教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

明大馬術部、出場停止1カ月=部内で下級生に暴行、強要

2012年10月06日 17時08分34秒 | 受験・学校

時事通信 10月6日(土)11時14分配信

『 大学馬術界の強豪として知られる明治大馬術部で、上級生から下級生に度重なる暴力行為や強要があり、同大学が9月、馬術部を1カ月の公式試合出場停止処分としたことが6日、大学への取材で分かった。
 明治大によると、今年8月上旬、川崎市にある同部の厩舎(きゅうしゃ)で、1年生の男子部員が上級生の男子部員に殴られて失神し、救急車で搬送された。他の部員を通じ発覚したが、監督から大学側に報告があったのは同月末という。
 大学側の調査ではこのほか、別の上級生も同じ1年生部員に十数万円を借すよう強要。2011年1月には、当時1年生だった別の男子部員に対し、同様の強要や暴力があったという。発覚後、金はいずれも返済された。
 大学側は昨年からのトラブルを受け、文書による通達や部員アンケートなどしたにもかかわらず、改善されなかったとして、今回の処分を決めた。』 

大学馬術界の強豪として知られる明治大馬術部は、上級生は神様、下級生は奴隷の悪い昔からの体育会系封建的な悪い体質の上下関係が残っているのでしようか。しごきといじめも度が過ぎます。怖いい体育会系のイメージが払拭されません。ブリティッシュ馬術の運動の正確さ、美しさ、馬術家の礼儀・作法を馬術の精神から学ぶべきです。

馬場馬術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

馬場馬術

馬術(ばじゅつ)はに騎乗して運動の正確さ、活発さ、美しさなどを目指すスポーツ技術体系、また競技種目である。

目次

[非表示]

概説

障害飛越競技

スポーツあるいは競技種目としては、ヨーロッパに端を発するブリティッシュ馬術と、新大陸におけるカウボーイ乗馬を起源とするウェスタン馬術の二つが主流をなしている。

ヨーロッパの馬術は古代ギリシアで発達し、クセノポンの著作は現存する最古の馬術書として知られているが、近代馬術はルネサンス期のイタリアでクセノポンの再評価から始まった。18世紀フランスのド・ラ・ゲリニエールは、この流れを集大成し「近代馬術の父」と呼ばれている。また、19世紀ドイツのシュタインブレヒトは現在のドイツ馬術全盛の基礎を築いた馬術家として知られており、彼らの騎乗法・調教法が今日の馬場馬術の基礎をなしている。

一方、障害飛越競技総合馬術の分野では、20世紀初頭、イタリア騎兵将校のカプリリーが編み出した、鐙を短くして上半身を前傾させる騎乗法が広く採用されている。

日本の古来からの馬術は日本でもほとんど廃れ、一部の研究家が実践するにとどまっている(時代劇大河ドラマなどでも乗馬シーンのほとんどは、ブリティッシュかウェスタンの馬術によっている)。

上二者は技術もスタイルも大きく異なっているが、双方に共通する最も大きな特徴は愛馬精神の尊重である。オリンピックでは動物を使用する唯一の種目であるとともに、選手の男女が区別されない唯一の競技でもある。

総合馬術競技のうち、クロスカントリーの様子

なお、オリンピックでは、馬場馬術障害飛越競技総合馬術の3種目が行われるが、世界選手権大会(World Equestrian Games)ではこれらに加え、軽乗競技、長途騎乗(エンデュランス)競技、馬車競技、障害者馬術(パラエクエストリアン)の計7種目が行われる。

かつて、パリオリンピック(1900年)では「乗馬走り高跳び」「乗馬走り幅跳び」の2種目があったが、転倒・落馬の危険が高いため、この回のみで廃止された。アントワープオリンピック(1920年)では「乗馬フィギュア(個人・団体)」の種目があったが、この回のみで廃止された。

近代オリンピックにおいては、ヘルシンキオリンピック(1952年)にて軍人以外の男子および女子の参加が認められるまでは、馬術は軍人だけが参加できる競技であった。

用語

明治以降、日本での馬術は、伝統の馬術を廃して西洋馬術を主に、大日本帝国陸軍陸軍騎兵学校を参照)において導入し発達したという経緯がある。そのため、用語の多くは、軍隊用語の流れを汲むものとなっている。

  • 脚(きゃく)
    騎乗者のあし(下腿・ふくらはぎ)を意味する。馬のあしは肢(あし)と表現して区別する。脚の馬腹との接触は人馬のコミュニケーションにおいて重要で、馬を推進させる方向に働く。

伝統日本馬術

日本での馬術は弓馬の道、武芸十八般にも数えられているように、中世武士にとって必須科目であった。しかし、江戸時代を降るにつれて日本古来の馬術が没落していく。その要因として、長きに渡った平安な世の中であったこと、武芸より政治的手腕を重視されるようになったこと、乗馬できる人がごく限られていたこと、馬術を教われるほどの財産を所持していない者が多かったことなど様々である。日本において馬とは、刀剣鉄砲と同じように兵器として扱われていたので、武士以外の身分商人農民)などは通常、乗馬することを禁止されていた。

特色として、蹄鉄が伝えられていなかったので、わらじをはかせていたか、が硬いので何もはかせずに乗っていたことがあげられる。また、去勢の技術が伝えられていなかったこと、戦場には人を齧るくらい元気な牡馬が尊ばれたこと、大小の刀を帯びる影響で、乗馬位置が西洋馬術と反対であることなどもある。

競技種目としては流鏑馬笠懸打毬などがある。

日本の馬術流派