<">? 打たれ強く生きる | トップページ やっと参議院で「社会保障と税の一体改革」の議論が、
本格的にスタートしました。3党合意済みの案件なので、
よほどのことがない限り可決の見込みです。残念です。
そういえば年金制度の議論で「百年安心」ということを
かつての自公政権は言っていましたが、おかしな話です。
私も当時は自民党新人議員だったので、責任はあります。
そもそも1912年の国会議員(当時は貴族院と衆議院)や、
官僚(当時は厚生労働省がないので内務省か?)が、
100年先の国民のための福祉政策を考えたでしょうか?
まちがいなく1912年の政治家も官僚も100年後の年金なんて、
考えたこともなければ、考えてもムダだったでしょう。
経済状況や人口動態は100年先までは予測不可能です。
テクノロジーの進歩や価値観の変化も予測が難しいです。
100年先まで考えるべきは環境政策や文化財保護くらいで、
その他の政策は100年単位で考えるのは難しいでしょう。
人間の認知能力・予測能力には限界があります。
1919年の第一次大戦終了時に第二次大戦を予想できたか、
1945年の敗戦時に30年後の経済大国化を予想できたか、
1990年のバブル絶頂期にその後の長期不況を予想できたか、
おそらく答えはノーだと思います。
あんまり先のことまで予測しようとしてもムダです。
だから「百年安心プラン」なんて言っている人は、
あんまり信用しない方がよいと最近思います。
目の前の問題を着実に解決していくことが大事です。
そして政策実行の時間的フレームワークでいうならば、
10~20年後を考えておくことが必要だと思います。
例えば2050年までの財政予測なんてあやしいものです。
長く低成長を見込むような自虐的なプランでも困るし、
超楽観的な「公共事業200兆円計画」でも困ります。
原子力発電の推進計画もかなり先のことまで予測して、
多額の投資を行ってきましたが、だいぶ予測は外れており、
大きな失敗につながってしまいました。
財政も電力需給も「30年先のことなんてわかりません」と
勇気をもって、わからないことはわからないと言いましょう。
百年後に生きていないからといって無責任な発言は慎み、
「百年安心」とか口が裂けても言わないことです。
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