3年前に書き込んでいた記事「爺さんの引き出し」を、コピペ、リメイク?、再編集?してみた。
(ネットから拝借イラスト)
gooブログ「カテゴリー」は 爺さんの「引き出し」
光陰矢の如し・・初めて「ブログ」なるものを始めてから、もうじき10年になる。10年前は、まだ自営業を続けていた頃で、仕事柄、PC、インターネットは活用していたものの、プライベートでは SNS等にはまるで無縁、IT音痴、ブログについても、「ブログ?って なんのこっちゃ?」レベルの爺さんだった。当時、朝日新聞に「初めてのブログ」?等という記事が連載されていたことが有って、「PCさえ有れば、誰でも簡単に始められますよ・・・」等という、甘い?誘い掛けに、なんだか良く分からないまま、開設してしまったというブログなのである。
そんなブログを、よくもまあ 10年も続けてきたものだと我ながら驚きもしている。
「十年一昔」という言葉が有るが 10年前に、今の自分の暮らしを想像出来ていただろうか。ほとんど変わっていない部分もあれば、まるっきり変わってしまった部分も有り、さらに言えば、未だに生きていること自体、感慨無量となってしまう。
ブログを開設した目的みたいなことについては 何度も反芻してきたが、当初から、記憶力減退甚だしく、「昨日、今日のことを忘れない内に書き留めておこう」、「過去の記憶の欠片を炙り出して、これまで生きてきたあしあとを、出来る限り書き留めてみよう」等という思いが働いたような気がしている。とても自分史等という類のものを書く才等無しながら、ブログという媒体に断片的に書き込んでいけば、「塵も積もれば山となる」で、なんとなく自分史的になるかも知れない・・・等と、かってに思い込んだものだった。「他人様に発信し、他人様と交流する」というブログ本来の機能を差し置いて、一貫して、自分自身のための「記憶補助ツール」、「備忘録的雑記録」の類と決め込んでいるブログである。とても他人様にお見せするような代物ではないが、公開されてしまうものである以上、それなりに緊張感を伴い、出来る限り誤字脱字に注意したり、体裁を考えたりしているが、10年経っても一向に進化せず、開設当時から、ほとんど変わっていないなとつくづく思っている。
その日その日のことや過去のことを、日記や備忘録(懐古録)として、もしその気になって、旧来のように紙面に認め、保管したとしたら、年々膨大な量になり、大変なことになることは目に見えており、それは、いずれゴミと化し、遺された者の手を煩わすことになる。では、では、ということで、日記や日誌の類も、PCで・・・ということになるが、自己管理出来ない人間、いい加減な性分には、なおざり、おざなり、三日坊主?になること必至。その点、ブログは他人様に公開する日記、備忘録(懐古録)のようなもの、緊張感が違うし、ある意味励みにもなる。いい加減な性分でも、継続出来るのではないかと思い込んだものだったが どうやら当たっているようだ。
当初からそんな考え方をしていた分けではないが、いつからか、そんな日記のような、日誌のような、雑記録のような、懐古録のような、単なるメモのような書き込み記事を、gooブログの「カテゴリー」に詰め込むように、なっている。gooブログの「カテゴリー」は、自分が生きている間の「引き出し」。いずれ残された者が、ブログ解約手続き等すれば、一瞬にして片付いてしまう「引き出し」のような存在だと思っているのだ。今の時代、それでいいのではないか・・・等とも思っているところだ。
昨日のこと、1週間前のこと、1ケ月前のこと、1年前のこと・・・まったく記憶があてにならなくなっている老脳、「ブログ内検索」等で、過去記事を引き出せるgooブログは、いろいろ確認する時に大いに役立ち、今や、爺さんの「記憶補助ツール」として、有難い存在になっているのである。
「日残リテ 昏ルルニ 未ダ 遠シ・・・・」
(藤沢周平著「三屋清左衛門残日録」より)