■「LUCY ルーシー/Lucy」(2014年・フランス)
監督=リュック・ベッソン
主演=スカーレット・ヨハンソン モーガン・フリーマン チェ・ミンシク
リュック・ベッソンご乱心。"人間は脳の機能を10%しか使っていない"という事実をもとに、もっと覚醒したらどうなるか?と妄想の翼だけを過剰に広げまくって撮ったサスペンス映画。映画冒頭から単刀直入に物語は進行し、主人公ルーシーがどんな人物なのか、物語の背景は、悪役はどんな連中なのか、一切語られない。コリアンマフィアによって合成された薬を体内に埋められたルーシー。その強力な薬が体内に漏れ出し、彼女の脳は覚醒する。処理能力を増した彼女の脳は、自分の髪の色を変えたり、相手の動きを止めたりは当たり前。事件を追うフランス警察の刑事を強引に協力者にした彼女は、脳科学の研究者の元へ。その間にも脳の活動域は拡大を続け、電磁波の流れを感じてしまったり、細胞がもつ記憶を遡れるのかついには時間を超えて過去を見ることすらできるようになる。彼女を追うコリアンマフィア一味が迫る中、彼女は自分がいた証を残そうとする・・・。
89分の上映時間にやりたい放題の映像を詰め込んだベッソン監督。血液中を駆けめぐる薬剤のイメージ。神の視点とも言える地球誕生の瞬間。誰が何をやっても敵わないような能力を身につけてしまうルーシー。確かに何も考えずに映像を楽しむにはよい映画なのだが、疑問に思えることやツッコミどころも見過ごせない。ギャングたちを天井に張り付けてしまうほどに重力を操れたりするし、電波や電子機器を操れたり。「自分の脳内データをダウンロードする」と約束して最後に博士に渡すのは、なんとUSBメモリー1本!。そりゃないでしょ。
リュック・ベッソンは、フランス映画にハリウッドのようなエンターテイメントや派手なアクションを持ち込んだ。「ニキータ」や「レオン」がそれだ。しかし、それらは単なる娯楽作ではなくてヒューマニズムと愛があった。一方、「グランブルー」では台詞よりも映像から染みだしてくる情感に涙させられた。「フィフス・エレメント」のようなド派手な作品こそあれど、この絶妙なバランスがベッソン監督のすごさだと思っていた。これで引退と一時は宣言した「エンジェル」で、従来のフランス映画離れしたこれまでの作風から一転。それはフランス、いやパリという街への愛を込めたファンタジーだった。
その後、製作会社を立ち上げたベッソンは、今本当に映画製作を楽しんでいるように思える。この「ルーシー」は、映像にしたいとベッソンが思ったことを素直に撮っている無邪気さを感じる。「ジュラシックパーク」よろしく恐竜が襲ってきたり、英知を得る前の人類に「E.T.」のように触れたり、まるでスピルバーグへのオマージュ。これを"遊び心"以外の何と呼ぼうか。
そしてラストシーン。ルーシーは人知を、形あるものを超越した存在となる。アニメ「攻殻機動隊」に出てくる意識だけの存在(ゴースト)が、ネットという広大な海に消える場面を彷彿とさせる。人によっては、誰にも知られることのない存在へと変わっていった魔法少女みたいに感じられた人もいたかもしれない。クライマックスで巨大なコンピューターを形作るルーシーは、まるで「AKIRA」ではないか。ベッソンはジャパニメーションをも意識していた?。その真意はわからないが、これもベッソンの無邪気な遊戯なのは間違いない。そしてルーシーは"千の風"になった(笑)。宝石のような形をしたドラッグによってヒロインが昇華する。ドラッグソングとしても名高い、ビートルズの"Lucy In The Sky With Diamond"・・・ってところまで深読みするのは、映画同様悪ノリなのかも(笑)。