大学4年の冬。熊本市立図書館で未公開のドイツ映画を上映するイベントがあった。東西分断を題材にした悲劇をシリアスに扱ったもの、国が優先で国民は後回しである社会主義国の対応を皮肉ったもの。僕は見知らぬ国の現実に、それまで閉じていた目を開かされたような気がした。その後にヴィム・ヴェンダースを観ることもあり、ドイツ映画を含めたヨーロッパ映画にただならぬ興味を抱いていた。だから同じ東ドイツが舞台である「グッバイ、レーニン」も、チェコの現実を描いた「ダーク・ブルー」も大好き。
「善き人のためのソナタ」は、1984年の東ドイツが舞台。ある舞台作家を監視することを命じられた国家保安省シュタージに属する主人公ヴィースラー大尉。冒頭に彼が尋問のノウハウを学生に講義する場面。彼が使命の全うする為に冷酷になれる人物だと観客に印象づける。尋問される人の座席に敷いた布で犬用の匂いを採取する。非人道的な尋問の手順。そんな彼が命じられるのが、ある劇作家の監視。だがヘッドフォン越しに聴いた音楽や芸術の会話が彼を変えていく・・・。その劇的な変化がこの冒頭によって増幅されていく。
僕はこの映画を、もっと政治色の強い、暗くて小難しい映画だと思っていた。だが、この映画は人間をしっかりと見据えた心に響く人間ドラマ。主人公の心情が変化していく様や劇作家の葛藤を、この映画は台詞にまったく頼らずに描いていく。「映画は映像で語るもの」とは淀川長治センセイのお言葉だが、久しぶりにそう思える映画に巡り会えた。まだ30代の若い監督だと聞いたが、実に緻密に描写された映画。監視している側のヴィースラー大尉が、わざと玄関のベルを鳴らして、恋人の裏切りを知らせようとしたり、劇作家の部屋から本を持ち去ったり。そんないたずらのような行動は、やがて監視していた劇作家を、いや”芸術を愛する自由”を守ろうとする行動へと変わっていく。
国家が芸術家たちの活動を支える社会主義国故の苦しみ。劇作家は自由な表現を封じられ、女優は大臣に関係を強要される。彼らを見張る国家権力の恐さ。舞台を1984年にしているのは、監視社会の恐さを描いたオーウェルの「1984」が念頭にあるのだろうか。
観てから数日経つというのに、僕はまだ余韻に浸っている。本当にいい映画は、素敵なラストシーンをもつ。言葉少ないこの映画のラストも、きっと観た人の心に永く残ることだろう。
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