「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると すっかり喪失してしまっていた記憶が 断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(以上 コピペ文)
その30 「ふせばり」
昭和30年(1955年)6月3日、水曜日、天気 晴、
1限目 図工、モザイク、
2限目 数学、分数、
3限目 習字、東西文化交流、
4限目 そとそうじ(外掃除)、
1、明日から 田植え休み、10日まで、
2、選挙ポスターの部の3等として 僕が賞状と賞品をもらった、
3、父 (勤務先を) 休む、
4、自転車で 学校に行った、
5、ふせばり えごい(うぐい) 1匹、
帰家(宅) 12時半、
図工の時間の「モザイク」とは、未だに覚えているが、各自 家から卵の殻(カラ)を学校に持って行き、それを砕いて細かくし、1片、1片に絵の具(ポスターカラー?だったかな)で色付けし、その細片を予め用意した画用板の絵の上に糊(ノリ)で張り合わせていくものだった。根気のいる作業だったが、出来上がったモザイク模様の絵の表面にラッカーニスを塗ると、なかなかのものになったような気がする。
後年になって、写真等の一部をぼかす手法を「モザイクを掛ける」等と言われることを知るまで、M男は 「モザイク」と言う言葉からは 図工の絵をイメージしていたものだ。
「明日から 田植え休み、10日まで」と 書いてある。
4限目は 校庭、校舎周りの掃除をしたようだ。
M男の通っていた北陸の山村の中学校では 毎年 田植えが集中する時期に1週間程の「田植え休み」が有った。生徒のほとんどが農家の子供で有り 田植えや稲刈り等の農繁期には 1人前の労働力として、家の手伝いをするのが当たり前だった時代、学校も、それに合わせていたものだったのだろう。
後年、北陸の山村の田植え時期は、どんどん早くなり、5月上旬、ゴールデンウイーク前後に変わっていることを知ったが、当時は、梅雨の初期、6月上旬だったということだ。
因みに、秋の稲刈りが集中する時期には、「稲刈り休み」も有った。その分、「夏休み」や「冬休み」は、都市部の中学校より、短かったのだと思う。
「選挙ポスターの部で3等になった」と書いてある。記憶曖昧だが、当時、図工の教師の方針だったのかどうか、「緑化週間」「選挙」「勤労感謝の日」「文化の日」・・等々をテーマにしたポスターをやたら描かせられたような気がする。もしかしたら県や郡でコンクール等していたのかも知れないが、不得意科目の図工で、表彰されて喜んでいたようだ。
当時、M男の家には 父親が隣リ町の印刷店兼文房具店へ通勤するための自転車1台しかなく、自転車に乗りたくてウズウズしていた頃であり、夕方父親が帰ってくるのを途中で待ち構え、奪うように乗り回していた頃だったが、その日は、多分 田植えの準備等で勤めを休んだのかも知れない。でかい荷台の付いた黒く、重い自転車だったが 学校へ乗って行ったようだ。
「ふせばり、えごい 1匹」と書いてある。
M男達が、「ふせばり」と言っていたのは、夕方、石ころの多い川に出掛け、細い竹棒の先に、ミミズ等の餌を付けた釣り糸を縛りつけた簡単な仕掛けを、膝下位の水深の箇所に、何個かの石で固定しておくものだった。「伏せておく針」という意味合いなのだと思う。翌朝、登校前に、魚が掛かっているかどうかを見にいくという子供の遊びだったが、この日、当時、M男達は 「えごい」と呼んでいた魚(正しくは 「うぐい(石斑魚)」)が 1匹、掛かっていたようだ。
ウグイ(石斑魚)
(ネットから拝借画像)