◾️「さらば愛しきアウトロー/The Old Man And The Gun」(2018年・アメリカ)
監督=デヴィッド・ロウリー
主演=ロバート・レッドフォード ケイシー・アフレック シシー・スペイセク ダニー・グローヴァー
監督=デヴィッド・ロウリー
主演=ロバート・レッドフォード ケイシー・アフレック シシー・スペイセク ダニー・グローヴァー
銀行強盗と脱走を繰り返すフォレスト・タッカー。銃をチラつかせるが決して誰もが傷つけないし、その紳士的な振る舞いに、襲われた銀行の人々も悪い印象を持っていない。彼は犯行を楽しんでいる。担当の刑事ジョンも、彼と知り合った未亡人ジュエルもフォレストに次第に好感を抱いていく。そしてフォレストと仲間たちは金塊を狙った新たな仕事を企てる。
"ほとんど実話"という触れ込みなのだが、ドキュメンタリーぽく実際のフォレストを見せることもなく、レッドフォードが演じるというハリウッドの魔法で"創られた物語"感が支配する。ナレーションでも入れそうなところを、青い背景に文字でその後を示す演出はふた昔前くらいの映画みたいだし、歳を重ねた男女のやりとりも、銀行に押し入る場面で繰り返されるやりとりにもすっかり僕らの気持ちは乗せられる。現実逃避しに映画館に来てる時に、厳しい実話は見たくない。同じ実話でも、劇場の重い扉の向こう側を忘れさせてくれる粋な演出と演技があれば、観てよかった!って気持ちになれる。これはそんな映画だ。
ロバート・レッドフォードが演じてきた役柄。西部のお尋ね者、詐欺師、グレート・ギャツビー、華麗なるヒコーキ野郎、金庫破り、新聞記者、軍人、政治家、元ロデオチャンピオン、元野球選手、奥さんを一晩貸してと申し込む大富豪エトセトラ。とにかくダサい印象は全くないが、どれも「普通の人々」(初監督作のタイトル)ではない。「老人と銃」と題された彼の俳優引退作に添えられた「さらば愛しきアウトロー」と言う邦題。近頃は説明くさい邦題が多い。これも銀行強盗と脱走を繰り返す老主人公を説明したに過ぎないかもしれないけど、レッドフォードのフィルモグラフィーを前提にすると、どこか映画愛さえ感じられるじゃない。
さらに血まみれホラーヒロイン、自殺願望刑事の相棒、ダミ声歌手と懐かしい顔ぶれ。長く映画ファンやってるとこういう再会が嬉しくなる。
エンドクレジットが終わって、重い扉の向こう側へ。サマーシーズンの映画館はお子ちゃまだらけで、一気に現実に引き戻される。でもこの5番シアターを出る中年男たちは、どこか胸を張っている気がした。レッドフォードの引退作に犯罪者役はふさわしくないなんて言わないで欲しい。これはレッドフォードもその役柄を愛したアウトロー、「明日に向かって撃て!」のサンダンス・キッドの花道でもあるんだから。
"ほとんど実話"という触れ込みなのだが、ドキュメンタリーぽく実際のフォレストを見せることもなく、レッドフォードが演じるというハリウッドの魔法で"創られた物語"感が支配する。ナレーションでも入れそうなところを、青い背景に文字でその後を示す演出はふた昔前くらいの映画みたいだし、歳を重ねた男女のやりとりも、銀行に押し入る場面で繰り返されるやりとりにもすっかり僕らの気持ちは乗せられる。現実逃避しに映画館に来てる時に、厳しい実話は見たくない。同じ実話でも、劇場の重い扉の向こう側を忘れさせてくれる粋な演出と演技があれば、観てよかった!って気持ちになれる。これはそんな映画だ。
ロバート・レッドフォードが演じてきた役柄。西部のお尋ね者、詐欺師、グレート・ギャツビー、華麗なるヒコーキ野郎、金庫破り、新聞記者、軍人、政治家、元ロデオチャンピオン、元野球選手、奥さんを一晩貸してと申し込む大富豪エトセトラ。とにかくダサい印象は全くないが、どれも「普通の人々」(初監督作のタイトル)ではない。「老人と銃」と題された彼の俳優引退作に添えられた「さらば愛しきアウトロー」と言う邦題。近頃は説明くさい邦題が多い。これも銀行強盗と脱走を繰り返す老主人公を説明したに過ぎないかもしれないけど、レッドフォードのフィルモグラフィーを前提にすると、どこか映画愛さえ感じられるじゃない。
さらに血まみれホラーヒロイン、自殺願望刑事の相棒、ダミ声歌手と懐かしい顔ぶれ。長く映画ファンやってるとこういう再会が嬉しくなる。
エンドクレジットが終わって、重い扉の向こう側へ。サマーシーズンの映画館はお子ちゃまだらけで、一気に現実に引き戻される。でもこの5番シアターを出る中年男たちは、どこか胸を張っている気がした。レッドフォードの引退作に犯罪者役はふさわしくないなんて言わないで欲しい。これはレッドフォードもその役柄を愛したアウトロー、「明日に向かって撃て!」のサンダンス・キッドの花道でもあるんだから。