■「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐/Starwars Episode lll : Revenge Of The Sith」(2005年・アメリカ)
監督=ジョージ・ルーカス
主演=ユアン・マクレガー ナタリー・ポートマン ヘイデン・クリステンセン
1977年の第1作(エピソード4)公開から28年。あのとき10歳だった少年は、宇宙の闇へと遠ざかっていく文字と共にそのまま銀幕の世界に引き込まれ、こんな文章を書くような輩になっちまった。そしてそこに詰め込まれた数々の映画の醍醐味をもっともっと理解したいと思うようになり、他の様々な映画にも目が向くようになった。そして様々な映画を通じて得た感動や知識が、世界を広げてくれたし、時に僕を勇気づけてくれさえした。「スターウォーズ」がこの世に登場しなかったら、きっと今の僕はないと思うのだ。それは間違いない。ありがとう。劇場の暗闇でエンドクレジットを見つめながら、ひとつの時代が終わったような喪失感にひたっていた。しかし映画ほど素敵なショーはない、そしてこれからもショーは続く。
いろんなSF映画が銀幕を飾ってきたけど、どうして「スターウォーズ」だけは別格なんだろう。オープニングの戦闘機の宇宙戦の圧倒的な物量や、巨大船のスケール感を見るだけでもそう思ってしまう。今回のエピソード3は、「ファントム・メナス」からの3部作の最終章。エピソード4につながる様々な謎が明らかになるのにはやはり興奮させられる。前2作と比べると格段にスケールアップしており、しかもドラマティック。アナキンが道を踏み外すのは思ったよりも呆気なかったが、そこからのドラマが素晴らしい。前2作はルーカスが技術に溺れて製作したような感じすらあったのだけど、今回はドラマ部分に重きが置かれているだけに見応えは一番。特にラストのアナキンとオビワンの死闘、パルパティーンとヨーダの対決は圧巻だ。ライトセーバーの群衆チャンバラだった「エピソード2」と違い、登場人物それぞれの思いがそこに込められているから、アクションシーンが胸に迫ってくる。アクションシーンで泣ける、そんな映画が他にあるかい?そこが根底から違う。
今回の3部作はルーカス自身の脚本であり、協力者はいない。エピソード4~6ではローレンス・カスダンが協力しており、ひとつひとつの台詞がよく練られているように思う。エピソード2でも思ったが、どうしても台詞が直球なのね。銀河を揺るがす恋のはずが「愛してる、愛してる」の羅列では深みがない。エピソード3もやはり直球な台詞の応酬だけど、登場人物の思いが極限まで高まっている状況だからそれが妙に感動的に聞こえる。「”選ばれし者”だったのに!弟のように愛していたのに!」と叫ぶオビワンに目頭が熱くなった。ナタリー・ポートマンの台詞「拍手の中で民主主義が崩壊した」が、ブッシュ政権批判?と話題になったがこれだってかなり直球。登場人物が言うべき台詞とも思えなかったけど。ダースベイダーのマスクが着けられる場面。最初の呼吸音が場内に響いた瞬間、背筋がゾクッ!とした。そしてタトウィーンの夕陽を再び見たとき一気に涙腺がゆるみそうになった。ありがとう、「スターウォーズ」。エンドクレジットのジョン・ウィリアムスの音楽が終わるまで席を立つべからず。感慨にふける人々がそこにはたくさんいるのだから。
(2005年筆)