政治の一瞬先は闇だとはよく言ったものだ。上り坂、下り坂、そしてまさかの坂、だ。
あれほど小沢たたきをして得意絶頂であった菅民主党政権が、いま進退窮まりつつ
ある。
あれほど小沢たたきを繰り返していた大手メディアが小沢問題はもう終わりに
しようと言い出している。
しかしそうは問屋がおろさないだろう。
小沢問題の逆襲が菅民主党政権と大手メディアを襲うのはこれからだ。
菅民主党政権が行き詰まった理由は二つある。
一つはもちろん国民を裏切った政策変更でありもうひとつは異常な小沢たたき
である。
そしてこの二つは表裏一体である。
小沢疑惑について。検察の正統性が失われつつある。これは決定的だ。
おまけに米国の小沢つぶしが裏にあった事が米国の機密電報で暴露された。
なによりも検察審査会の強制起訴が裏目に出ることになる。
なぜか。それは強制起訴が行なわれた時点で小沢問題は一変する。
小沢一郎は被告となる。失うものは確かに大きい。
しかし小沢一郎が肉を切らせて骨を穿つ覚悟をすれば攻守逆転する。
ほとばしる赤い血と肉によって菅政権の骨を穿つことになる。
その理由はまず裁判が始まれば証人喚問や倫理審査会などへの出席問題が吹っ飛ぶ。
小沢一郎はそこに出て、裁判に予見を与える事になってはいけないから発言を控えると繰り返せばいい。これは被疑者の当然の権利だ。
何よりも強制起訴をした結果無罪になる可能性がここにきてほぼ間違いなくなった。
その場合、検察審査会や、小沢叩きを繰り返した菅政権や大手メディアは、どう責任を取ればいいのか、という事になる。
だから何時までたっても指定弁護人は強制起訴に踏み切れないのだ。
仙谷とそれに操られた菅の最後の手は、だから離党、議員辞職となる。
その時こそ小沢問題と政策問題が表裏一体となって逆襲する時だ。
小沢一郎はこういえばいいのだ。民主党議員を辞めるわけにはいかない。政権交代を果たした民主党に戻さなくてはいけない、と。
ここに至って小沢問題は政策問題に一転する。
どちらの政策を国民は望むのか。
マニフェストを捨てて米国、大企業、官僚の望む政策を行なうのか、国民生活に軸足を置いて消費税増税反対、脱官僚支配、地方分権、脱対米従属を訴えるのか、これである。
小沢問題の蔭に終始隠されてきた事がある。
それは小沢派でも反小沢派でもない大勢の民主党議員がいるということだ。
むしろそちらに議員のほうが多い。
はたして彼らはどちらの政策を正しいと思っているのだろうか。
それを一人一人がなぜ国民の前で公言しないのか、できないのか。これである。
なぜこの事がこれまで語られてこなかったのだろう。
なぜ一人一人の民主党議員にこの事を聞いてそれを国民に公表する世論調査を
誰も行わないのか。
しかし、これは解散・総選挙になれば嫌でも明らかになる。
解散・総選挙が何時になろうとも、小沢一郎はその時まで民主党議員にとどまり、解散・総選挙で自らの政策を訴えて選挙に臨むのだ・・・
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※故自民党副総裁川島正次郎氏「政界は、一寸先は闇」の名言は、政治の一瞬先は闇だと言う意味ですが。この意味を本当に理解出来る政治経験豊かな政治家は民主党にはいないのでは有りませんか。政治経験が少なく、政務次官や重要のポスト、大臣経験も歴任していない管内閣の新米閣僚、世間では素人政治家や閣僚と揶揄していますが政治の行方は読めないと思います。長年の政治経験に基づいて養われた勘は、元民主党代表の小沢一郎氏や亀井静香国民新党代表で無いと政治の数々の修羅場を潜り抜けていないので今後の政局を見抜けないと思います。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天木 直人(あまき なおと、1947年7月19日 - )は、元駐レバノン日本国特命全権大使、作家。イラク戦争当時、対イラク政策を巡る駐レバノン日本国大使として意見を具申した2通の公電により外務省から外交官を「解雇」されたと主張(外務省は人事の問題であって「勇退をお願いした」と説明)し、外務省を告発する著書が話題となった。
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略歴
外務省退職まで
山口県下関市生まれ。洛星高等学校から京都大学法学部入学。大学の2年先輩で外交官試験に合格していた竹内行夫の奈良の自宅に尋ね、外交官試験について調べ、大学在学中の1969年、外交官試験に合格。上級職として外務省に入省。同期に谷内正太郎、田中均、高須幸雄、藤崎一郎、重家俊範など。
1970年から1972年まで英語研修(米国ハーバード大学、イェール大学ロースクール、オベリン大学)、在ナイジェリア大使館、経済局、大臣官房、ジュネーブ国際機関代表部、在サウジアラビア大使館などの後、1985年10月から1988年7月までの外務省中近東アフリカ局アフリカ第2課長時代に南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)問題に取り組み『マンデラの南ア 日本の対応』を出版、印税は同国に寄付。内閣官房内閣安全保障室内閣審議官、駐マレーシア公使を経て、駐オーストラリア公使、駐カナダ公使、駐デトロイト総領事、2001年より駐レバノン日本国特命全権大使。2003年に外務省を退職。
レバノン大使「解任」
イラク戦争開戦前後に川口順子外務大臣宛(全在外公館にも転送される)に2通の公電を送ったため、北島信一外務省大臣官房長から詰問を受け、竹内行夫外務事務次官署名入り「勧奨退職」を通告されたとして、事実上の「解雇処分」を受けたと本人は主張している。外務省の実態を告発し、小泉純一郎総理大臣の外交姿勢を問う『さらば外務省! - 私は小泉首相と売国官僚を許さない -』がベストセラー入りした。
同書は、毎年、外務省が機密費20億円を内閣官房に上納しているなどの疑惑を指摘。外務省関係者はこれを全面否定している。
選挙出馬など
2005年、倒閣を公約として第44回衆議院議員総選挙に小泉の選挙区である神奈川11区から無所属で立候補した。しかし、神奈川11区での得票は7,475票で落選した。一方当選した小泉の得票数は197,037票であった。立候補の際、新聞や公式サイトで民主党・日本共産党・社会民主党に自党候補の擁立断念と自分を推薦すること、そして各野党支持者に自分への投票を呼びかけた。民主党には自民党への吸収合併を要求し、共産・社民両党へは「潔く消滅せよ」と解党を促した[1]。
2007年の参議院議員選挙に9条ネットから出馬。当選後は朝鮮半島政策で考えが異なる9条ネットではなく「天木新党」を結成して活動すると主張したが再び落選。「保守2大政党による政権から日米同盟一辺倒でない内閣を作る方が良い」と既存政党への期待を示した[2]。
公式サイトは天木自身の意向により、2006年2月末で更新停止したがその後閉鎖。2007年1月9日に別ドメインにて、「天木直人のブログ」として再開した。
作家活動など
2009年1月1日より、まぐまぐより有料メールマガジン「天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説」を発行している。
2010年7月、有料メルマガ配信サービス「foomii」より、有料メルマガ「天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説」を配信すると発表した。
関連項目
脚注
外部リンク
- 外務省