Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

猫のように

2023-01-21 | 映画(な行)

◼️「猫のように」(1988年・日本)

監督=中原俊
主演=吉宮君子 橘ゆかり 森川正太

「櫻の園」(1990)を観て、女子と女子との距離感や相手への気持ちをうまく表現する映画だなと思った。男の自分でも切なさにジーンと来てしまって、繰り返し観てしまった。中原俊監督が特別に女心がわかる奴とは思わないけれど、そんな世界を描けることをなんか羨ましく思った。そんなことを考える僕も若かったのだろうな。

そんな中原俊監督のにっかつ時代の作品「猫のように」を観た。シスターコンプレックスな感情を抱えた姉妹が主人公。姉の男性関係に対する苛立ちから、妹は姉を監禁しようと考える。普通の関係でもなく、禁じられた恋愛感情でもなく、でもどこか異常な気持ち。好きだけじゃ言い表せない感覚。それをネチっこいエロティシズムでフィルムに収めている。

「櫻の園」を先に観たせいか、男には計り知れない心のつながりを別な形で見せつけられた気がして、ロマンポルノじゃなくてもいい題材だよなー、と思ったのを覚えている。

主演の橘ゆかりが素晴らしかった。強い眼差しと美しい肢体が忘れられない。橘ゆかりは「櫻の園」で演劇部OB役で出演している。わずかな出番だったけど、高校時代の揺れる気持ちを通り過ぎた人なんだと思うと、素敵な場面に感じられたっけ。

ともあれ「猫のように」もっかい観たいんですよねー🥺




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ナイトメア・アリー

2022-07-28 | 映画(な行)


◼️「ナイトメア・アリー/Nightmare Alley」(2021年・アメリカ)

監督=ベネチオ・デル・トロ
主演=ブラッドリー・クーパー ケイト・ブランシェット ルーニー・マーラ トニ・コレット ウィレム・デフォー

予告編でどんな映画なのかがまったく掴めなかった。近頃の外国映画の予告編って、あらすじをバカ丁寧に教えてくれるものが目立つだけに、意味深なシーンだけを繋ぐ謎めいた予告編に心が引っかかっていた。

その謎めいた空気は映画冒頭から。死体らしきものを重そうに床下に落として、黙って部屋に火を放つ男ブラッドリー・クーパー  。いかがわしい見世物小屋が立ち並ぶカーニバル(移動遊園地?)を訪れた彼はとにかく言葉を発しない。「お前の過去なんて誰も気にしない」との言葉から、彼はカーニバル一座に身を置くことになる。ウィレム・デフォー、ロン・パールマンと、出てくるだけで怪しげな雰囲気を出してくれる名優たち。やがて読心術を覚えた彼は一座の危機を口八丁で救ったことで自信を深め、電気人間の見せ物をやっていたルーニー・マーラを連れて出て行く。

大げさな劇伴もない前半。ボソボソしゃべるトニ・コレット、飲んだくれのデヴィッド・ストラザーン、そして強烈な印象を残す"獣人"。言葉数が異様に少ない前半戦。主人公が保安官を言いくるめる場面を境目に、この映画は言葉が満ちあふれてくる。

ケイト・ブランシェットが登場してからの後半戦は、主人公が嘘にまみれた深みにどんどんハマっていく姿が描かれる。野心、みなぎる自信。成功を支えるために悪事に手を染める。重ねる嘘、嘘。さらに嘘。読心術は見せ物。しかし次々と自分のことを言い当てる様子に、その術を過剰に信じてしまう人間の弱さよ。クライマックスに登場する老判事夫婦のエピソードは短いながらも強い印象を残す。出番は少ないがメアリー・スティーンバーゲンは怪演だ。

デル・トロ監督作は凝ったビジュアル重視のイメージがある。本作でもホルマリン漬けの胎児が登場する気味悪い場面はあるけれど、代表作「シェイプ・オブ・ウォーター」ほどデフォルメされたビジュアルの面白さはない。

しかし、本当にグロテスクなのは人間の悪行が見せる醜さである。映像の陰影や夜の場面、ケイト・ブランシェットの黒い衣装まで、深みのある黒が印象的なこの映画。映画館の暗闇は色彩としての黒をきちんと表現するために必要だと言われる。これを映画館で観たら、人間が闇に染まっていく様子が堪能できたのかもしれない。そんな暗闇で聴くラストの「宿命だ」のひと言。それは観ている僕らまで引き込むような重たい響きだったのではないだろうか。



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ニューヨーク・ニューヨーク

2022-05-24 | 映画(な行)

◼️「ニューヨーク・ニューヨーク/New York, New York」(1977年・アメリカ)

監督=マーチン・スコセッシ
主演=ロバート・デ・ニーロ ライザ・ミネリ ライオネル・スタンダー バリー・プリマス

マーチン・スコセッシ作品は、「タクシードライバー」を筆頭にニューヨークを舞台にした作品が多い。この「ニューヨーク・ニューヨーク」は、往年のハリウッドミュージカルへの愛と、大都会ニューヨークへの思い入れが込められた作品。スコセッシ監督は、古くからあるスタジオ撮影に現代の感覚を取り入れようと試みた。

いかにもセットだとわかる背景や、わざと歩道を高くするなどデフォルメされた街並み。衣装もやたらと色彩が鮮やかで、襟が大きかったり、異常な量の肩パットが入れられたりとこちらもデフォルメされている。デ・ニーロが身につける鮮やか茶系のスーツが好き。でも、平成の初めに黒シャツにオーバーサイズ気味の紫色のソフトスーツ(「ガンダム 鉄血のオルフェンズ」オルガ・イツカをイメージしてください)を着ていた僕ですら、これは着れないと思う。あ、関係ねえな(笑)。

スタジオに用意された作り物の背景と夢物語を、演者の実力とパフォーマンスで盛り上げる。これは従来のハリウッド製ミュージカル、またライザ・ミネリが得意としてきたところだ。そこにスコセッシは最大限の敬意を払っている。劇中演じられるミュージカル「Happy Endings」は、単独の作品になりそうなくらい凝ったものだし、何よりもニューヨークに強いこだわりがあるスコセッシが、ハリウッドのスタジオにニューヨークを作り上げて撮ったなんてかなりの冒険。

一方でロバート・デ・ニーロとスコセッシは即興の演技や演出を好む。例えば、この映画でのプロポーズ場面は生々しくてやたら長い。また二人の出会いの場面もテーブルを挟んで口説き続けるデ・ニーロに、ライザ・ミネリは「No !」の台詞だけで応酬を続ける。デ・ニーロのアドリブにライザは影響を受けたという。この映画、スコセッシには失敗作だの、ミュージカルシーンを切れば秀作だのと言われているが、舞台裏を知れば知るほど僕は深みを感じるんだけどなー。

好意的でない感想もある映画だが、劇中、妻に捧げる曲として作られた表題曲New York, New Yorkの素晴らしさは、誰しもが認めるところ。フランク・シナトラもカヴァーし、日本ではビールのCM等で使われ、ご当地ニューヨーク市では非公式市歌として親しまれている。

利己的で危ないサックス吹きは、この頃のデ・ニーロのイメージそのまま。プレイする姿もカッコいい。そしてスター街道を突っ走るライザ・ミネリは、エンターテイナーとしての彼女自身が重なる。そんな根っからの表現者二人のすれ違い。切ないラストシーンが心にしみる。

ラ・ラ・ランド」(大嫌い)がこの作品へのオマージュという話もあるけれど、こっちは舞台のミュージカル場面を含む人間ドラマであって、あっちは音楽映画としてのミュージカル。あんな辛気臭いミュージカルとは違うのだよ。



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ナイル殺人事件

2022-03-06 | 映画(な行)


◼️「ナイル殺人事件/Death On The Nile」(2022年・アメリカ)

監督=ケネス・ブラナー
主演=ケネス・ブラナー アーミー・ハマー ガル・ガドット レティーシャ・ライト

待ちかねたぞ。アガサ・クリスティ生誕130年で公開されるはずが、度重なる公開延期で2022年公開となった「ナイル殺人事件」。ケネス・ブラナーによる前作「オリエント急行殺人事件」のラストで、「エジプトにお連れしないといけません」とのひと言があったから、当然の流れ(?)で「ナイルに死す」の映画化である。ピーター・ユスティノフ主演の1978年版、テレビシリーズの「ナイルに死す」回を観た上での鑑賞である。「私の人生をも変えた事件」とポアロが語るエピソード。単なる名探偵としての活躍だけでなく、ポアロ自身についても触れられるのは面白い。

ストーリーの基軸となる三角関係を冒頭示すのかと予想していた。今回のブラナー版は、まず原作には登場しない第一次世界大戦でのベルギーの戦地が舞台となる。若きポアロの機転で作戦が成功するが、救えた人を救えなかった苦い経験と傷という代償が。当時の恋人が顔に負った傷を隠すために口ひげを生やすことを提案する。ここまでがプレタイトル。「オリエント急行」でポアロの口ひげが大き過ぎるとは思っていた。パタリロ が変装する犯罪学の権威マンテル教授並の大きさ(例えが悪い😝)だけど、こういう理由があったのか、なるほど。このパートは蛇足ではなく、映画を最後まで観ると、単なる謎解きミステリー映画とするのではなく、過去の作品がやっていないポアロの人物像に迫ろうとする試みとなっているのがわかる。

そして大富豪の娘リネットを中心とする登場人物の提示。前作から引き続き登場するブークとの関係を示す必要もあるけれど、原作や他の映像化作品を知る人には、乗船までのシーンが冗長に感じた方もあったのでは。

ケネス・ブラナーのポアロは、テレビシリーズのような茶目っ気もなく、実績と自信、プライドを誇示する生真面目な探偵のイメージ。ニコリともせずに事件に向き合う姿は本作でも健在で、クライマックス近くブークを詰問するシーンでは、友人を問い詰めなければならない苦しさを感じながらも、答えを求めて攻め続ける。

ラストで「あんたの仕事は見たくなかったわ」と言われるひと言が厳しい。それは真実を突き止めるカッコよさではなく、生々しい愛憎劇とその背景を明らかにすること。それはポアロも含めて関係者にとっては知りたくもなかったことのはず。いくつかの死体と共にクルーズを終えるこの物語。他の作品では事件もあったけど、素敵な出会いもあったんですのよ的な笑顔になれる部分もあった。しかしブラナー版は徹底して生真面目。

クリスティ映画の音楽に、黒人歌手のブルースが流れるのも珍しい気がする。「地中海殺人事件」のコール・ポーターや、「ナイル殺人事件」のニーノ・ロータのイメージが強いので印象的。これだけ全編にリズムアンドブルースを流したのは、人生のほろ苦さを表現したかったからだろう。テレビシリーズのこの回でも、「愛は私に欠けているものです」とポワロはつぶやく。「ナイルに死す」はスカッとするミステリーではない。ビターな人間ドラマなのだ。




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ネイキッド・タンゴ

2022-02-26 | 映画(な行)

◼️「ネイキッド・タンゴ/Naked Tango」(1990年・アメリカ)

監督=レナード・シュレーダー
主演=マチルダ・メイ ビンセント・ドノフリオ フェルナンド・レイ イーサイ・モラレス

1920年代のアルゼンチンを舞台に、タンゴを通じて繰り広げられる男と女の物語。タイトルバックには、当時の映画スタアであるルドルフ・バレンチノの「黙示録の四騎士」が使われている。美女と踊る男を退けたバレンチノが、足が絡み合う華麗なタンゴを踊る映像にクレジットが重なる。

高齢の判事の妻となったステファニー。タンゴを踊るのが好きな彼女を、判事は「他の男と踊るな。お前はタンゴが分かっていない」と子供扱いする。ブエノスアイレスに向かう船上で、身投げする女性を目撃したステファニーは、彼女になりすまして夫の元を離れようと企てる。しかし死んだ女性アルバの嫁ぎ先のユダヤ人男性は、外国から招いた女性を娼婦として売買する裏社会の組織に関わっていた。初夜に迫ってきた男を斬りつけた彼女は、華麗な足取りの謎の男チョーロに娼館へ連れて行かれた。チョーロが興味を持つのはタンゴだけだと言う。

20年近く前に地上波深夜枠で放送された録画を自宅で見つけた。2022年2月に、初めてレンタルビデオで観た1993年以来の鑑賞。マチルダ・メイは好きなフランス女優の一人。地球外吸血鬼映画のせいでおっぱいが魅力の人と思われがちだけど、歌って踊れる才女で音楽活動もやっている。英語詩で歌ったアルバムもリリースしていて、少年のような歌声がいい。

この「ネイキッド・タンゴ」でも、マチルダのタフでセクシーなヒロインが素敵だ。チョーロを演ずるヴィンセント・ドノフリオにタンゴのパートナーとして惚れられる役どころ。目隠しで踊る場面、全裸で踊る場面、豚の血を蹴り上げながら屠殺場で踊る場面、相手にナイフを突きつけて踊る場面。ダンスシーンがこれ程スリリングで緊張感に満ちた映画ってなかなかない。チョーロにとって、踊ることは「生」であり「性」。裏社会を生きる彼につきまとう「死」を振り切るために踊るようでもある。彼が屠殺場で踊るのは、死の空気の中で生を実感したいからではないだろか。

アルゼンチンタンゴ特有の絡み合うステップ。足元をアップで撮るカットはさすがにプロがやっているのだろうが、もつれ合うようなダンスがとにかく絵になる映画。娼館の赤いライトと夜の闇のコントラストが美しい。もっといい画質で観てみたいな。

クライマックスは彼女をめぐる3人の男たちが激突。夫である判事を演ずるのは、「フレンチコネクション」の悪役で知られるフェルナンド・レイ。若い妻を愛しながらも心を掴みきれない切なさがうまい。愛を知らない男と言われるチョーロは、
「持って生まれた美貌はではなく、お前が創り出す美しさがいいんだ」
と言って彼女を抱こうとしない偏愛ぶりも心に残る。不器用な男の愛し方。抱き合って踊る血まみれのラストダンス。悲しくも美しい。
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何かいいことないか子猫チャン

2021-07-27 | 映画(な行)


◼️「何かいいことないか子猫チャン/What's New Pussy Cat?」(1965年・アメリカ)

監督=クライブ・ドナー
主演=ピーター・オトゥール ピーター・セラーズ ウディ・アレン キャプシーヌ

ウディ・アレン初期の出演作品で、脚本と助演を務めた艶笑コメディ。監督は「0086笑いの番号」のクライブ・ドナー。

ピーター・オトゥール演ずるモテモテの雑誌編集者マイケルは、女癖の悪さを精神科医ファスビンダー(ピーター・セラーズ)に相談する。ファスビンダー自身もある女性に対する悩みがあり、マイケルの恋人キャロル(ロミー・シュナイダー)に憧れる売れない画家ビクター(ウディ・アレン)も恋に深刻に悩める男。そしてマイケルに関係するあまたの女性たちがこれに絡んで、大騒動に発展する。

初期アレン作品はドタバタも楽しいけれど、話芸の面白さも魅力。さらにこの作品では、ピーター・セラーズとウディ・アレンが同じシーンで共演する貴重なシーンが嬉しい。二人とも私生活や共演者との色恋沙汰があった人でもあるし、バカもやれれば真顔もできる人。自殺しようとするセラーズの前に、正装したアレンが河辺で食事しようとやってくる姿に、会話もギャグもバカバカしいのにジーンときてしまった。

美しい女優陣に見惚れてしまう。ピーター・オトゥールの浮気癖に振り回されるロミー・シュナイダーは、他の映画でシリアスな硬い表情ばかり観てるせいなのか、笑顔がとってもチャーミング。アレンに「ジェームズ・ボンドの友人」と紹介されるウルスラ・アンドレスは、パラシュートでオトゥールが運転するオープンカーに着地する美女役。「007」の時みたいに海から現れても空から現れても、この人はすげえなw。

そして最後の最後に登場するのが、フランソワーズ・アルディ!映画出演作は少ないので貴重なシーンかも。オトゥールが思わず"子猫ちゃん(Pussycat)"と呼んでしまうのに爆笑。「女性への礼儀だよ」と言うけど、今ならセクハラ親父だよ。バート・バカラックの劇伴とトム・ジョーンズの主題歌も楽しい。


What's New Pussycat (1965) ORIGINAL TRAILER [HD 1080p]
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眠れぬ夜のために

2021-07-03 | 映画(な行)
◼️「眠れぬ夜のために/Into The Night」(1984年・アメリカ)


監督=ジョン・ランディス
主演=ジェフ・ゴールドブラム ミシェル・ファイファー ダン・エイクロイド


不眠症に悩む主人公が訪れた空港で、殺人事件が起こる。追われる女性を助けたことから始まる巻き込まれ型サスペンス。ヒッチコックが得意としたスタイルを、ジョン・ランディス監督はところどころに彼らしいベタなギャグを散りばめて、ライトタッチのサスペンスに仕上げている。
主人公はどこまでもお人好しなのか、相手が美女だからなのか、取り乱すことも声を荒げることも愚痴を言うこともなく、最後までトラブルに流されてしまった印象。そこが緊張感がやや乏しくて、映画として一般ウケはしてない理由なのかもしれない。スラリとカッコいいジェフ・ゴールドブラムの立ち姿や、セクシーなミシェル・ファイファーを楽しむにはいい映画なんだけど。


この映画が玄人向けと見られている理由は、映画人のカメオ出演の数々のせいかも。ジョン・ランディス自身もイラン人ギャング役で出演。犬を連れた老人は「大アマゾンの半魚人」のジャック・アーノルド監督、フランスから来た使用人と警察に紹介される殺し屋は「バーバレラ」のロジェ・バディム監督。麻薬の売人は特殊メイクのリック・ベイカー、会社の同僚にデビッド・クローネンバーグ、カフェのウェイトレスにエイミー・ヘッカリングなどなどランディス監督のお仲間があちこちに登場する。顔を知らない人も多いから、意地悪な言い方すれば楽屋オチでしかない。


※IMDBの作品ページ。キャストの写真と役名を確認すると手助けになるかもです。
👇


音楽はアイラ・ニューボーンが担当。映画冒頭に流れるタイトル曲と、In The Midnight HourのカバーをB.B.King御大が手がけているのは実にゴージャス。まさに、劇中出てくる派手なオープンカーに書かれた「The King Lives」だ。そっちはエルビス・プレスリーの意味だけど。エージェント役で登場するデビッド・ボウイが、これまたカッコいい。


Into the Night 1985 Trailer HD | Jeff Goldblum | Michelle Pfeiffer


B.B. King - Into The Night (1985)


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ナッツ

2021-06-26 | 映画(な行)






◼️「ナッツ/Nuts」(1989年・アメリカ)

監督=マーチン・リット
主演=バーブラ・ストライサンド リチャード・ドレイファス モーリン・ステイプルトン カール・マルデン

法廷映画には、裁判の仕組みや制度をサスペンスの材料や主たるテーマに据える作品もある。バーブラ・ストライサンド主演の映画「ナッツ」は、被告人の精神鑑定をめぐる人間ドラマ。罪を認識して償える精神状態なのか、いわゆる刑事責任能力が映画の主眼だ。NUTSとは精神異常の意味である。

高級コールガールの主人公クローディアは、つきまとう客に殺されそうになり、抵抗している最中に相手を殺してしまった。第一級殺人罪に問われた彼女を死刑にさせるまいと、両親は弁護士を雇い精神異常だと主張させる。「私はイカれてない!」と正当防衛を主張して法廷で暴れた彼女は、弁護士を殴ってしまう。代わりにやってきた国選弁護士アラン(リチャード・ドレイファス)が担当することになる。ギクシャクする二人の関係だが、彼女の辛い過去を知るうちに、アランはクローディアを理解して彼女の主張を手助けするようになる。果たして、彼女は全うに裁判を受けることができるのか。

他の法廷ものと違って、彼女は一人の人間として裁判を受けることができるのか?が映画のテーマである。つまり事件の詳細に踏み込むことない。本題に入るその前の段階で、法廷シーンいや映画はほぼ終わってしまうのだ。

これは自分を過剰に束縛してきたことから自由になって、一人の人間として裁判を受けられる権利のために戦う女性の物語。他の代表作のように、バーブラは華やかに歌うことも踊ることもない。髪を振り乱して泣き叫ぶ姿は、他では観られない迫力。彼女の演技者としての意気込みを感じる。カール・マルデンやモーリン・ステープルトンなど大ベテランが小さく見える名演だ。



Nuts (1987) Official Trailer - Barbara Streisand, Richard Dreyfus Movie HD


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ノマドランド

2021-05-26 | 映画(な行)

◼️「ノマドランド/Nomadland」(2020年・アメリカ)

監督=クロエ・ジャオ
主演=フランシス・マクドーマンド デヴィッド・ストラザーン リンダ・メイ

なんだろ、映画館を出る時のなんとも言えない気持ち。ノマド生活を送る人々の心の交流に温かな気持ちになりつつも、自分自身も寂しくて不安な気持ちになった。

リーマンショック後、住んでいた企業城下町がなくなり、地図上から街の名前さえも消えてしまった。夫の死後、キャンピングカー生活を始めた主人公。季節労働者として小麦の収穫地やAmazonの倉庫で働き、移動しながらの生活を送る人々の人間模様が描かれる。

「なぜホームレスになったの?」
「ホームレスになったんじゃないの。ハウスレスになったの」
この言葉は印象的。ホームには住んでいる場所、安心できる場所の意味があり、ハウスは外界から隔てる建造物を指す言葉。彼女が暮らす車は、映画後半でも語られるように暮らしの場所。手を加えて暮らしやすくしてきた愛着のある場所なのだ。

移動生活を送る中で、出会いと別れ、また再会がある。一方でノマドの生活に理解を示さない人もいる。親族と会う場面でもどこか距離を置かれる。

一人でいることが楽なのに、誰かとのつながりを求めてしまう。

この切なさは言葉にすると陳腐になってしまうし、ノマド生活者にしてみれば何がわかると言われてしまうのかもしれない。

このコロナ禍で観たせいか、映画から感じる切なさはとても心に響く。ステイホームが呼びかけられ、人と人が隔てられている今。人間関係の煩わしさや面倒は減って楽になった面もある。しかしそれでも日常的なコミュニケーションが激減したことは、孤独感や誰にも相談できない悩み、会えない辛さを生んでいる。

一人でいることが楽なのに、誰かとのつながりを求めてしまう。それは僕らも同じ。

『ノマドランド』予告編



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渚にて

2019-06-30 | 映画(な行)
◾️「渚にて/On The Beach」(1959年・アメリカ)
 
監督=スタンリー・クレイマー
主演=グレゴリー・ペック エヴァ・ガードナー フレッド・アステア アンソニー・パーキンス
 
社会派映画監督であるスタンリー・クレイマー作品には、これまで何度も心をを揺さぶられてきた。人種差別を扱った「招かれざる客」「手錠のままの脱獄」、人を裁くことの難しさを思い知った「ニュールンベルグ裁判」、進化論をめぐる裁判劇で劇場未公開の「聖書への反逆」(現在のタイトルは「風の遺産」)。核戦争を扱った「渚にて」は未見だったのだが、今回初めて鑑賞。
 
核戦争後のオーストラリア。世界は核汚染が広がり、オーストラリアにもその危機が迫ろうとしていた。それまでの普通の生活が送られているように見えるけれど、人類が地球上からいなくなる日は確実に近づいている。アメリカ海軍の潜水艦艦長ドワイトはパーティでモイラと出会う。妻子を戦争で失ったドワイトと寂しさを抱えていたモイラは、葛藤がありながらも次第に惹かれ合う。その悲恋を物語の軸にしながら、終末に向買う人々の心情が語られる。幼い子供を抱えた若い軍人を演じたアンソニー・パーキンスも、学者を演じた踊らないフレッド・アステアも名演。
 
60年前に製作されたこの映画が静かに訴える核への警鐘。今の視点で観ても同じことが起こらないとは到底言い切れない。残された400樽の酒と向き合って、生きていることを確認するかのように自動車レースに興じる人々。誰もいないサンフランシスコの風景にゾッとした僕らは、映画のラスト無人の街に背筋が凍る。広場で祈りを捧げていた集会会場に残された横断幕。「兄弟よ、まだ時間はある」のひと言は、切なくて恐ろしくて。製作当時から時は流れて、冷戦の終結も経た現在。それでも核爆弾は廃棄どころか作られ続けている。60年経っても人類は何も変わっちゃいないのだ。それが何よりも恐ろしい。
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