◼️「火口のふたり」(2018年・日本)
監督=荒井晴彦
主演=柄本佑 瀧内公美
男女が惹かれ合った時のどうしようもない感じ。あの雰囲気が描かれる映画は嫌いではない。2019年のキネ旬1位「火口のふたり」。ひたすら交わって、食べて、寝てを繰り返すだけの映画。確かにその通りだ。でもそれ以上の何かキュンとくる何かが僕の中に残った。
荒井晴彦監督作や脚本の映画も、昔からたくさん観てる訳ではない。でも改めてフィルモグラフィーを見てみると、そういえばなんとも言えない男と女のドラマに胸が苦しくなった映画がいくつかある。例えば僕が20歳前後で観た「恋人たちの時刻」と「ひとひらの雪」(どちらも脚本担当)。エロ目的で観に行ったのに胸に残ったのは、切なさと恋愛に走った大人たちのなんとも言えない言動。お堅いお坊ちゃんだったつもりはないが、恋愛に走った大人って、どうしようもねえなと思った。でも、今ならわかる気がする。そういう立場になれば誰だって何も見えなくなるものなんだ。
ほぼ二人芝居の「火口のふたり」もそう。結婚を間近に控えた直子とそのいとこである賢司。二人はかつて激しく愛し合った仲。一晩だけあの頃に戻ってみない?と直子が言ったことから賢司も気持ちに火がつき、結婚相手が戻ってくるまでの五日間を一緒に過ごす。その数日間を淡々と刻んだ映画である。多くの人が言うように、食べて、セックスして、寝てを繰り返す映画。それが売りのはずなのに、激しいプレイもなく、性に溺れていく感じもない。関係は微妙な危うさがあるけれど、同じ時間を過ごしているどこにでもある男女の姿。
正直なところ、観る前は「愛のコリーダ」が頭にあった。5日間を過ごした男女が道ならぬ愛の果てに心中でもするんではなかろうか、と思っていた。ところが、映画は二人の様子をひたすら追い続ける。どれだけお互いを理解でき、身も心も許し合える存在なのかに二人が気づく5日間が映される。腹痛でお尻を押さえてトイレに駆け込む直子のカッコ悪い姿、久しぶりのセックスで腫れたペニスを濡れタオルで冷やす賢司のカッコ悪さ。それはお互いになら見せられるカッコ悪さ。一緒にいることの心地よさが「身体の言い分」という言葉で表現されるけど、それって肌が合うってことなんだ。「身体の言い分」って生々しいけど素敵な言葉の選び方のように思えた。
エンドクレジットで流れる不思議な歌。「とても気持ちいい」という言葉だけが高らかに繰り返し歌われて、笑っちゃいそうになった。でも、結局二人でいて心も身体もとても気持ちいいと思えるのは大切なこと。世界がどうなろうとも。全裸がこんなに出てきて、お互いの股間をまさぐるような場面が続く映画なのに、悶々とせず、どこか晴れやかな気持ちで終わりを迎えられるって不思議な感覚。万人にお勧めはしないけれど、決して嫌いではないかな。