2002年から2009年までとある専門学校で試みた授業の顛末記のまとめ。
2006年に実施した内容をご紹介。
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「世の中を考える20時間」と題したこの授業、要するに映画を観てレポートを書いてもらうだけです。
対象となるのは、僕が関係するとある専門学校の18歳から22歳の学生。
作品を選ぶにあたっては、描かれているテーマ、舞台となる国、製作国に徹底的にこだわっております。
この授業の趣旨は「ヴァーチャル社会見学」。映画を通じて視野を広げて欲しい。
それが狙いです。決して道楽でやってるんじゃありませんよ。
日頃作文をやらせても多くの字数を書けない学生が、意外に立派なことを書いてきます。
この作文は、自分が観た映像とそこから感じたことを文章に構成する作業。
読書感想文と違って引用するものがないだけに、日頃使わない頭を使うようです。
それに予備知識皆無の状況で観ているので、まずは物語と映像をあるがままに受け入れなければなりません。
世の中にでたら嫌でも現実を受け入れなければならない場面は多々あります。
もしかしたらこの授業の真の意味はそこにあるのかもしれません。
とにかく今まで観たことないものをみせてあげる。
社会人になる前に君の世界を少しだけ広げてあげる。
それがこの授業です。
■第1講・ニュージランドのマオリ族を知る・・・の巻/
「クジラの島の少女」(2002年・ニュージーランド=ドイツ)
監督=ニキ・カーロ 主演=ケイシャ・キャッスル・ヒューズ ラウィリ・パラテーン ヴィッキー・ホートン
【解説】ミニシアターでヒットしたニュージーランド映画。マオリ族のスタッフ・キャストで製作されたこの映画は、伝統を守ることの大切さと難しさ、男性社会、家族の絆が描かれている。主人公の少女パイケアが、伝統を受け継ぎたいと願う健気な気持ちが感動を呼ぶ秀作。ケイシャ・キャッスル・ヒューズは史上最年少でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。頑固な祖父を演じたラウリィ・パラテーンも忘れがたい。マオリ族を知ってもらおうとセレクト。
【学生の感想】
●マオリ族にとても興味を持ちました。ニュージーランドの人口41万人の約15%しかいなくなっているそうです。またマオリ語を話す人も25%くらいしかいないそうです。この映画の見どころは、一族を思う心だと思います。改めて家族の絆について考えました。女性というだけで主人公の少女は悩みました。彼女の伝統を守りたいという気持ちと、男の子たちに負けまいとする一途さに感動しました。
●族長の証であるクジラの歯の首飾りを、少年達が誰一人取ることができず、祖父が落ち込んでしまいます。しかしパイケアがそれを海の底から探しだした瞬間に、彼女が時代を変えるぞ、と思わず拳に力が入りました。
■第2講・スポーツは万国共通・・・の巻/
「ザ・カップ 夢のアンテナ」(1999年・ブータン=オーストラリア)
監督=ケンツェ・ノルブ 主演=ウゲン・トップゲン ネテン・チョックリン 製作=ジェレミー・トーマス
【解説】チベットからの亡命僧が修行する僧院を舞台に、サッカーワールドカップ中継を見ようと奮闘する少年僧たちを描いた作品。監督のノルブ氏はチベットの高僧。ベルトリッチの「リトルブッダ」の脚本を手伝ったことから映画製作を開始。この映画の出演者は実際の修行僧である。祖国チベットは中国の統治下になっている。そうした政治的状況も映画の随所から感じられる。どこの国でも変わらない人々と、国をめぐる厳しい現実を知って欲しい。
【学生の感想】
●僧という身分に関係なく、彼らは普通の少年である。お勤めの最中に居眠りをしたり、私語をしたり、学校で見られる風景と同じだ。壁に落書きをしたり、こそこそサッカー雑誌を読んだり。この世にいる人間は皆、文化、言語は違えど、その性質を同じくする人間なのだ。
●次のワールドカップに歓声をあげるとき、きっと心のどこかで修行に励む彼らのことを思い出すだろう。約束を忘れて夜中に柵をくぐっている少年達のことを。スポーツを楽しむのに国境はない、と感じた。
●映画の最後に出てくる仏の教え、「この世の憎しみ、不安、悲しみは、己に執着するから生み出される」という言葉にすごく共感しました。自分のことだけを考えず、他人を慈しむことが大切だということを学びました。この映画はいろんなメッセージをくれる映画だと思いました。
■第3講・貧困について考える・・・の巻/
「ぼくは怖くない」(2003年・イタリア)
監督=ガブエリエーレ・サルヴァトーレス 主演=ジュゼッペ・クリスティアーノ アイタナ・サンチェス・ギヨン
【解説】”イタリアの南北問題”。頭ではそれを覚えても、その様子を思い浮かべることはなかなかできないものです。先進国のひとつであるイタリアでも、生活のために身代金を要求する誘拐事件があるとは、日本にいる我々は想像すらできません。この映画は”仕事”として子供を誘拐する親たちのことを知り、葛藤する少年を描いた秀作です。イタリア映画は伝統的に、家族を描くこと、そして貧しさを描くことには定評があります。そうした伝統を継承しつつサスペンスとしての見どころもある。
【学生の感想】
●ミケーレが拉致された少年と出会ったことで、自分の中でいろいろな疑問が生まれ、それを一人で考えるというのはとても複雑な気持ちだったろう。そして自分の親たちが少年を拉致しているとわかった時、どんな気持ちだったのだろう。それを考えると、とても切ない気持ちになります。この映画で印象的だったのは、黄金の小麦畑です。とてもきれいで自分の目で見てみたいと思いました。
●イタリアに南北経済格差があることは知っていましたが、これ程のものとは思いませんでした。自分の息子をあんなに愛している親が、他人の子供を監禁できるものなのか。人間の裏というか、醜い部分を見た気がします。私たちはこの映画を観て、一件落着でよかったとするのではなく、この背景を考えなくてはならないと思います。
■第4講・東西冷戦で核について考える・・・の巻/「未知への飛行」(1964年・アメリカ)
監督=シドニー・ルメット 主演=ヘンリー・フォンダ ウォルター・マッソー
【解説】核爆弾を積んだ戦闘機が誤った攻撃命令でモスクワへ!。危機を回避しようとするアメリカ首脳の姿を密室劇でスリリングに描いたシドニー・ルメット監督の秀作。ちょうどこの授業の頃、わが国の政府関係者が「核を持つことは憲法違反ではない」などとコメントした。持っても使えない兵器である核。東西冷戦というバランスの恐さと、「核を持つ」ことのリスク。被爆国である日本は「持つ」ことを認めてはいかんのだ。それは法解釈という理屈じゃない。
【学生の感想】
●戦争の恐さは被害を数字でとらえてしまって、感情・感覚ではかれなくなってしまうことです。例えば「300万人が死にました」という報告。数字上で300万人が死んだと無機質に人を扱ってしまう。小学生の算数を解いているようです。実際には、若くして未練を残して死ぬべきでない人が死んでしまっているのに。死んでしまった人を悼み悲しむ人が死人以上にたくさん出るのにです。数以上の悲惨な実情がそこにあるのです。映画の中盤、米ソの首脳が語り合っている時にそんな事を思ったのでした。 殺されたから殺し返す。それがフェアなことなのか?。子供のケンカじゃない、もっと違う償いの仕方ができたはずだ。数で死をとらえてはいけないのに。
■第5講・ぼくらのしあわせとかれらのしあわせ・・・の巻/「コイサンマン(ミラクルワールド ブッシュマン)」(1981年・南アフリカ)
監督=ジャミー・ユイス 主演=ニカウ サンドラ・プリンスロー
【解説】アフリカ代表として僕ら世代は知らぬ者のない大ヒットコメディを。カラハリ砂漠に住むコイサン族。自然と共存し、所有するという観念のない生活。ある日セスナ機から落された1本のコーラ瓶。これが彼らの平和な生活を乱すことに・・・。ニカウさんの笑顔と素朴なストーリーが心に残るはず。なお「ブッシュマン」は俗称で差別的な意味を持つことから、続編公開時にタイトルは「コイサンマン」と改められた。
【学生の感想】
●便利で物があふれている今の日本。コイサン族の人々の生活が貧しいと考えるのか、充実していると考えるのかは個人個人違うと思います。この映画で、今の日本に足りないことを探してみるのは、今の自分たちの生活をよりよくするのに大切なことかもしれません。
●コイサン族は、生きることを楽しんでいる民族だなと思う。生きるという本能にただただ従えるというのは、便利さに慣れた私たちにはできない憧れの生活ではないだろうか。決して文明が悪いという訳ではなく、人間も動物であることを考えて。ある意味、桃源郷というのはコイサン族が住むようなところなのかもしれない。
■第6講・イスラム世界の映画を観る・・・の巻/「運動靴と赤い金魚」(1997年・イラン)
監督=マジッド・マジディ 主演=ミル・ファロク・ハシェミアン バハレ・セッデキ
【解説】イスラムの教えから女性はヘジャブと呼ばれる衣装で髪を隠していること、男女が別々の時間帯に学校に通っていることが、イランの様子として当然出てきます。ちょうど2006年のアジア大会でイスラム教国から女史競泳選手が出場、テレビ中継されることが話題にもなりました。その背景を知るきっかけになったかもしれません。また貧富の差も色濃く描かれている。庭師として都市に出稼ぎに行く場面の豪邸の数々。それに対して主人公アリ一家が住む長屋の貧しさ。マラソン大会のスタート前の場面、子供たちの様子を見るだけでもそうした貧富の現実が感じられます。
【学生の感想】
●一番印象に残っているのは、クライマックスでもあるマラソン大会の場面である。校内でタイムを計る場面でこれを1位争いはするだろうなとは予測していた。しかし、アリは3位にならないといけない。その主人公の難しい心境をうまく映像にしているな、と感じた。途中競争相手から足をかけられた時は、万事休す!と思ったが最後は5人でのデッドヒートとなった。アリが最後の力を振り絞った結果は・・・最後の表情は忘れられない。
●兄妹の話ということで、自分の兄貴としての立場で観ることができました。妹の靴がなくなったことから、兄が妹のためにどれだけ苦労したかがひしひしと伝わりました。父親に怒られたくないために、妹の為に何でもやってあげる。学校がある時間帯には靴を先に履かせたり、ご褒美でもらったペンをあげたり、と仲がいい二人です。マラソン大会での必死さは感動しました。あそこまで頑張れるところは見習わないといけません。
■第7講・戦争と人間について考える・・・の巻/
「ピエロの赤い鼻」(2003年・フランス)
監督=ジャン・ベッケル 主演=ジャック・ヴィユレ アンドレ・デュソリエ シュザンヌ・フロン
【解説】ちょっとした思いつきが引き起こす悲喜劇。中でも容疑者として捕らえられた4人を救うために、重傷の老人がある決断を下すところが泣ける。脇役のひとりひとりにまで人生を感じさせる。処刑を待つ4人に食料と笑顔を与える心優しきドイツ兵。彼のエピソードがこの映画のメインであるが、”笑い”が敵味方を超えて信頼につながっていくこの場面はどこよりも力強い。そしてさらに父親がピエロに扮する本当の理由を知って、息子が父を信頼と尊敬をするようになるのだ。
【学生の感想】
●主人公が何故ピエロを演じるのか。その理由に、戦争の悲劇と祖国の解放のために奔走した人々の思いが引き継がれている。地味ながらも心を打つ映画だった。戦場で食料を分けてくれ、ピエロの格好で笑わせてくれた敵兵、自分を犠牲にして人質を救おうとする老人。彼らによって救われた命。人間の心の強さや美しさを感じることができた。
●主人公がピエロを演ずることが、兵士の意思を継ぐことによる主人公なりの罪の償いであることを息子が知ったとき、父親の偉大さを知ったと思います。私も超えたくてもまだまだ父を超えられません。私自身が父という立場になったときに初めてわかるものだと思います。
●個人的にはこの授業で観てきた中で一番好きな映画かもしれません。最初に先生が「教科書みたいな映画」と言っていた通り、人のいい面というか良心的な面を、美しく描きすぎているようにも思いました。しかし映画が終わったときにすっとする、そんな感動を味わいました。
■第8講・恋する気持ち・・・の巻/「初恋のきた道」(2000年・中国=アメリカ)
監督=チャン・イーモウ 主演=チャン・ツィイー チェン・ハオスン・ホンレイ
【解説】チャン・イーモウ映画の特徴は色彩。山々の紅葉やチャン・ツィイーが織る布の赤。現在はモノクロ、過去はカラーで描かれていることにも注目したい。夫を失った世界は、主人公にとっては色を失った世界。とにかく好きな人を喜ばせたい!という一途な気持ちが、僕らを純粋な気持ちに導いてくれる、心のどこかで大事にしたい映画。劇中出てくる「タイタニック」のポスターは、”ばあさんの思い出映画”としては自分の作品の方が優れているというイーモウ監督の自信。
【学生の感想】
●主人公の気持ちが一番わかったのが、井戸で水を汲み終えたのに、先生が近づいてきたので汲んだ水をわざわざ捨てたところ。少しでも好きな人に近づけるようにしている行動。他の主人公の行動に自分でも身に覚えがある。本人は自然に振る舞おうとしているのに、こうして客観的に見ているとバレバレ。自分もこんなことをしていたのか、と思うと恥ずかしいけど、その時の気持ちが思い出せたのがよかった。
●いきなり白黒で始まったのに、過去になるとカラーになったのに驚きました。夫が死んだ後の世界に色がなくなるのは主人公の気持ち。監督のセンスを感じました。誰に食べられるのかわからないのに、先生の為に一所懸命弁当をつくる姿や、先生が町に帰るときに走って追いかける姿に、好きな人に対する一途な思いが伝わってきました。
■第9講・たくましく生きる人々・・・の巻/「キャラバン」(2000年・フランス=ネパール=スイス=イギリス)
監督=エリック・ヴァリ 主演=ツェリン・ロンドゥップ カルマ・ワンギャル グルゴン・キャップ
【解説】監督のエリック・ヴァリは写真家でネパールを写し続け、映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のスタッフでもあった。ひとつひとつの場面がとても絵になる。しかも美しい映像と音楽が一体になる瞬間の幸福。ラマ僧のマントラにコーラスが重なる曲にきっと癒されることだろう。語るべき物語といい映像と音楽。この映画には下手なほめ言葉はいらない。観た者にしかあのイメージは伝わらないだろうから。でもそのスクリーンにも刻みきれない自然こそが本当は偉大だと思うのだ。
【学生の感想】
●キャラバンという言葉に私が持っていたイメージをぶち壊された。砂漠を隊列を組んで行く商人達を考えていたからだ。確かにこれも商人としての一面はもっているだろうが、これは私にとっては異質だった。 一人の少年を間に挟んだ二人のカリスマが衝突する物語。年老いて頭が固くなったとはいえ、ティンレのカリスマ性は衰えていない。不平不満を言いながらも人々がついてきたのが証拠だ。僧侶になった次男がついてきたのも、山での父親の姿を見ておきたかったからかもしれない。一方で、カルマは幼いツェリンにとって英雄的存在。二人のカリスマを見たツェリンが一体どんな長老になったのか気になる。高い木の上から大地を見下ろす気分はどんなだろう。鳥葬場面にも驚いたが、この映画に濡れ場は余計だと思った。
■第10講・ハリウッドクラシックでSF映画を観る・・・の巻/「ミクロの決死圏」(1966年・アメリカ)
監督=リチャード・フライシャー 主演=スティーブン・ボイド ラクウェル・ウェルチ
【解説】最終回は僕の大好きなSF映画の傑作「ミクロの決死圏」。人体の中で展開する大冒険、誰も主人公のような視点で見たことがない世界だけに、とても興味深い題材だ。美術はあのサルバトール・ダリが担当して、他の映画ではお目にかかれない世界観を作り出している。しかし多くの学生たちにはやや不評。やっぱり彼らにとってSFはドンパチするもの・・・、チープな特撮・・・今ドキの子には厳しかったのかな。見終わって聞えた印象的な一言。「理科の授業みたいだったね!」(汗)。
【学生の感想】
●21歳の私でもこの映画のキャストが一流であることがわかった。ミクロの世界を描く方法はさすがに現在とは差がありすぎるけれども、いい意味で味がある。残念なのは、撃たれた科学者がその後本当に無事だったのかがわからないことだ。でも私はこの映画が好きになった。
●このような発想ができたことにまず驚いた。誰もが楽しめる映画になっていたと思う。見ていて危機が次々に起るので、本当に大丈夫なんだろうかとハラハラした。