
■「ゼロ・グラビティ/Gravity」(2013年・アメリカ)
●2013年LA批評家協会賞 作品賞・監督賞・撮影賞・編集賞
●2013年ゴールデングローブ賞 監督賞
●2013年キネマ旬報賞 外国映画監督賞
監督=アルフォンソ・キュアロン
主演=サンドラ・ブロック ジョージ・クルーニー エド・ハリス(声の出演)
この映画を映画館で観ることは、またとない"映像体験"になる。その予感は予告編を観たとき、既にあった。次々に飛んでくる宇宙ゴミ、崩壊するシャトルのアーム、宇宙空間に飛ばされる乗組員。予告編で椅子にしがみついたのはシルベスター・スタローンの「クリフハンガー」以来かも。これは3Dで観たらすごいだろうなぁ…。結局2Dで観たのだが、ともかく映像の迫力に圧倒された。しかし「ゼロ・グラビティ」はアトラクション的娯楽作品ではない。
様々な受け止め方がある。人類と宇宙との関わりを考える人もいるだろうし、勇気ある行動をとったヒロインに感動した人もいるだろう。一方で単純な筋書きを物足りなく思った人もいただろうし、映像の凄さは堪能したけど3D向けの見せ物にしか見えなかった人もいただろう。いずれにしてもその原因は「ゼロ・グラビティ」が観客に"感じる"ことを求める映画だからだ。しかしその感じ方がそれぞれに異なる。スクリーンに映し出される映像に、常に"驚き"と"感激"を求める観客にはアトラクションでしかないかもしれない。それぞれの場面に込められた意味や監督が目指したテーマを"読む"ことをしたい観客には、そのシンプルなストーリーだけにますます表現の裏側を読むことに夢中になっていく。極端に二分した観客の反応や感想は、映画で"感じる"ことの個々の違いによるものだろう。どちらが正しいとか高尚だとか言うつもりはない。だって映画は見せ物。その裏側に深読みしたがるかどうかは個人の勝手だもの。
それにしても、一人芝居でひとつの作品が作られるなど誰が考えただろう。映像の美しさや技術はこれをしのぐものが出てくるかもしれないが、90分の上映時間をほぼ一人で演じきる大胆さこそがこの映画の魅力だし、映画史上に残る試みだと言える。カメラワークが素晴らしく、地球を俯瞰する第三者的な視点になったかと思えば、ヘルメットの中にいつしか入り込む主観ショットになり、それが再び外に出て人物の動きを追っていく。それが長回しのワンシーンという大胆さ。ステーションの中を異動する場面や、血液や涙、炎が空間を漂う無重力状態の表現にも驚く。気密服を脱いだ主人公が胎児のようなポーズでステーション内に浮かぶ場面の美しさ。どうやって撮ったのだろうと素直に驚く。地球に帰還したヒロインが地面に立ち上がる姿がなんと感動的なことか。ただ立ちあがるだけなのに。
私事だが、僕はこれを観た日、モーレツに落ち込んでいた。全編を観終わって、僕はとんでもなく勇気付けられた。それはアクション映画を観た男性が妙に興奮するようなものとは違う。それは、これ程の危機に陥りながら生きる為に人は行動できる…ということ。しょせん映画は虚構だとわかってるし、単館系を好む僕が日頃敬遠しているハリウッド映画なのも重々わかっている。でもヒロインが直面する危機や困難に比べたら、今自分が悩んでることなんて実は大したことないじゃないか。素直にそう思ったのだ。映画って観る人の心持ちで印象が大きく変わることがある。それも観客の勝手ではあるけれど、そんなブルーだった気持を前向きにさせてくれたのは"映画の力"だし「ゼロ・グラビティ」の魅力。それは疑う余地もない。

