米連邦最高裁のトランプ入国禁止令一部容認には失望した
私が大学で初めて憲法の授業を受けた時、米国留学の経験を持つその教授は、著名な米国最高裁の判事の名をあげて、米国司法が如何に優れているかを我々に熱っぽく語ったものだ。
その時の私は、そんなものかと感心して聞いた覚えがある。
いま50年ぶりに、その時の光景を思い出している。
本当に米国の司法はそんなに素晴らしいのか。
米連邦最高裁が26日、トランプ大統領の入国禁止大統領令を一部容認する判断を下したという。
この判決には失望した。
私は、下級審がこぞって違憲としたトランプ大統領の入国禁止令を、最高裁もまた違憲とすると確信していたからだ。
あの大統領令はどう考えても違憲である。
なぜならば、あの大統領令はテロ防止が目的だ。
しかし、あの大統領令ではテロは防止出来ない。
六カ国といい、七カ国といい、いくらそれらの国からの移民を禁じても、自国内で育つテロを防ぐことは出来ないからだ。
テロ防止という立法趣旨に応える事の出来ない如何なる法令も、法令の合理性はない。
連邦最高裁の違憲判決によって、トランプ大統領は違憲大統領の烙印を押され、ロシアゲート疑惑の帰趨と相俟って、トランプ大統領は窮地に追い込まれる。
そう私は考え、書いて来た。
ところが、今度の米国最高裁の判断は、一部と言えども大統領令を容認した。
すかさずトランプ大統領は勝利宣言した。
これには失望した。
そう思って記事をよく読むと、下級審との判断の違いに貢献したのが、トランプ大統領の指名で就任した保守派のゴーサッチ判事だという。
ますます失望した。
しかし、まだ私の米国司法に対する評価は終わっていない。
入国希望者が米国内の個人や組織と「正当な」関係がない場合は、入国を一時禁止しても米国に不利益が生じるわけではない、とする最高裁の指摘は抽象的で、入国が認められるケースの例示も曖昧だ。
必ず入国の際に混乱が起きると思う。
そして、10月にも下されるとされる最終判断までに、状況が変わる事も十分にありうる。
大学時の憲法学の教授の言葉が正しいかどうかは、その時に判断すればいいと思っている(了)