■「J・エドガー/J.Edgar」(2011年・アメリカ)
監督=クリント・イーストウッド
主演=レオナルド・ディカプリオ ナオミ・ワッツ アーミー・ハマー ジュディ・デンチ
2012年最初の映画館詣で。あれこれ迷った末、僕が選んだのは「J.エドガー」。主人公は、FBI長官だったJ・エドガー・フーバー氏。8人の大統領の下で活躍し、科学的捜査法を確立し、FBIを強大な組織にした国家的な英雄として知られる人物だ。とはいえ、この映画は彼の偉業を称えるような伝記映画ではない。クリント・イーストウッド監督は、大統領もが恐れる権力を手にした男の実像を描いてみせる。政治的の内幕を扱うお話だからオリバー・ストーン監督向きの内容かもしれない。だがきっと暴露映画的なものになり、人としての苦悩や孤独感に迫れたかは疑問だ。イーストウッド監督が手がけたことで、大統領が恐れるほどの"知りすぎた男"の実像と本音に、ヒューマンドラマとして迫ることができたのではないだろうか。しかし、全体としてはちと淡々としたムード・・・。
エドガーは権力を手にした男。しかし彼自身も力や重圧の狭間でもがき苦しんだ人だ。若くして抜擢された大きな組織の一員としてのプレッシャー。当然に仕事上でも様々な敵もいただろうし、先駆的なアイディアを実行に映すだけに様々な障害もあったはずだ。そして彼の生き方にいい意味でも悪い意味でも干渉してきた、母親からのプレッシャー。さらに彼が生きた時代のアメリカは同性愛者に対して厳しい時代。彼はそうした自分自身をもさらけ出すことができない。信頼できて苦悩を打ち明けられる存在はない。社会には認められ、自分の作ったパブリックイメージで英雄視されていても、常に孤独。個人秘書だったヘレンと右腕となったクライド・トルソンだけが彼のよき理解者。
エドガーが社会的な体裁を整えるために嫁を迎えようと考えていることを、トルソンに打ち明ける場面はこの映画の中でも白眉。仕事上の相棒であり、精神的な恋人でもあるトルソンと手を重ねて「愛している」と言葉を交わした直後。エドガーが打ち明けたことで逆上したトルソンから浴びせかけられる言葉。仕事上の右腕となる条件にされた「何があっても昼食か夕食を一緒に。」という約束。史実かどうかは知らないが、食事という微妙な距離感が二人の世間的な立場と親密な関係を物語っている。この映画の脚本は、ショーン・ペンがゲイの活動家を演じた「ミルク」を手がけたダスティン・ランス・ブラック。なるほど、巧いはずだ。
僕は学校で習う「歴史」だけでなく、「現代史」を学ぶことが必要だと思っている。今直面する社会問題、経済問題、紛争などがいかにして起こったのか。それは「歴史」でルーツを学ぶことはできても、直接的な原因や流れは学校で教わる範囲ではカヴァーできない。映画「J.エドガー」では、ルーズベルト、キング牧師、ケネディ暗殺、クライマックスにはニクソンがエドガーが持つ極秘ファイルを狙うエピソードまで出てくる。この歴史的な背景の理解があれば、僕らはもっと直面する問題について考えることができるし、外国映画を理解することができる。こういう映画を観るとその思いを強くする。時代を語る登場人物としては、シャーリー・テンプルやジンジャー・ロジャースといったハリウッドスターも。エドガーをダンスに誘うジンジャーの母親役は、「BTTF」のリー・トンプソン!80年代青春組としてはかなり嬉しい。