Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

007/私を愛したスパイ

2023-09-11 | 映画(た行)

◼️「007/私を愛したスパイ/The Spy Who Loved Me」(1977年・イギリス)

監督=ルイス・ギルバート
主演=ロジャー・ムーア バーバラ・バック クルト・ユルゲンス キャロライン・マンロー

小学校高学年で007映画を初めて観て、ジェームズ・ボンドこそ男子の理想像めいた刷り込みをされて育った。じゃあ小学生当時最新のボンド映画新作を映画館で観られたか、というとそうではなかった。大人のエンターテイメントである007映画で、しかもその当時の新作は「私を愛したスパイ」だよ。男と女のイチャイチャはお約束だ。さすがに小学生男児が映画館で観るには早すぎる。特に母親が性に関わる作品には目を尖らせていた。永井豪のコミックを没収されたこともある(「キューティーハニー」のレビュー参照)。

後で知ることだが、中学生以下には成人の同伴が必要とされるレーティング「一般映画制限付」が1976年に導入されている。その頃はこうした面にピリピリしていたのだろう。小学校の職員室の掃除当番だった僕は、先生向け掲示板に指導用と思われる通知が貼ってるのを見たことがある。ジョン・トラボルタの「グリース」は「中学生からが望ましい」と書いてあった。そんな風潮だもの、「私を愛したスパイ」が10代前半のガキんちょに許されるはずがない。

しかし世はスーパーカーブーム真っ只中。ボンドカーがロータスエスプリで、しかも水陸両用で潜航できて、ヘリを撃ち落とすミサイルまで搭載。これを観なくてどうする。しかし、男子小学生がこれを観るまでには、月曜ロードショーが放送してくれる数年後を待つことになる。
坊や、もう少し大きくなったらね
とバーバラ・バックに言われた気がした(妄想です)w。

2022年2月に久々の鑑賞。世界各地のロケ地風景も豪華だし、お話のスケールもデカい。悪役ストロンバーグの根城である巨大施設、殺し屋の巨漢ジョーズ。ソビエトのスパイを演じるバーバラ・バック、セクシーなキャロライン・マンロー姐さま。とにかく映画としてゴージャス。オープニングの派手なスキーアクションからとにかく派手。確かに楽しい。そりゃヒットもするさ。東西冷戦の緊張が緩和されてきた時期に製作された映画だけに、ソビエトとの共同作戦が盛り込まれたのは時代の空気の反映でもある。

今回改めて観たが、なんかノレない自分がいる。この頃から悪役がデーンと構えて悪だくみする人になって、ボンドとクライマックスで決闘するような展開がないのが理由の一つ。その傾向はこの後しばらく続くことになる。本作でそこを埋めるアクション要員としてジョーズことリチャード・キールが起用された。次の「ムーンレイカー」にも登場する人気者になる。仕掛けばかり大きくなって、ボンド本人の活躍にどうもワクワクできなかった。それは今観ても同じで、バーバラ・バックに男性として迫るところばかりが印象に残る。まさに大人向けのエンターテイメント。そりゃ小中学生向け映画にはならないよね(笑)。

僕がこの映画で気に入っているのは音楽。マービン・ハムリッシュが担当しているシリーズ唯一の作品なのだが、劇伴がオーケストラあり、ビートの効いた楽曲あり、アラビアンなアレンジのダンス曲ありとバラエティに富んでいてサントラを聴くのも楽しかった。そして、カーリー・サイモンの主題歌  Nobody Does It Betterが絶品。シリーズ全主題歌の中でも特にお気に入りの一曲なのだ。

エンドクレジットでは「James Bond will return in For Your Eyes Only」になってる…。実際は次の次。







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DEATH NOTE デスノート the last name

2023-08-14 | 映画(た行)

◼️「DEATH NOTE デスノート the last name」(2006年・日本)

監督=金子修介
主演=藤原竜也 松山ケンイチ 戸田恵梨香 鹿賀丈史 

DEATH NOTEのストーリーが僕らに投げかけるのは、世間が正義とされるものが抱える矛盾から始まって、人間の抱える危うさに及ぶ。絶対的に優位に立てる力を手にした時に人はどう壊れていくのか。そして、社会不安が防げるのなら歪んだ正義をも受け入れてしまう人間の弱さも描かれる。原作未読の僕が言うのはなんだけど、この実写映画化の前後編はそうした怖さをメッセージとして伝えることには成功しているように思える。

死神の眼を持つ第二のキラの出現で、物語がどう動くのかに興味があった。派手な殺戮場面や死神との対話もある一方で、基本は夜神月とLの頭脳戦、心理戦というのがスリリング。前編と違って、Lの施設内でのやり取りが大部分を占めるので、映画の絵面としては変化が乏しいが、その分緊張感が一気に増す。ひと言ひと言が聞き逃せない。

弥海砂を監禁する場面。ここまでやるんだ金子修介監督…と思った戸田恵梨香ファンいらっしゃるだろう。でも、金子修介監督はにっかつロマンポルノ時代に、裸のヒロインを十字架にはりつけにした人だぜ!これくらいはまだまだ!(作品名がわかる素敵な大人はコメントくださいませw😝)。そんなどーでもいいことを思い出す(笑)。

ところどころ疑問に思ったところもあるけれど、なかなか楽しめた前後編だった。長男にアニメも見るべしと言われたが、どーしよーかなぁー。人の死をたくさん見る作品は苦手なんだよなぁー。松山ケンイチ苦手だったけど、こういう振り切った役柄はほんとに上手い。






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DEATH NOTE デスノート

2023-08-13 | 映画(た行)

◼️「DEATH NOTE デスノート」(2003年・日本)

監督=金子修介
主演=藤原竜也 松山ケンイチ 鹿賀丈史 香椎由宇

人気コミックの実写版。原作未読なので、映画の再現度やストーリーの改変がどの程度なのかはわからない。そんな僕が他の作品と比べたりすることなしに、ストーリーに集中できていた。他のことを考える余裕を与えないのは、エンターテイメントとしてはよくできているってことじゃないのだろか。

死神のノートを手にしてしまった主人公が、法が裁けない悪人を次々と殺害する。何においてもそうだけど、度を越した"力"を手にすると人間は狂っていく。その過程は痛々しいけれど、藤原竜也の怪演は十二分の説得力を持っている。そして"L"を演ずる松山ケンイチの圧倒的な存在感。松山ケンイチはなーんか苦手なんだけど、この特異なキャラクターを感情を抑えて演じきるのは確かに凄い。有名どころのキャスティングも楽しいが、この二人の対決あっての面白さ。

クライマックスの舞台となる美術館は、磯崎新設計による北九州市立美術館。香椎由宇が電話をかける池のある回廊、夜神月とLが初めて出会う階段の場面もこの建物である。




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時をかける少女

2023-07-15 | 映画(た行)

◼️「時をかける少女」(2006年・日本)

監督=細田守
声の出演=仲里依紗 石田卓也 板倉光隆 原沙知絵

細田守監督の「サマーウォーズ」と「時をかける少女」はフェバリット夏映画だ。2023年夏にFilmarksが記念日上映と称してリバイバルしてくれたのはとても嬉しい。劇場で観ていなかった「時かけ」。7月13日(ナイスの日)ではないけれど、映画館で鑑賞。

奥華子の主題歌を聴くだけで泣きそうになるくらい大好きな「時かけ」。でも、実は初公開された頃、観るのを敬遠していた。筒井康隆の原作SFジュブナイルにも、大林宣彦監督の実写映画化にも並々ならぬ思い入れがあるもので、その後の度重なる映像化に疑問を感じていた。アニメで、メインビジュアルにはいかにも活発そうな少女が描かれている。これが「時かけ」?。線の細いヒロイン芳山和子、土曜日の実験室、ラベンダーの香りこそが「時かけ」というお堅い先入観を持つ僕ら世代。僕もその類だ。

(余談ですが、長女との会話)
🧑🏻「入浴剤何入れる?」
😏「"土曜日の実験室"」
🧑🏻「あー、はいはい。ラベンダー🪻ね」
"ラベンダー=時かけ"の図式は定着している(恥)。

冒頭、男子二人とキャッチボールするショートヘアーのヒロイン真琴。原作同様の進行で真琴がタイムリープ能力を持ってしまう。真琴はその能力を、不都合な出来事をリセットしたり、楽しい時間を延長するために使う。トム・クルーズのタイムリープ映画「オール…(略)」みたいに、同じ場面を繰り返すから、二度目はうまくこなす。不意打ちのテストも好成績、調理実習の失敗も、ふざけた男子の巻き添えを喰らうことも回避。その度に大口開けて高笑い。英国製タイムリープ映画「アバウト…(略)」で彼女とのイチャイチャを繰り返す場面みたいに、本人は楽しくて仕方ない。

※(略)について
なんで時間旅行(跳躍)映画って長いタイトルが多いのだらう。

あー、オリジナルの芳山和子ならこんなことはしないぞ。真琴はこの出来事を美術館に勤める独身の"魔女おばさん"に相談。するとおばさんは言う。
「真琴がいい目みてる分、悪い目をみてる人がいるんじゃないの?」
真琴は次第に自分が周囲に与えている影響に気づき始める。遊び仲間の千昭から
「俺と付き合えば?」
と言われたことから逃れようとして、事態はますますこじれてしまう。

この辺りから僕の冷めた目線は誤りだったと気付かされた。真琴のタイムリープでなくても、自分がしでかしたことで周りを不快にしてしまったり、人間関係がこじれてしまうことは、日常よくあること。真琴が置かれた状況は特殊なことなのに、僕らは自然と共感してしまっている。あの時やり直せていれば。それは誰もが思い描く気持ち。その普遍性が青春映画としての魅力につながっている。前半、能力を使う場面が楽しかったはずが、「真琴!今使うな!」と心で叫んでいる自分がいたりする。

理科室の黒板に書かれた
Time waits for no one.
歳月は人を待たず。
月日は過ぎ去っていくから、機会を失いがち。だから自分から走っていかなくちゃ。そしてクライマックスで、魔女おばさんが真琴に言う。
「待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ」
そうなんだ。自分から走って行かなくちゃ。そして真琴が走って行った先で告げられるのが名台詞。
「未来で待ってる」
時は待ってくれない。でも待ってくれる人がいる😭

僕の感涙ポイントだった一つは、魔女おばさんが「私もずっと待ってる人がいる」と言う場面。その場面で棚に飾られているのは、二人の男子に挟まれた女子高生の写真と紫色の花。ラベンダー…?あっ!😳そこで魔女おばさんが原作の主人公芳山和子だと確信するのだ。

「実はこれからやることが決まったんだ」
真琴が何をしようとしているのか詳しくは語られない。でもそれは未来の千昭が願っていることのはず。僕が思うに…いや、それは鑑賞者それぞれが思うことでいい。

奥華子が歌う主題歌ガーネットの歌詞が心に突き刺さる。もう聴くだけで涙腺が緩む🥲。今回スクリーンで鑑賞する機会に恵まれ、感激したその夜。いつものように風呂で長女が熱唱しているのが聴こえてきた。よりによってガーネットだ。ラベンダー🪻の入浴剤入れたせいだな。
🧑🏻あなたと過ごしーたひーびぃをー♪
いつもよりエコーが深く響くのは、映画の感動という余韻があるからなんだろか。




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大列車作戦

2023-06-19 | 映画(た行)

◼️「大列車作戦/The Train」(1964年・アメリカ)

監督=ジョン・フランケンハイマー
主演=バート・ランカスター ポール・スコフィールド ジャンヌ・モロー ミシェル・シモン

邦題で敬遠していた。「バルジ大作戦」や「特攻大作戦」みたいな男臭い軍人が活躍する映画だと思っていたからだ。

連合軍が迫り解放目前のパリから名画の数々がドイツに持ち去られようとしていた。プレタイトルで一人のドイツ将校がその絵画に執着しているのが示され、絵画を荷造りする様子、木箱に記される有名画家の名前が映される。絵を持ち去られないように列車を遅延させられないか、絵を守ることはできないかと訴えられた主人公とレジスタンス活動をする仲間たち。フランスの人々の命を守るために戦ってきて、多くの犠牲者を出してきた。絵のために命をかけられるか。主人公ラビッシュの本音はそこにある。しかし芸術品である名画の数々はフランスの誇りだからと言う仲間と共に危険を冒すことになる。

戦争の虚しさや人を狂気に陥らせる怖さを多くの映画で味わってきた。この映画で描かれる戦いは、決して無益なものではないだろう。しかしその為に払われる犠牲の大きさを前にして、僕らは言葉を失う。しかも列車に積まれた絵画の価値を知るドイツ将校に対して、立ち向かうフランスの人々はその絵の価値は知る由もなく、見たことすらない。自分たちが守ろうとしているものは、本当に命を賭けるべきものなのか。主人公ラビッシュは葛藤を抱えながら、計画を実行するのだ。その矛盾を突きつけられるクライマックス。失われた命の為に主人公は引き金を引く。無言のラストシーンが強烈に胸に迫る、すげえ映画だ。

列車が衝突シーンもトリックなしの本物で撮影されているから迫力が違う。埃や土砂が舞い上がって被写体を遮りそうだが、これだけの映像を収めることができたのは監督初めスタッフの執念。ドイツ軍を欺く鉄道職員の連携プレイはハラハラするが、見ていて痛快。しかしエンターテイメントに徹してはおらず、次々と犠牲が増えていく様子は、戦争の醜さを真正面から捉えている。

何のために戦うのか。執念の物語。
「英雄ぶって死ぬだけの男はバカだ」
ジャンヌ・モローの言葉が心に残る。フランケンハイマー監督はとにかくハードな男のドラマというイメージ。「大列車作戦」は、そこに反戦の強いメッセージが添えられた名作だ。





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竹取物語

2023-06-16 | 映画(た行)

◼️「竹取物語」(1987年・日本)

監督=市川崑
主演=沢口靖子 三船敏郎 若尾文子 中井貴一

市川崑監督というと、80年代育ちの僕は横溝正史ものか文芸ものを連想してしまう。でもそれらはテレビで観たものばかりで、初めて映画館で観た市川作品はこの「竹取物語」だった。かぐや姫の物語がどのように映像化されるのか楽しみで、アーケード街にある映画館に向かった。

当時の僕は、市川崑映画の光の使い方、陰影の感じがすごく気になっていたようで、当時の鑑賞メモに、偉そうにそんなことが書いてある。なんかの映画評論読んで感化されたんだろう。また監督作である「細雪」のイメージから、谷崎潤一郎作品と言えば「陰翳礼讃」、市川映画の光と陰って発想だったのかも。映画前半は三船敏郎演ずる翁の家に差し込む逆光の感じが印象深い。対して後半は、日本映画にしては派手めの特撮に目を奪われてしまった。

映画のクライマックスに現れるのは、「未知との遭遇」を思わせる巨大なマザーシップ。これまでの東宝特撮映画にはなかった、日本風なデザインの宇宙船だった。一方で、竜の首の玉を取りに向かった貴族が遭遇する、巨大な竜は、キングギドラかマンダを思わせた。この特撮の派手さが、竹取物語の本筋である出会いと別れのドラマを曇らせていたようにも思う。

三船敏郎、若尾文子の大御所が竹取の翁とその妻。かぐや姫は東宝シンデレラ、沢口靖子。どこか目の前の物事を達観してるような眼差しが、この世の人でない雰囲気を感じさせる。また、どこか周囲に溶け込まないヒロイン像(ディスってませんよ。「科捜研」でも沢口靖子ってそういう感じじゃん😜)は、映画後半の姫の戸惑いにマッチしていた気もする。帝役は石坂浩二、他にもコント山口君と竹田君、春風亭小朝、伊東四郎など芸達者も多数出演。また、平成ゴジラの超能力少女、小高恵美は本作がデビュー。オリジナルのキャラクターを演じている。

ほぼ「E.T.」やん!と言いたくなるラストに多少興ざめするが、それを補ってくれるのがピーター・セテラが歌う主題歌Stay With Me。洋楽好きはこのバラード曲でなんか許せた気持ちになってしまう。日本古来の情緒ある物語には、いろいろミスマッチなものが散りばめられているが、それも80年代らしいのかも。




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007/黄金銃を持つ男

2023-05-27 | 映画(た行)

◼️「007/黄金銃を持つ男/The Man With The Golden Gun」(1974年・イギリス)

監督=ガイ・ハミルトン
主演=ロジャー・ムーア クリストファー・リー モード・アダムス ブリット・エクランド

ロジャー・ムーアのボンド第2作。原作者イアン・フレミングの従兄弟であるクリストファー・リーが悪役スカラマンガを演じる。

ボンド殺害予告と思われる黄金の銃弾がMI6に届く。一方で太陽光をエネルギーに変える装置ソレックス・アジテーターをめぐる事件にも関係していたボンド。マカオで謎多き富豪と接触するが、そこに殺し屋スカラマンガの陰が。意外と入り組んだストーリーなのだが、飽きさせないのはロジャー・ムーアのボンド映画特有のコミカルなテイストのせい。前作のペッパー保安官再登場やドジっ子スパイのメアリー・グッドナイトがストーリーをひっかき回すことになるし、ボートでの逃走シーンで現地の子供が絡んできたり、手に汗握るはずの場面をユーモラスにしてしまう。これはこれで楽しい。

ロジャー・ムーアのボンドってまず女性ありきの傾向あるけれど、今回は言い寄られることばかり。ドジっ子スパイのグッドナイトはボンドとイチャイチャしたいばっかり。スカラマンガの情婦アンダーソンも、ボンドの部屋を訪れてスカラマンガ殺害を頼む一方でボンドを誘惑するし。スカラマンガとの決闘こそが映画のクライマックスと思いきや、グッドナイト嬢の失敗から本当の危機が。あれがなかったら、あの施設が平和利用されてたかもしれないのに。クリーンエネルギーの利用が叫ばれる今観ると、なんとももったいなく感じてしまう。

この映画、改めて観ると鏡の使い方が凝っている。スカラマンガは、屋敷に現れる殺し屋との対決を楽しむために数々の仕掛けを用意しているのだが、相手がどこにいるのか混乱させるために鏡が多用されている。時代の流行に乗っかるのがこの時期のボンド映画。舞台は香港やマカオだし、この前年に製作された「燃えよドラゴン」の鏡の間を意識したのだろうか。ベッドシーンでも鏡の向こうから危機が迫るし、踊り子の楽屋でも大きな鏡が印象的だ。その鏡に一瞬撮影クルーが映り込んでいる演出ミスがある。探してみてね。







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TAR/ター

2023-05-21 | 映画(た行)

◼️「TAR/ター/Tar」(2022年・アメリカ)

監督=トッド・フィールド
主演=ケイト・ブランシェット ノエミ・メルラン ニーナ・ホス ジュリアン・グローヴァー

ここ数ヶ月公私共に忙しくて映画館にあまり行けなかった。鬱憤を晴らすべく40日ぶりの映画館詣に選んだのは、ケイト・ブランシェット姐御の新作「TAR/ター」。

同じトッド・フィールド監督作「イン・ザ・ベッドルーム」は、受け止めたものを噛み砕いて感想をまとめるのに苦戦した映画の一つ。今回もそうなのだろうか。いきなりエンドクレジット!?から始まる意外な幕開け。仕事帰りに観る映画じゃなかったかも…との不安を感じながら長いクレジットの間にちょっとだけ眼を閉じた。

ベルリンフィルの指揮者として成功しているリディア・ターのインタビューから映画は始まる。彼女の語る音楽への持論が面白くていきなり引き込まれる。ドキュメンタリー番組を見ているみたいだ。ケイト・ブランシェットのカッコいい面をこれでもかも見せつける。映画はそこから彼女の性格や本性に切り込んでいく。

彼女が学生を相手に講義する場面は、長回しのワンカットで切れ目ない圧巻のマシンガントークが展開される。クラシック音楽は作品に向き合うもの。そこに指揮者の解釈が加わって味わいが変わってくる。バッハの私生活が気に入らないから作品に興味がないと言う男性に、容赦なく厳しい言葉を浴びせかける。自分もベートーベンは苦手だが向き合ってきたぞ、とリディアは言う。同時代にその作家と生きてる訳じゃない。作品は作品じゃないか。昨今世間で騒がれる出来事が頭をチラつく。

娘をいじめた相手にドイツ語で警告を与えるシーンの迫力。さらにレズビアンであるリディアは、オーケストラ内の人事やソリストの選抜にかなり私情が混じる。かつて指導していた若い女性指揮者とのトラブルがストーリーに絡んで、彼女の周囲は次第に騒がしくなっていく。

映画後半は精神的に不安定になっていくリディア。ささいな生活音が気になり始める。誰が触れたのか動き出した棚のメトロノーム、通奏低音のような冷蔵庫の音、呼び出し音のチャイム、ランニング途中にどこからか聞こえる悲鳴、暗い建物の陰から聴こえる水と足音、なくなった大事なオーケストラスコア。それらが彼女の不安な心を激しい行動へと駆り立てる。この描写がかなりホラー映画ぽいので、観ているこちらまで精神的に追い詰めてくるのだ。

ケイト・ブランシェットが出てこないシーンはほぼない。全編出ずっぱりで、主人公のあらゆる感情を表現し尽くす。激しくやり切ったから引退をほのめかす発言すらあったと聞く。個人的にはこれはアカデミー賞獲らせてあげたかったと思う。

クラシック音楽界をとりまく状況や知識が豊かだともっと楽しめるのかもしれない。リディアがレナード・バーンスタインが音楽について語るビデオを見ながら涙を流す場面が印象に強く残った。バーンスタインの語る言葉は彼女にとって指揮者としての心構えの原点。劇中、若いチェリストが「ジャクリーヌ・デュプレの演奏を動画配信サイトで見て感激した」と言うのに、冷ややかな反応を示す。でもこの場面で僕らが見るリディアと何が違うと言うのだろう。奏でたい、音楽を作りあげたいと思うきっかけなんて何だっていいじゃないか。

ベルリンフィルとはまったく違う演奏者と楽曲にリディアが向き合うことになるラストシーン。彼女の表情を見ることはできず、受け取り方は人それぞれだろう。僕はこれを前向きな幕切れだと理解したい。バーンスタインの言葉で原点に帰った彼女の第一歩だと。



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トランザム7000VS激突パトカー軍団

2023-05-03 | 映画(た行)

◼️「トランザム7000VS激突パトカー軍団/Smoky And Bandit Ride Again」(1980年・アメリカ)

監督=ハル・ニーダム
主演=バート・レイノルズ サリー・フィールド ジャッキー・グリーソン ジェリー・リード

バート・レイノルズ主演のヒット作「トランザム7000」の続編。70年代後半から80年代前半に自動車映画のヒット作を連発したハル・ニーダム監督による、長距離追いかけっこムービー。

トラックドライバーの名コンビだったスモーキーとバンディットに、再びテキサスの大富豪イーノス親子から荷を運ぶ依頼がくる。酒びたりになっていたバンディットを復活させるべく、スモーキーは前作のヒロイン、キャリーを呼び寄せる。かくして3人は依頼のあった積荷を確認すると、これがとんでもない"大もの"だった。彼らを追いかけるのが、バンディット逮捕に執念を燃やす保安官と、キャリーのフィアンセである息子。

積荷を運ぶトレーラーと追っ手を撹乱するためのスポーツカーのコンピ。ファイアーバードトランザムの勇姿が自動車好きにはたまんないんだろう。

映画全体を覆うのほほーんとした空気と、追いかけっこの緊張感のなさ。ウン十年ぶりにBSで再鑑賞したが、やっぱり途中からだんだんダレてくる。いつ積荷に餌をあげてるの?荷台にお医者さん載せて疾走って、大丈夫なの?そんなヤボなツッコミはしないけど、追い込まれている感じが全く伝わらないから、ただの移動にしか見えない。

初めて観たのは中学生の頃で、名作「ブルースブラザース」と二本立て。どちらもクライマックスで多くの車がクラッシュする映画ではあるけれど、破壊される車の数で観客を圧倒する映画にしか見えなかった。見たいのは遊園地を破壊する大げさなギャグじゃなくて、華麗なカースタントだと思うのだ。

救急車から放り出されたストレッチャーが道路を疾走するのを見て「ニッポンの新型車か?」とのひと言に、当時のニッポンのイメージがチラリ。身体を鍛えなおしたバンディットが「シュワルツェネッガーに間違われる」。日本語吹替の台詞をわかりやすくするためにわざとそうしたのか?。それとも製作当時からボディビルダーとして有名だったんだろか?



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トゥルーマン・ショー

2023-04-22 | 映画(た行)

◼️「トゥルーマン・ショー/The Trueman Show」(1998年・アメリカ)

監督=ピーター・ウィアー
主演=ジム・キャリー エド・ハリス ローラ・リニー ノア・エメリッヒ

ピーター・ウィアー監督は、異文化や異なる価値観が出会うことをテーマにしている方だと思う。少数民族だったり、異国人だったり、独特な先生だったり。そこで生まれるミラクルがこれまでも様々な感動を生んできた。じゃあ、「トゥルーマン・ショー」はどうなのか。

主人公トゥルーマンは、出生から成長、大人になった日々の生活を毎日ライブで放送され続けている人物だ。その型破りな番組企画は、視聴者の覗き見趣味をかき立てたのか全世界で日々視聴、いやモニターされている。本人はその事実を知らない。見世物になっているだけなのだ。プライバシーがないだけではなく、人生に勝手に干渉されて舞台となる島から出ることもできない。感動的な出来事が演出されたり、恋だってお膳立ての出会い。

何だこりゃ。番組製作者は何様だと思ってやがる。胸くそ悪い話だなと思い始めたら、トゥルーマンの日々に"共演"した一人の女性が真実を告げようとする。しかし制作陣に阻止されてしまう。トゥルーマンがイレギュラーな行動をした際にだんだんと見える世界のほころび。外の世界には人権という感覚すらないのか。番組プロデューサーは神にでもなったつもりなのか。そもそも視聴者はどんな気持ちでトゥルーマンの日々を見つめているのだろう。

そして事態が動く。結末は僕の予想を超えた。それは視聴者の反応だ。製作者が創り出した"世界"から外への出口に立ったトゥルーマン。彼が出ていけば、製作者は世界的人気者と番組を失うことになる。そこで主人公が最高のユーモアを交えたいつもの挨拶で答えるラスト。感動的だ。そう、誰がどう思おうと、これは彼の1日でしかないのだから。

そして視聴者が岐路に立つトゥルーマンの選択を喜び讃える。それは決して製作者側に乗せられているからじゃない。年配の視聴者は彼が生まれてから成長を見守ってきたし、世代が違ってもいろんな思いを抱えて過ごす毎日を共有してきた。トゥルーマンはもはや全世界の人々にとって"家族"だったのかもしれない。その後、この番組に依存してきた世界がどう変わったかは分からないし、トゥルーマンがこの先どうなったのかはわからない。でも一人の男性が一歩を踏み出して、世界が声援を送ったのは確かなことだ。

マスコミの思い上がりや、放送をただ鵜呑みにしてしまう視聴者を皮肉るテーマだとは思う。だけどウィアー監督が貫いている(と僕が勝手に思っている)"異なる価値観"という目線で考えるなら、この映画では、作り物の世界と遭遇する主人公がそうだし、作り手と受け手の違いなのかもしれないな、と考えた。多少強引かもしんないけどw。

ただ、この映画の公開当時よりも今は状況が変わっている。番組が作り手から受け手への一方通行ではなくて、いち個人が自ら動画配信して交流すら生まれている時代だ。また、現実はこの映画と同じように(防犯)カメラだらけの街に既になっている。小規模ならこの映画のようなこと出来そうな気すらする。怖いことだ。でも、変わって欲しくないのは視聴者の受け止め方。多くの人に親しまれた人気番組が終わるたびに"××ロス"なんて言葉が飛び交う。それはただ番組を受動してるじゃなくて、共感できる存在を僕らはモニターの中に探していることでもある。その気持ちだけはせめて変わらずに。






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