Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

日々の泡

2010-02-15 | 読書
 今年のお正月のこと。配偶者の初売り三社参りに付き合うのを拒否した僕は、別な買い物を頼まれてショッピングモールに一人で出かけた。ついでにビレッジヴァンガードに行っちゃおう。配偶者と一緒だとゆっくり見れないし。不思議なコメントつきの福袋を尻目に店内へ。本が並ぶ棚の片隅にボリス・ヴィアンの小さなコーナーが設けられていた。「日々の泡」と「うたかたの日々」しか並んでいないのだけど、そこに添えられた店員のコメントに何故か引きつけられた。僕はセルジュ・ゲンスブールの熱烈ファンであるけれど、彼を見いだしたボリス・ヴィアンについては名前しか知らない。これはきっと読むべき機会なのだ・・・と思った僕は「日々の泡」を手にレジに向かった。


 「悲痛な恋愛小説」と評されたこの本。対比というか前半と後半の落差に圧倒されてしまう。"悲痛"というのはまさに正しい表現だ。前半の恋愛描写の甘ぁい雰囲気は、恋愛小説としてはこの上ないものだ。コランとクロエがブローニュの森に向かう場面。

「あたしと会って嬉しい?」「ええ!」
ふたりは舗道を進んでいくのだった。小さな薔薇色の雲が空中から降りてきて二人の傍らに寄ってきた。すると雲は二人を包み込んだ。

恋人たちが二人だけの世界に入ってしまうことを"薔薇色の雲"と表現する。そこから続く二人がベンチで抱き合う場面もいい。

「あなたとこうしているのが好きだ。」
彼はクロエの髪の中に顔を埋めて、二人とも黙ってそのままでいた。

 僕は中学生の時、ツルゲーネフの「はつ恋」をキスシーンばっかり何度も読み返したことがある(恥)。「日々の泡」の前半はそうした気持ちを呼び起こされた。

人生でだいじなことは二つある。
かわいい女の子との恋愛、それとニューオリンズ、つまりデューク・エリントンの音楽。

ヴィアンは本の初めにそう記す。恋愛しているときは、好きなことしか見えないもの。本編に何度も登場するデューク・エリントンの「クロエ」。

Duke Ellington - Chloe


 一変してクロエが肺に花が咲く奇病に苦しむことになる後半。人生は甘い恋愛だけでない醜い面を持つことをヴィアンは描く。しかも時おり「えっ?」と思うような残酷な描写が挿入される。シックが働く工場で起こる死亡事故、クロエの病気を知ったコランがスケート場で従業員を蹴り殺す。アリーズは自分以上に本に夢中になるシックに怒り、残忍な方法で次々と本屋を殺していく。そしてクロエの死、貧乏人の葬式・・・。読んでいて前半との落差に唖然としてしまう。きっとこれもある種のファンタジーなんだろか。登場人物の心の痛みを残酷な表現に託しているのだろうか。

 働くことをバカにするような主人公たちの言動には共感できないが、素直に恋愛の面においてはこんな表現があったのか・・・と驚かされる。ヴィアンが書いたシャンソンを知らないが、きっと人生の一部を切り取って想像が広がっていくような曲なんだろうか。ちょっと興味が湧いてきた。

コメント
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