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キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

猿の惑星:新世紀(ライジング)

2014-09-20 | 映画(さ行)

■「猿の惑星:新世紀(ライジング)/Dawn Of The Planet Of The Apes」(2014年・アメリカ)

監督=マット・リーヴス
主演=アンディ・サーキス ジェイソン・クラーク ゲイリー・オールドマン ケリー・ラッセル

 前作「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」が、予想以上に素晴らしい内容、表現だった。続編の監督は「モールス」のマット・リーヴス。オリジナルへの敬意をきちんともつ人だと「モールス」を観て思っただけに、この人ならきっといい続編だろう、と期待していた。公開されて早速劇場へ足を運んだが、いやはや70年代の旧シリーズへのリスペクトが感じられて、本作も見応えのある秀作だ。

 前作から10年が経ち、シーザー率いる猿たちは集落を形成して平和に暮らしていた。そこへ数年ぶりに人間と遭遇。生き残っていた人々は、電力供給の為にダムを再び稼働させようとしていた矢先だった。シーザーの仲間の子供が銃の犠牲になってしまう。しかしシーザーは一度人間と戦えば、自分たちの築いた今の状態を保てなくなると主張し、人間との戦いを望むコバの意見を抑え込んでいた。人間との共存を模索するシーザーは、監視下でダムの復旧を許すのだが、技師の一人が密かに銃を持ち込んでいたことから信頼が損なわれることに。一方コバは人間たちが銃器の準備をしている拠点を発見。シーザーにそれを訴えようとする。コバはかつて実験動物として人間から散々な目に遭わされた過去をもつ(第1作)。やがて銃を手にしたコバは、シーザーを密かに撃ち、人間との戦いを扇動する。からくも助かったシーザーと仲間たちは、戦いを止めることができるのか・・・。

 今回の「新世紀」は、旧シリーズの第5作「最後の猿の惑星」「アルゴ」でベン・アフレックの子供がテレビで見ていたよね)が物語のベースになっている。猿たちの社会では"猿は猿を殺さない"ことで秩序が保たれていた。しかし、知性を身につけた猿たちが意見の違いから反目することになり、やがて戦争へと突き進んでいく。

 僕ら観客は目の前で展開されるこの物語にいつしか真剣に引き込まれていく。前作の「創世記」で描かれた人間との共存の難しさやテクノロジーへの警鐘だけではなく、猿たちが戦争という狂気へと向かっていくことが描かれる。シーザーにはシーザーの正義があり、コバにはコバの正義がある。人間にしても、徹底的な悪役がいる訳ではない。その相容れない思いが大きな戦乱につながる悲劇を描いている。僕らはこの映画を単にお話の上の悲劇として胸を苦しくしているのではない。僕らは猿たちに"人間"を見る。人間が繰り返してきた戦争という愚行が、お互いの主張や意見を受け入れられない不寛容から起こっているということは、この映画がまさにシュミレーションしてくれているところだ。スクリーンのこっち側では、日々平和を揺るがしかねない様々なニュースが流れている。エスカレートする異民族間の紛争、政治的なスタンスの違いによる反目、戦争をしないために戦争ができる国にしようとする政治家。それぞれの正義はある。だけど、それが行き着く先って何なのか。猿たちの視点での表現が可能となった「創世記」「新世紀」2作品に漂う悲壮感は、旧シリーズで感じたものとはひと味違う。「創世記」のラストシーン、ウィルスが世界中に蔓延する様子を無言で表現した怖さ。「新世紀」が示した戦うことの虚しさ。物語のベースとなった「最後の猿の惑星」を、"ショボい"と言ってしまった自分をちょっと反省。スピリットは継承され、より深くなっていく。続きがあるとしたら、人間と猿との大戦争が起こる大作になっちゃうのだろうか。"Dawn of the ・・・"というタイトルに「ゾンビ」映画が頭をよぎったもので(汗)、続編をますます期待してしまうのだった。

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