◼️「流浪の月」(2022年・日本)
監督=李相日
主演=広瀬すず 松坂桃李 横浜流星 多部未華子
15年前の少女誘拐事件の加害者とその被害者である元女児。文と更紗の二人は思わぬ再会をすることになる。事件から時が流れても世間が二人に貼られたレッテルが剥がれることはない。"あんなことしたヤツ"と"あんな目に遭ったかわいそうな子"。しかし実際は、親を亡くして親族の家にいた少女が、当時19歳だった彼の家から帰ろうとしなかったのだった。二人の間には二人にしかわからない絆があった。
心に刺さる言葉がたくさん出てくる。
「人は見たいようにしか見てくれません」
「私、そんなにかわいそうな子じゃないよ」
「最終的に逃げる場所のない子」
「ボクはハズレですか」
それらの言葉が意味するものいろんなレビューで読んでしまうよりも、まずは本編を観て感じて欲しい。
世間からは理解されない存在、関係の二人を象徴的に表現しているのが、本編に登場する文学作品。文が読んでいたポーの詩集には、他の子と違うと感じている自分が出てくる。それは文が共通の気持ちを感じる存在だった。そして10歳の更紗が読んでいたのは「赤毛のアン」。両親を亡くした少女が文章の中にいたのだ。でもアン・シャーリーのように人と人をつなぐ少女にはなれなかった。自分と関わったことで、文を犯罪者にして、人生を壊してしまったのだから。
マスコミやネットが流す情報のあまりにも強大な影響力。その表面的で憶測でしかない情報がすべてだと信じる人々。それがデジタルタトゥーや興味本位の雑誌記事となって、二人にずっとつきまとい、押し潰してくる。その恐ろしさと悲しみ。タナダユキ監督の「ふがいない僕は空を見た」にも同じように描かれる嫌がらせの様子は見ていてキツいし辛い。
こういう陰湿な状況が描かれる映画って、不思議と外国映画ではなく日本映画に多いように思える。しかもけっこうな数の作品がこうしたテーマに触れている。それだけ現実は病んでいると悲しく思えるけれど、人間関係を掘り下げ問題提起して、高いクオリティの作品を生み出して評価されてもいる。製作されて世に示すことの意義を感ずる映画たち。しかしながら派手なエンターテイメントこそ映画と思っている人々にはその良さはなかなか届かなくって、日本映画は面白くないと言われてしまう。せめて現実を離れてスクリーンに向かう間だけは、陰湿なものを目に触れさせないで欲しいって気持ちもあるだろう。それでもこの映画に触れてみたら、そこには日常への気づきが必ずあるはずだ。
広瀬すずと松坂桃李の繊細な演技が素晴らしい。DV野郎を演ずる横浜流星はそのキャラの危うさだけでなく、弱さまで演じきって見事。クライマックスで文が示したかったこと。映像で示された結末、人と人がつながれない悲しみに息を飲んだ。
心に刺さる言葉がたくさん出てくる。
「人は見たいようにしか見てくれません」
「私、そんなにかわいそうな子じゃないよ」
「最終的に逃げる場所のない子」
「ボクはハズレですか」
それらの言葉が意味するものいろんなレビューで読んでしまうよりも、まずは本編を観て感じて欲しい。
世間からは理解されない存在、関係の二人を象徴的に表現しているのが、本編に登場する文学作品。文が読んでいたポーの詩集には、他の子と違うと感じている自分が出てくる。それは文が共通の気持ちを感じる存在だった。そして10歳の更紗が読んでいたのは「赤毛のアン」。両親を亡くした少女が文章の中にいたのだ。でもアン・シャーリーのように人と人をつなぐ少女にはなれなかった。自分と関わったことで、文を犯罪者にして、人生を壊してしまったのだから。
マスコミやネットが流す情報のあまりにも強大な影響力。その表面的で憶測でしかない情報がすべてだと信じる人々。それがデジタルタトゥーや興味本位の雑誌記事となって、二人にずっとつきまとい、押し潰してくる。その恐ろしさと悲しみ。タナダユキ監督の「ふがいない僕は空を見た」にも同じように描かれる嫌がらせの様子は見ていてキツいし辛い。
こういう陰湿な状況が描かれる映画って、不思議と外国映画ではなく日本映画に多いように思える。しかもけっこうな数の作品がこうしたテーマに触れている。それだけ現実は病んでいると悲しく思えるけれど、人間関係を掘り下げ問題提起して、高いクオリティの作品を生み出して評価されてもいる。製作されて世に示すことの意義を感ずる映画たち。しかしながら派手なエンターテイメントこそ映画と思っている人々にはその良さはなかなか届かなくって、日本映画は面白くないと言われてしまう。せめて現実を離れてスクリーンに向かう間だけは、陰湿なものを目に触れさせないで欲しいって気持ちもあるだろう。それでもこの映画に触れてみたら、そこには日常への気づきが必ずあるはずだ。
広瀬すずと松坂桃李の繊細な演技が素晴らしい。DV野郎を演ずる横浜流星はそのキャラの危うさだけでなく、弱さまで演じきって見事。クライマックスで文が示したかったこと。映像で示された結末、人と人がつながれない悲しみに息を飲んだ。