生している。
同県によると、約130人中11人が体調不良を訴え、このうち3人が病院に搬送された。除雪車が米子駅から現場に向かったが、午前4時ごろ途中で脱線。JR西日本が復旧作業を進めている。』(2011/01/01-12:32)時事通信
今年の夏は、観測史上113年に一度の猛暑で、今年の冬は寒い大雪になっているのは世界的な異常気象と言えます。地球温暖化現象だけで説明出来る問題でしょうか。山陰本線を走る特急「スーパーおき5号」は、大雪でも走行出来るような装置や除雪機能を持った機械を先頭車両に取り付けるとか大雪対策を立てられないのでしょうか。除雪車が米子駅から現場に向かったが脱線したのは本当にお粗末です。大雪や豪雪地域にはすぐに現場に早く駆けつけることの出来る古い車両を改良したような除雪車では間に合わないのでは有りませんか。最新式の性能の良い除雪車をもっと開発すべきでは有りませんか。高性能な特急車両ばかりを開発しても、、現場で仕事をする人達の立場を考えて働き易い高率の良い除雪作業に適した優れた性能を持つ除雪車を新しく開発し、大雪で脱線しないような除雪車を豪雪地域毎に配置すべきでは有りませんか。寒い中の除雪作業は、危険で大変な作業と思います。 人力では限りが有ります。安全に特急「スーパーおき5号」が走行出来るのも寒い中線路や信号機の点検や補修の仕事をしている現場で働く人達の大変さや苦労をJRの各支社の責任は、理解されているのでしょうか。日本の鉄道で、海外の国々に比べ事故が少ないのは、額汗して現場で働く人達、縁の下の力持ちの皆さんが頑張らおられているからだと思います。頭の賢い人ばかりでは、公共機関としての鉄道は、運行出来ません。厳しい寒い自然環境の中で日夜、線路一筋、鉄道の安全を守り働いている現場の人達のこと忘れずにJR鉄道各社の幹部の人達は、現場の目線に立って良く考えて欲しいと思います。高度な科学技術国家、産業立国の日本で、除雪車が脱線したり、大雪で特急電車が立ち往生したり、新幹線が雪の為に止まるのは本当におかしいことです。早く走ることだけが、鉄道の使命では有りません。毎年大雪で、列車が立ち往生するような特定地域には、最新の大雪対策を立て、性能の良い除雪機械や除雪装置を開発して設置し充実させるべきでは有りませんか。自然の猛威や異常気象の大雪には、科学技術が発達しても人間には敵わないのでは困ります。
スーパーおきとは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が鳥取駅・米子駅 - 新山口駅間を山陰本線・山口線経由で運行する特急列車である。1975年に特急「おき」として登場し、2001年7月から現行の列車名としている。
本項では、「スーパーおき」「おき」の沿革に関わりの深い、過去に山口線で運行された優等列車の沿革についても記述する。
概 要 1975年3月10日に山陽新幹線岡山駅 - 博多駅間が開業した際に、山陰地方西部と新たに山陽新幹線の停車駅となった小郡駅(現在の新山口駅)を結ぶ新幹線連絡列車として、鳥取駅・米子駅 - 小郡駅間を結ぶ特急「おき」として運転を開始した。それまで山口線の優等列車は、山陰地方の西部から山口線経由で九州北部を結ぶ急行列車が運行されていたが、これの系統整理により誕生した山口線初の特急列車でもある。
列車名の由来
列車名に使用されている「おき」は、島根県の隠岐島からとされている。
「おき」の列車名は、1965年10月 - 1968年10月に大阪駅 - 出雲市駅・大社駅間を福知山線・山陰本線・大社線経由で運行された夜行急行(後の「だいせん」、現在は廃止)の愛称に用いられたのが最初であり、1968年10月からは京都駅 - 出雲市駅・大社駅間を東海道本線・山陽本線・赤穂線・伯備線・山陰本線・大社線経由で運行された急行および特急(「やくも」の事実上の前身)の名称として1972年3月まで使用された。
現行の列車名である「スーパーおき」は、山陰本線の高速化事業の完成した2001年7月7日に車両を新型振り子式特急気動車である187系に置き換えた際に、従来の列車名に「スーパー」を冠したものである(この時に、米子駅 - 益田駅間で運転されていた特急「くにびき」も「スーパーくにびき」に列車名を改めている)。
運行概況
鳥取駅 - 新山口駅間(378.1km)に下り2本・上り1本(3・4・5号)、米子駅 - 新山口駅間(285.4km)に下り1本・上り2本(1・2・6号)が運転されている。上下の本数が一致しないのは、上り1本が米子駅で系統分割されているためで、運転本数は「スーパーまつかぜ」を含めて鳥取駅 - 米子駅間で下り9本・上り8本、米子駅 - 益田駅間で7往復、益田駅 - 新山口駅間で3往復となっている。
列車番号は運転線区で変更がなく、下りは号数+3000の奇数、上りは号数+3000の偶数で、1号が3001D、2号が3002Dとなっている。そのため新山口が起点となっている山口線内では、下りが偶数、上りが奇数となる。2008年3月15日から列車番号が変更となったり、それまでは1001D - 1006Dであった。
停車駅
鳥取駅 - (鳥取大学前駅) - 倉吉駅 - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - (玉造温泉駅) - (宍道駅) - 出雲市駅 - 大田市駅 - (温泉津駅) - 江津駅 - (波子駅) - 浜田駅 - (三保三隅駅) - 益田駅 - 日原駅 - 津和野駅 - 徳佐駅 - 三谷駅 - 山口駅 - 湯田温泉駅 - 新山口駅
使用車両・編成
2010年3月13日現在の編成図スーパーおき |
← 新山口
米子・鳥取 → |
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- 凡例
- 指=普通車座席指定席
- 自=普通車自由席
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後藤総合車両所に所属するキハ187系(0・10番台)2両編成が使用されている。多客期は3~4両編成で運転される場合がある。普通車のみ連結されており、グリーン車は連結されていない。
振り子装置が作動するのは、山陰本線区間のみであり、山口線では振り子装置は作動しない。
運転開始した1975年当初からキハ80系を使用していたが、翌1976年10月にはキハ181系が投入された。
最高速度
- 鳥取駅 - 出雲市駅間:120km/h
- 出雲市駅 - 益田駅間:110km/h
- 益田駅 - 新山口駅間:85km/h
山口線優等列車沿革
末期にかけてはこのようなヘッドマークも使われた(1999年頃)
キハ181系「おき」の方向幕(2002年8月17日)
臨時「おき」。結果的にリバイバル運転を除いてはキハ181系でのラストランとなった(2002年8月17日)
「おき」登場まで
「いそかぜ (列車)#山陰対九州間連絡優等列車沿革」も参照
「おき」時代
- 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線全線開業に伴うダイヤ改正実施。始発駅の小郡駅が山陽新幹線停車駅となったことから以下のように運行形態を変更する。
- 従来運行されていた急行「しんじ」「さんべ」「あきよし」を全廃。ただし、「さんべ」「あきよし」は山陰本線経由の急行として名称は残る。
- 新たに以下の特急・急行の運行を開始。
- 鳥取駅・米子駅 - 小郡駅間の特急「おき」
- 江津駅・浜田駅 - 小郡駅間の急行「つわの」
- 1976年(昭和51年)10月:特急「おき」の使用車両をキハ80系からキハ181系に変更。
- 1978年(昭和53年)10月:松江駅高架化工事に伴い、「おき」の1往復を出雲市駅発着に変更。
- 1980年(昭和55年)10月:急行「つわの」の運行を終了。これにより、山口線経由の優等列車は特急「おき」に集約される。
- 1982年(昭和57年)7月:「おき」は、多客期を除きグリーン車の連結廃止。
- 1985年(昭和60年)3月:「おき」の全列車が小郡駅 - 米子駅間運転となる。
- 1989年(平成元年)3月:「おき」の上り1本を下関発(山陽本線・山口線経由)とする。
- 1994年(平成6年)12月3日: 多客期のグリーン車連結を廃止。
- 1996年(平成8年)3月16日:「おき」の1往復を鳥取駅まで延長運転する(鳥取駅 - 小郡駅間下り1本、鳥取駅 - 下関駅間上り1本、米子駅 - 小郡駅間2往復)。
- 1997年(平成9年)3月22日:「おき」の下関駅発を廃止。全列車小郡駅発着となる(鳥取駅 - 小郡駅間1往復、米子駅 - 小郡駅間2往復)。
「スーパーおき」時代
- 2001年(平成13年)7月7日:「おき」使用車両を新型振り子式特急気動車であるキハ187系に変更、名称を「スーパーおき」に変更。全列車が米子駅 - 小郡駅間運行(3往復)となる。
- 2003年(平成15年)10月1日:小郡駅を新山口駅に改称、「スーパーおき」下り2本、上り1本を鳥取駅発着に変更(鳥取駅 - 新山口駅間下り2本・上り1本、米子駅 - 新山口駅間下り1本・上り2本)。12月6日、7日に京都駅 - 益田駅間開通80周年を記念して特急「まつかぜ」「おき」をキハ181系にてリバイバル運転。
- 2005年(平成17年):臨時によるキハ181系「おき」の運転を終了。以降は車両増結で対応することになる。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)3月13日:1往復が鳥取大学前駅に停車となる[2][3]。
脚注
URLhttp://www18.ocn.ne.jp/~abc8181