最近時々 姉と出かけることが増えています。
きのうも 北の方へ行ってみようという約束を 前からしていました。
あ~雨です。
でも 霧のような優しい雨だし ハイキングに行くんじゃないから
まぁいいかと。
待ち合わせて 姉の車に乗せてもらって国道180号線を北に 出発!
この前 北海道のなまくら和尚さまがいらっしゃったときに
ご案内した高梁市より北には わたし 自分で行ったことが
ありませんでした。
長時間出かけられない時代が長かったので 高梁が北限でした。
姉は 長い勤めを辞めて そのうち自分の時間ができてから
ひとりドライブでその先の 新見とか北房の方面にもよく行く
と聞いたことがあります。
あまり詳しい計画はないままに出かけました。
新見美術館は休館日だというので 高梁の成羽美術館に行きました。
山からウグイスや 何か?鳥の鳴き声が 聞こえてきます。
児島虎次郎は成羽の出身の画家で 倉敷の 大原家の奨学生でした。
大原孫三郎の援助を受けながら 3度も渡欧して 制作に励みながら
日本の画家たちの勉強のために、エル・グレコやモネ
ゴーギャンやルノワールなどのアトリエを訪ねて
直接美術作品を 画家から買い集めて
日本に送り 倉敷大原美術館ができました。
47歳の若さで亡くなるまで 大変活躍した画家でした。
雨の日でお客さんが少なく ゆっくりみて回れました。
ふたりで つい 絵にすごく近づいて指さしながらみていると
学芸員の女性が近付いてきたので
はっと後ずさりしたら
「どうぞ 写真を撮ってくださって構いませんよ。
薄暗くて 説明が見えにくいかもしれなくて
申し訳ありません・・・」と。
なんて 優しくて親切!
そんなこと言われた美術館 初めてです。
ほかの学芸員さんも いろいろと
「お帰りの前にショップにも お時間があれば お立ち寄りください。
ちょっとわかりにくいですけど エレベーターはあちらです。」
などと とても親切。
ベルギーに住んでいた時期の絵かな。
日本に帰ってから…
ペインティングナイフで書かれた作品が多くみられました。
これは「酒津の農夫」
虎次郎は 光の表現がすばらしいです。
細い筆も使って 細かくも描かれています。
「登校」という作品。
遺族から寄贈されたそうです。
中国や朝鮮にも行っています。
エジプトにいった時の様子は 1Fで パネルでたくさん
展示されていましたが
写真を撮るのは難しかった。
虎次郎の世界を堪能した後 ショップでコーヒーをいただいて
お昼前になったので 食事ができるお店をスマホで探し
行ってみましたがましたが 店が少ないうえ
水曜日は休みのところが多かった…
そのまま車を北に走らせて 吹屋(ふきや)方面まで。
写真が撮れませんでしたが すごく険しい山が両側から迫ってきて
雨が降っているので山霧が立ち上って 美しい風景でした。
昔 銅山で 大変栄えた町です。
「ジャパンレッド」発祥の地|日本遺産ポータルサイト
日本遺産(Japan Heritage)ポータルサイトの「ジャパンレッド」発祥の地について。当地は、かつて弁柄と銅の生産地として繁栄した鉱山町で、備後(
日本遺産ポータルサイト
赤い弁柄で統一された町並みです。
この町も食事ができるお店が少ないうえ 水曜日でお休み
だったりして。
やっと 古くから続いている 手打ちそばとうどんのお店に
2度目に覗いて(最初はいっぱいだった)やっと入れました。
干しシイタケのだしの香りが懐かしい田舎けんちんそばです。
山の中だし 雨なので 歩いているお客さん 少ない~
車に戻るまでの途中に 元お醤油と酒を造っていたというお店に寄り
奥さんの話をいろいろ聞きながら お買い物。
ナタマメ茶です。
乾煎りしてくださいとのこと。
ナタマメは うちでも昔 栽培していて
味噌漬けが父の好物でした。
よかったら種をどうぞ~と言われたので もらって帰りました。
ひさしぶりに 蒔いてみましょう。
麦みそは あまり食べたことないけど 「美味しいですよ」
と言われたので 買ってみました。
青唐辛子味噌!すごく辛そう。
ようちゃん味噌の原点は 寒い地方の青南蛮味噌とやらを聞いて
青唐辛子いっぱいで作りはじめ
評判は良いがあまりに辛いので のちに 茄子や人参などの野菜を
たくさん入れて万人向きになって行ったのです。
最初は ハバネロだけの味噌も作ったことがありましたよ(笑)
久し振りに すごく辛い味噌をたべました!
お弁当の隅にちょっとで良いわ。
素敵な一日でした。
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