栃木県に「熊仙人」と呼ばれる白い髭の男がいる。クマの生態を観察し続けて28年。日光市在住の横田博(68)だ。
今年、クマが人間を襲う事件が相次ぐことについて、横田は栃木訛りでこう言う。
「なぜクマが人を襲うようになったのかを探るのではなくってさ、今までなぜ人を襲わなかったのか。クマにブレーキをかけていたのは何だったのかを考えた方がいいんでないか?」
もともと横田は地元で接骨院を経営しながら中禅寺湖などで淡水魚の水中写真を撮影していた。しかし、1988年6月、地元に近い足尾銅山でクマに遭遇して以来、28年にわたって山に分け入り、クマの生態を映像に収め続けている。
そうした横田の活動は、昨年、NHK『WILDLIFE』で紹介され、横田が撮影に成功した「子供のクマを襲って食べるクマ」など、知られざる生態として放映され、話題となった。
私(筆者)が旧知の横田を訪ねたのは、急増するクマ被害の原因を知りたかったことと、学者や狩猟解禁期間が3か月と限られているハンターよりもクマの生活を彼がよく知っているからだ。
ブナの実の豊凶説は本当か?
「ク マがエサを求めて山から下りてきた」という説が報じられている。今年5月から6月にかけて、秋田県でクマに襲われたと思われる4人の遺体が発見された。ク マに襲われてケガをするケースも東北地方を中心に相次いでおり、クマの好物であるブナの実の豊作・凶作と、クマの出没に因果関係があるというのだが、横田 はエサ説に首をかしげて、ある映像を見せた。
「この映像は、クマが一度に3頭もやって来たやつだね」
足尾の山の岩肌。大きなツキノワグマが鹿の死骸をむさぼり食う姿だった。すると、どこからともなく2頭目、3頭目がやってきて、鹿の頭を残して食い尽くそうとしている。
干物状態となった鹿の死骸と食べるクマ (c)横田博 *無断転載禁止
「クマは新鮮なものだけを食べるわけではないんだよ」と、横田が言う。
「鹿 が植樹した木の皮を剥ぐ被害が増えて、年間5,000頭の鹿を県は駆除している。以前はハンターが鹿を仕留めると、持ち帰ってジビエ用に売っていたけれ ど、最近では数も多いこともあって、撃ったらそのまま放置していることが多い。過去に大雪による鹿の大量死が起きた時、死骸の匂いを追って、クマが移動し てきて増えたこともあったよ」
春一番の季節になると餓死する鹿がいたり、イヌワシが子鹿を襲い、崖から落ちて死んだ子鹿も、クマのエサとなる。
また、足尾銅山の社宅があった廃墟に、鹿の頭蓋骨など白骨が散乱していた。
「骨を食べに来ることもある。クマだけでなく、リスが鹿の背骨を食べに来たりね。自然の食物連鎖で、鹿が死ぬとカラスや鳥に始まり、微生物からクマまで、いろんな生物が食べに来て、死体をきれいに掃除してくれるんだよ」
廃墟の側溝に散乱する鹿の白骨 (c)横田博 *無断転載禁止
つまり、クマは何でも食べる雑食で、木の実の豊凶だけが原因とは考えにくいのだ。ちなみに、クマは共食いもする。子供のクマを食べるのだ。世界的にも珍しいそのシーンを、横田は映像に収めた。
「ジ ローと名付けたメスのクマがいて、子供と一緒にカラマツの木に登っていたんだよ。そしたら、巨大なオスのクマが現れて、猛然と木に登ってジロー親子を襲お うとする。子供を守ろうとしてジローはオスと取っ組み合いになり、木から落ちると、取っ組み合いをしたまま山の斜面を転げ落ちていった。ジローがオスの足 をがぶりと噛んで抵抗したんだけど、オスはジローを振り切り、ものすごいスピードで斜面を駆け上がると、木に登って子供を食べてしまった。離れたところか らジローが呆然とした姿で、子供が食べられるところを見ていたね」
ハンターがクマを仕留めて腹を割くと、胃の中からクマの子供のツメや毛が出てくることがある。クマの雑食性や凶暴性を物語る話である。
では、人間を襲う理由は何かと聞くと、冒頭のように「襲わなかった理由から考えてみた」と言うのだ。
超高齢社会とクマ社会
横田が富山県で講演を行った時のこと。立山で驚いたのは、尾根をまるでアリの行列のように登山者が連なっていることだった。
「どこの山でも登山者が増えたね。定年退職して時間ができた高齢者が山の奥までハイキングをするようになったんだね。山の奥深いところは若いクマでさえ入らない。そこはエサが豊富で、一番強い巨大なクマの縄張りだから。
そこに登山者たちが入り込むと、人間を恐れるクマが追い出されるように山奥から出てきたんだと思う。以前は、人間社会とクマ社会がお互いを警戒して、住み分けていた。ともに学習するから、互いの領域には入ろうとしなかった。そこが崩れたんだと思うよ」
横田は人間の歩き方にも言及する。
「人間が現れると、クマは人を恐れて林の中に潜む。人間が歩いて立ち去るのを待つんだけど、山菜取りに来る人間は一定方向にまっすぐ歩かない。山菜を探しているから、行ったかと思ったら、また戻ってきたり、右に左に歩き、それを見たクマは自分に向かってきたと驚くんだよ」
ある日、横田は同行する新聞記者に「絶対に声を出すな」と命じて、山の中に入った。すると、夏だったせいか、毛に覆われたクマは風通しの良い木の上で涼んでいた。しかし、人間の姿を見て、木の上で息を潜めたのに、クマを見た記者が驚いて、「横田さん!」と叫んでしまった。
「ばか!」。横田が咄嗟に記者を黙らせようとしたのも束の間、「クマは見つかったと思ったんだろうね。ドサッという音とともに俺の真後ろに落ちてきたんだよ」。おびえた記者が猛ダッシュで走り去ると、横田の背後に落ちたクマも、脱兎のごとく逃げ去ったという。
クマの生息地に人間が入るようになり、また人が住んでいた集落が高齢化や過疎化で人がいなくなっている。そこにクマが現れるようになり、時折、人間と遭遇するようになったと考えるのが自然だろう。
クマ社会と人間社会の暗黙の掟。それが、人間の都合で崩れたのだ。
牛舎で牛と寝ていたクマを追うと・・・
熊仙人の横田が撮影した写真に、牛小屋の乳牛の隣に現れたツキノワグマの写真がある。
里山にあるこの牛小屋の主人はビックリして大騒ぎしたのだが、なぜ牛小屋に現れたかというと、牛の飼料であるデントコーンを食べに来るのだ。
横田が見に行くと、足跡からクマは1頭だけではなく、3頭いることがわかった。しかも頻繁に来ているせいか、牛はクマが来ても暴れなくなり、牛の隣でクマが堂々と寝ていることもあったという。
また、クマは3頭一緒に現れているのではなかった。まずオスがやって来て、牛のエサのコーンを食べる。その間、母親と子どものクマは林の中に潜み、オスがいなくなるのを待っている。前述したように、オスが子供を食べてしまうからだ。
順番待ちをしているせいか、母子クマが牛小屋に現れるのは、夜明け近くになる。牛のエサを食べ終わった親子の足跡を辿ると、林の中を通り抜け、川に辿り着いた。
いろんな方角からクマの足跡が川に集まっていて、川べりは足跡だらけだ。牛小屋で前足が泥だらけになったので、クマは川で洗っていたのだ。これは捕食する時、相手を前足で捉えるため、前足は重要であり、汚れているのを嫌うからだ。
し かし、夜明けに牛小屋からやって来た親子のクマはそこで釣り人と遭遇した。驚いた釣り人が声をあげたため、クマも驚いたのだろう。クマは釣り人の目をめが けて前足を振り下ろしたのだ。もし人間を食べるのが目的だったら、人間ののど元に噛み付くはずだ。人間を食べるのが目的だったのではなく、驚いた結果の事 件であったと思われる。
熊仙人の横田はこう言う。
「30年近くクマを観察し続けてきた自分がいる地元で、クマの被害がでてしまうと、俺自身の恥だ。人がクマに襲われないように注意喚起を促すこと。それが俺に課せられた役割だと思うんだよ」
藤吉 雅春