映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

チェ 39歳別れの手紙 

2009年02月10日 | 映画(た行)
信念は死なない
            * * * * * * * *

革命後のキューバにとどまっていれば安泰な暮らしが保障されていたチェですが、
彼は自らに新たな役割を課し、ボリビアへ旅立ちました。
カストロの元に別れの手紙を残し、キューバから姿を消したのが1965年。
ボリビアへの入国が1966年です。
当時ボリビアは大統領の独裁政権で、農民は圧制と貧困にあえいでいた。
チェはここで、キューバ革命の経験を生かし、
同じやり方で革命を目指したわけですが・・・。

ボリビア共産党の支援が絶たれ、ゲリラ軍は孤立。
なんとも胸の痛む敗走となってしまいます。
キューバ革命の二の舞を恐れたアメリカが、
躍起となってボリビア政府に加担したのですね。
言ってみればアメリカの大資本に負けたのかも知れない・・・。
しかし、そのアメリカが今、このような映画を作ったわけですから、
歴史というのは不思議で皮肉です。


武力闘争の是非については、いろいろあります。
私とて、これに諸手を挙げて賛同はしかねますが、
最後まで、自らの理想に向かい全力を尽くす、
決してブレないその生き方を、尊敬しあこがれます。


映画のエンディングにはレクイエムの歌声が流れ・・・
そして、最後のエンディングロールは無音でした。
キャストやスタッフの名前が、
ひたすらに無音の中、流れていくだけ。
チェを亡くした喪失感の中に、ほとんどの観客が最後まで浸っていました。

2008年/スペイン・フランス・アメリカ/133分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:ベニチオ・デル・トロ、カルロス・バルデム、デミアン・ビチル、ヨアキム・デ・アルメイダ

チェ 39歳別れの手紙 予告編



ベンジャミン・バトン 数奇な人生

2009年02月09日 | 映画(は行)
誰もが孤独な自分の道を歩んでいる

            * * * * * * * *

80歳で生まれ、次第に若返っていく不思議な運命の男、ベンジャミン・バトン。

予告編で観た時から、心引かれ、公開を心待ちにしていました。
2時間47分と、とても長い作品ですが、まあ、1人の男の一生を描くわけですから、長すぎるということはありませんよね。
生まれたときから老人。
しかし、彼は老人ホームで育ったため、不思議と周りと違和感なく成長するんですね。
・・・成長する・・・つまり、彼の場合、少しずつ若返っていくのですが。
そんな時に出会ったのが少女のデイジー。
それから二人は時を経て、出会いを繰り返します。
どんどん若くなり、力がみなぎっていくベンジャミン。
美しく成長し花のようなデイジー。
しかしまた、そこから次第に年をとり衰えていくデイジー。
どうあっても、結局、時は二人に同じように流れていきます。
だから二人が出会う一瞬一瞬が、かけがえのない、貴重なものなのです。
ちょうど二人が40代くらいのころ、二人の時が重なるのですね。
愛し合う二人。
しかし、それもつかの間・・・。


年をとり次第に衰えてやがて死を迎えることと、
どんどん若返り子どもになり、自分の意識も保てなくなってゆくこと・・・、
どちらが恐怖でしょうね。
いつまでも変わらないではいられない、人生の痛み。
それはどちらも同じですね。

ベンジャミンが生きるのは1918年(一次大戦の終り)から21世紀つまり現代にかけて。
舞台は大都市ではなくて、ニューオリンズ。
そのせいか、なんだか、全体にかけて不思議な懐かしさがあります。
それは、この不思議な生を生きる彼を取り巻く人々が、思いのほか温かだからなのかもしれません。
1人、他の人とは全く別の人生を送る、確かにそれは孤独だとは思うのだけれど、でも結構いい人生でしたよね。
養父母やホームの人たち、船長さん・・・。
多くの人たちに支えられて。


私はこういう「時」の不思議の話に弱いのです。
このストーリーはF・スコット・フィッツジェラルドの短篇が原作だそうですが、「ジェニーの肖像」の話にも少し似ています。
こちらは、時折現れる少女がほんの少しの間にどんどん成長し、
大人になっていくというストーリー。
このミステリアスなストーリーに魅了されて以来、この手の話が好きなんですよねえ・・・。

この映画が、このようなありえない話を題材にしていながら、
単に「世にも奇妙な物語」で終わっていないのは、
そのしっとりした叙情性もありますが、
作り物めいた感じがしない特殊メイクの技術も支えになっていますね。
本当に、自然でした・・・。
どうやってあんなふうに造るのだろうなんて、余計なことは、
観ている間ははあまり気になりません。
老け顔のメイクはまあ、これまでもいろいろありました。
でも、今回いっそう驚いたのは、若返りメイク。
(メイクというよりはCGの威力なのかも知れません)
あの、「ジョーブラックによろしく」の時みたいに若いブラピがいるんですよ!
・・・ため息が出ちゃいます。

そしてまた、この映画では見かけは老人だけれど、
実は子ども・・・という複雑な部分がありますよね。
それを、ブラピがうまく表現していたと思います。
70歳くらいの老人の目が、子どものように好奇心に満ちてキラキラ・・・いたずらっぽくもある。
また、美しい青年の彼は、しかしもう疲れ果て倦んだ目・・・。
余韻の残る作品でした。

2008年/アメリカ/167分
監督:デビッド・フィンチャー
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントン




映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」予告



アパートメント

2009年02月08日 | 映画(あ行)
アパートメント(ユニバーサル・セレクション2008年第11弾)【初回生産限定】 [DVD]

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

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恋焦がれるあまりの女の嘘に翻弄されて・・・

                * * * * * * * *

ちょっぴりスリリングなラブ・サスペンス。
主人公マックス(ヴァンサン・カッセル)は、
昔付き合っていた彼女、リザ(モニカ・ベルッチ)が忘れられない。
リザはなぜか2年前突然姿を消したきりになっていた。
マックスはその後ニューヨークへ渡っていた。
パリへ戻り、婚約者もいるマックスだが、
ある日、カフェでリザを見かけ、ますますその思いが募る。
やっとリザの住んでいるアパートを探し当てていってみると、
なんとそこにいたのは全くの別人だが、彼女も「リザ」と名乗る。
初めから、見かけた相手を間違っていたのか・・・?
しかし、実はその「リザ」と名乗る女性は、
マックスの友人リュシアン(ジャン・フィリップ・エコフェ)の彼女アリスだということがわかってくる。
込みいった人物関係と、際どいすれ違い劇。
いったいどうしてこのような不思議な状況に陥っているのか・・・。
切ないラブストーリーでありつつ、サスペンス的要素を持たせ、
目が離せない展開となっています。

つまりは、女性のあまりにも思いつめた恋心が作り出した嘘。
しかし、このことはそれぞれの人物の運命を少しずつ狂わせて行くことになるのです。
・・・けれど、問題の根っこは、どうもマックスの不実な心にあるように思えるんですね。
そういう、一見情熱的で誠実風な男、
しかし深いところでは単に移り気で状況に流されるだけ
・・・というしょうもない感じを、さすがヴァンサン・カッセル、うまいですね。
そして、嘘に嘘を重ねる自分自身を哀れと解っていながら、
やめることができないアリス。
この女の切なさ、怖さもたっぷりでした。

でも、この映画は全く雰囲気を変えて、ドタバタコメディに仕立てても面白いと思うんですよね。
そういう、あまりにもわざとらしいすれ違いなんかもあったりするので。
こうなった時の、マックスとリュシアンの会話などはかなり笑えるものになりますよ。
マックスのいう「変な女」とリュシアンの彼女が同一人物とは知らず、続く会話・・・。
そういう描き方もありかなあ・・・なんて想像してしまいました。

しかし、本編はあくまでもシリアスで、かなり皮肉な結末となっています。
同じ題名の韓国のホラー作品がありますので、お間違えなきよう・・・。

1996年/フランス・イタリア/111分
監督:ジル・ミモーニ
出演:ロマーヌ・ボーランジェ、ヴァンサン・カッセル、モニカ・ベルッチ、ジャン・フィリップ・エコフェ


「就活のバカヤロー/企業・大学・学生が演じる茶番劇」 石渡嶺司・大沢仁

2009年02月07日 | 本(解説)
就活のバカヤロー (光文社新書)
大沢仁,石渡嶺司
光文社

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「焼肉の生焼け理論」とは・・・
皆で焼肉を食べる時、さっさと食べないと他の人に食べられてしまう可能性がある。
そこで、本当は十分焼いて食べたいのに、
誰かが生焼け状態で手を出すと、皆もあおられて生焼けに手を出す。
・・・これではおいしくないと誰もが思っているのに、
我慢して、結局誰も満足できない。

著者は、昨今の就職活動がこれと同じ状況に陥っているというのです。
今時の就職活動は大学3年の秋ごろから始まる・・・
というので、私は驚いてしまいました。
そんな当たり前のこと、何をいまさら驚いているのかと、若い方にはあきれられてしまいそうですね。
・・・どうも昨今、そういうことにあまり関係しない生活をしているもんですから・・・。
しかし、そんな私でも、
この本に描かれている昨今の就職事情には、
大変興味を持って読ませていただきました。

・・・しかし3年の秋からもう就活ですか。
やっと大学に入って遊んで羽を伸ばしたと思えばもう、就活。
これではいつ勉強するんだか。
・・・ということで、このことは大学側にも不評だそうですが、
しかし、学生の就職状況は大学の評価にもつながるということで、無視もできない。

就職情報誌も、大きな問題をはらんでいて、
学生はみなこれに踊らされているというのです。
面接のための傾向と対策。
そんな記事のために、学生の答えはどれも同じ。
そしてまた、非常にイタい自己PR・・・。
ということで、この本のカバーの漫画がしゃれていますよ。

面接担当 「君の強みを教えてください」
学生    「 ハ・・・ハイ・・・・・。
        コ・・・コ・・・コミュニケーション能力 ば、ばつぐんです・・・・・・・・」
       (汗いっぱい、おどおどした顔、目の下にクマ)

笑っちゃいますね。

とにかく著者は就活においては、
企業・大学・学生が茶番劇を演じているとし、
「気持ち悪い」といっています。
それなのに、誰もこれを正そうともせず、ますます状況が悪くなるばかり。
こんな「バカヤロー」な状況に、まず異を唱えようというのです。

しかし、この就職活動の波に乗れなければ、後は派遣などの非正規雇用。
いまやそれは大変危うい状況となっていますし、
この昨今の不景気で企業の新規採用状況も良くないとなれば、
異を唱えている場合でもないのかなあ
・・・と、暗澹たる気持ちになってしまいます。
まずは、政府の雇用対策を期待したいですが・・・
どうも、あの方では・・・。

誰もが生きがいを持って働くことのできる世の中。
そうであって欲しいのですけれど・・・。

満足度★★★☆☆

 


「魚舟・獣舟」 上田早夕里

2009年02月06日 | 本(SF・ファンタジー)
魚舟・獣舟 (光文社文庫)
上田 早夕里
光文社

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私にははじめての作家ですが、SF作品ですね。
この本は短篇5編+中篇1編。
なにやら、この物語性のありそうな題名とイラストにつられて読んでみました。

短篇はどれも、「滅びの国」がテーマのように思えます。
現代文明が終焉の時を迎え、何か他の「もの」が、世界を制覇しようとしている。
でも、そんな中でもまだ残っている人々は必死に生きようとしている。
かつて、自分たちが謳歌し、ほしいままにしていた世界。
失われた繁栄への郷愁と、この世の寂寥。
それでも生きていくことのいとおしさ。
全体を通じて、このような雰囲気が漂っているように思えました。


表題の「魚舟(うおぶね)・獣舟(けものぶね)」。 
現代社会崩壊後、陸地の大半が水没した未来世界。
そこに、魚船・獣船と呼ばれる異形の生物が、
人類と深いかかわりを持ちながら生息している。
人類は、ほとんど原始に近い生活に戻っているのかと思えば、
話はDNAのことにまで及んでいき、
かつて積み上げた科学は失われてはいないことが解る。
この世界観は、「ナウシカ」の世界観に近いかもしれませんね。
全くの異世界であるにも係らず、なんだか郷愁を感じてしまう。
そんな不思議で切ないストーリーです。


最後の中篇「小鳥の墓」は、他の短篇と少しイメージが異なります。
ここに出てくるのは「ダブルE区」という教育実験都市。
他の地域と隔絶された、理想の平和な街。
住む人は厳選された「正しい行い」をする人々で、
子どもの非行を防ぎ、思いやりのある優しい子に育てるのが目的。
誰もが「いい人・いい子」で、学校にはいじめも存在しない。
何か少しでも問題を抱えていそうな子には、
周りの大人たちも絶えず目を配り、言葉をかけ・・・。
そんな街に住む、「僕」は、しかし、毎日がつまらなく、生きている気がしない。
級友ともなじめない。
・・・しかし、同様にいつも1人でいる「勝原」に誘われ、
ある日こっそり「外」の街に抜け出るのだが・・・。
「僕」が次第に壊れていく様が、納得できてしまう。
お手軽なヒューマニズムはぶっ飛んでしまう、ビターな作品です。
これは彼女のデビュー長編「火星ダーク・バラード」の前日譚であるとのこと。
機会があれば読んで見ますか・・・。

「魚船・獣船」

満足度★★★★☆


パルプ・フィクション

2009年02月05日 | 映画(は行)
一流の三流小説

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タランティーノ監督を一躍有名に仕立てた作品。
パルプ・フィクションというのは、アメリカの安っぽい犯罪小説をいうんですね。ここに登場するのはギャングたちで、バイオレンス炸裂、やたら血なまぐさい。
さすが、タランティーノ監督。
しかし、この作品の面白さはそういうB級っぽいストーリーでありながら、
構成が計算されつくしているところなんですね。

大きくは3つのストーリーで構成されています。

◆ヴィンセント(ジョン・トラボルタ)とジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)のコンビが、仕事をするうちに弾みで無関係の人を撃ち殺してしまい、
その後始末に右往左往・・・。
プロの始末人までいてなかなか愉快。

◆ボスであるマーセルの若き妻ミア(ユマ・サーマン)の食事の相手をおおせつかったヴィンセント。
しかし、ミアが麻薬過剰摂取で意識を失い・・・。
あの、若き日のジョン・トラボルタの名残り。ダンスシーンあり。

◆ボクサーのブッチ(ブルース・ウィリス)はマーセルに八百長試合を持ちかけられ、負けるはずのところを勝ってしまった。
マーセルからの報復は・・・?


・・・そうして、冒頭と最終のシーンがつながるというユニークな構成。
登場人物たちの関連と皮肉な運命。
全く目が離せない展開で、2時間半の長さですが、全然長く感じません。
第一、このキャストの豪華さ。
これで面白くなかったら、インチキともいえますね。
全く三流であるはずの話を一流に仕立てた、
これぞ監督の力なのでありましょう。
サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールスのエピソードもいいんですよ。
真正面から銃で何発も撃たれたのに、
弾は一つも当たらず、無傷で済んでしまった。
このとき彼は運命を感じるのです。
これは神の仕業か・・・・?
「俺はもう足を洗う。神を感じるまで、さすらいの旅に出る。」
この映画の中ではきらりと光る言葉でした。

1994年/アメリカ/155分
監督:クエンティン・タランティーノ
出演:ジョン・トラボルタ、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマン、ブルース・ウィリス

パルプフィクション



エレジー

2009年02月03日 | 映画(あ行)
美しさ・若さの前で臆する老いた男

            * * * * * * * *

初めて予告編を見たときに、ちょっと「うっ」となりました。
ペネロペ・クルスとベン・キングスレー?
この組み合わせがあまりにも異色に思えてしまいました。
しかしです、これは結構身にしみるストーリー。

大学教授であるデヴィッド(ベン・キングスレー)は、
とうに家庭も捨てて、気ままに女友達と遊ぶ、そんな生活を続けてきていました。
もう老人といっていい年齢。
ある日学生のコンスエラ(ペネロペ・クルス)の美しさに魅了されてしまう。
念願かない、親密な関係に・・・。
二人には30もの年の差がある。
コンスエラは生きることや恋にひたむき。
彼女の若さ、美しさ・・・、デヴィッドにはまぶしいのです・・・。
卒業パーティーに招かれ、
そこで彼女の親や親戚に紹介されることになったものの・・・。
デヴィッドは臆してしまうのです。
テレビ出演もする、世間的にも評価されている人物にもかかわらず・・・。

デヴィッドは、彼女の若さや美しさ、打算の無い愛が怖いのです。
もうあまり未来のない自分が、
彼女の明るく未知数の未来を、引き受けてしまう自信がない。
また、世間も、当然そのように見て、自分を非難するだろう
・・・そのように思われて。
年をとっても自分は自分。
体は衰えても、心のありようは同じ。
・・・そんなつもりでいたはずが、
「老い」はいつの間にか心にも忍び込んでいる。
また、常に彼の愚痴を引き受けてくれていた友人が亡くなってしまうのですが、
その、取り残された寂寥感もじわじわと来ます・・・。

私は女ではありながら、
この映画中ではコンスエラよりもデヴィッドに自分を重ねていました。
私も年ですね・・・。
なんだか彼の心境の方が、良くわかる。
逆に若い人にこの作品の感想を聞きたい気がします。

それから、ここにもう1人、デヴィッドの古くからの付き合いの女性が登場します。
彼女も、彼との付き合いはセックスだけと割り切って、
これまでお互いの気持ちとか将来についてなど話したこともなかった。
でも、最後の方でほんのちょっぴりそんな話になるんですね。
デヴィッドの方が友人を亡くした寂しさもあって、彼女に寄り添おうとする。
けれど、彼女はそれをかわすのです。
ここのところも、お見事。
私はすごく彼女の気持ちがわかるんですよ。
もうずっと前から彼女は「お一人様の老後」の覚悟ができているんです。
いまさら情にほだされて、お荷物の坊やの世話なんかしたくない。

老いても夢を持とうとか、夢に年は関係ないとか・・・、
そういうテーマの映画はたくさんあるのですが、
この作品はもっとリアルに「老い」を捕らえ、えぐりだしているように思います。
だからそれに近づく私などにはとても身にしみて・・・、
「レボリューショナリー・ロード」に引き続き、物思いにふけってしまいました。

そしてこのストーリーのラストなのですが・・・。
一見ハッピーエンドなんでしょうかね?
でも、あの先はどちらとも取れますね。
ハッピーエンド好きの私が言うのも変ですが、
私は、二人はやはり別れるような気がするのです。
コンスエラの美しさが損なわれることで、
まるでデヴィッドの「老い」とつりあって収まってしまうかのような・・・、
そのような安直な結末は良くない気がする。
ここは最後までつりあってはいけないんじゃないか。
「老い」はやはりデクレッシェンド。
そのようないさぎよい終末であるべきと、私は思います。

デヴィッドがゴヤの絵画「着衣のマハ」にコンスエラが似ている、というシーンがあります。
ペネロペ・クルスは、まさにそのゴヤのもうひとつの作品「裸のマハ」の映画に出演していますよね。
そのような引っ掛けもまた、ちょっとおしゃれでした。

2008年/アメリカ/112分
監督:イザベル・コイシェ
出演:ペネロペ・クルス、ベン・キングスレー、ピーター・サースガード、デニス・ホッパー


映画「エレジー」予告編



迷子の警察音楽隊

2009年02月02日 | 映画(ま行)
無言の「間」に漂うユーモアと悲哀

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1990年代のイスラエルが舞台。
エジプトのアレクサンドリア警察音楽隊が、文化交流のため、イスラエルの空港に降り立った。
しかし、来るはずの迎えがいつまで待っても来ない。
やむなく、路線バスに乗り、目的地へ行こうとしたのだけれども、
似た地名との間違いで、全く見当違いの寂れた田舎町についてしまった。
もう今日のバスはないといわれ、途方にくれる音楽隊の面々。
そこへ手を差し伸べたのは、小さな食堂の女主人で、
とりあえず彼らが分散して泊まる手はずを付けてくれた。

私も、あとで解説を読んで知ったのですが、
エジプトとイスラエルはその少し前まで敵対関係にあったそうなんです。
まあ、だからこそ、あえての文化交流でもあったわけですね。
宗教も、言葉も違う。
だから彼らは、あえてお互い不得意な英語を介して意志の疎通を図ります。
それにしても話が弾まないことったら・・・!
警察音楽隊、というだけあって、もともと妙にまじめな人が多かったのかも。
何を話題にしていいかも解らないし、英語では思うように話せないし・・・。
そこで、妙に無言の「間」が多くなってしまうのですが、
その「間」がなんだか妙におかしいのですね。

音楽隊のメンバーも、決してみな仲が良いわけではないのです。
それこそまじめでコチコチで、しかしリーダーとしては優柔不断、そんな団長さん。
それに反発する若い団員。
いつまでも指揮をさせてもらえないNO.2。
一方、受け入れるイスラエルの町人のほうも、
喧嘩が絶えない夫婦、
女性との付き合い方が解らない青年、
こんな田舎はつまらないと思っていたり・・・
ぎこちない一夜を過ごしながらも、
お互い似た様な悩みを持って、同じような歌が好きで、
・・・と、じんわりと共感が沸いてくるのです。
そう、生きることの悲哀への共感。

彼らが迷子になること以外、特に大きな事件があるわけではありませんが、
ユーモアと悲哀の漂う作品。
じっくりとご覧あれ。

2007年/イスラエル・フランス/87分
監督:エラン・コリリン
出演:サッソン・ガーベイ、カリファ・ナトゥール、ロニ・エルカベッツ



迷子の警察音楽隊



チャイルド44 (上・下)

2009年02月01日 | 本(ミステリ)
チャイルド44 上巻 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社

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「このミステリーがすごい!」2009年版海外編、第1位となった作品。
読んでみると、なるほど、納得の圧倒的面白さでした。
これがこの著者の処女小説というのは驚きです。


ここには、ある同一人物の犯行と思われる連続殺人事件が描かれています。
それも、子どもばかりが残虐な手口で殺される。
このような設定だけなら、どこにでもありますね。
このストーリーのすごいのは、
それがスターリン体制下のソ連が舞台というところなんです。
この"理想の国”では誰もが平等で、犯罪など存在しないというのが建前。
それなので、もともと国家にとって”不要”とされる知的障害者や
レイプ犯などが容疑者として捕らえられ、
いとも簡単に処刑されて、それで一件落着となってしまう。
この犯行がかなり広範囲の地で起こったため、
その連続性に気づかれないまま、
そのつど適当な犯人がでっち上げられて、
真犯人が野放しになっていたというんですね。
一見荒唐無稽にも思えるこの話は、なんと実話で、
52人もの少年少女の犠牲者が出た、というのが驚き。
この本はこの事件に着想を得て、年代を少しずらして描かれているのです。

そしてまた、ここでの探偵役がなんともユニークですよ。
もともと、国家保安省の敏腕捜査官であるレオ。
ひたすら職務に忠実なことだけを心がけてきたこの非情な男が、
ある罠にはまり、片田舎の民警へ追放される。
そこで、この犯罪の連続性に始めて気がつくのです。
そして、この事件の真犯人を探し出そうとするのですが・・・。

どれも、一応国家の名において処理済の事件なんですよ。
これを掘り起こして、覆そうとすることは、つまり国家への反逆罪にあたるのです。
思わず絶句してしまうこの皮肉な社会の仕組み。
レオは真犯人を追うと共に、
国家保安省つまり彼の元の同僚から、命がけで逃れなければならない。
本当にドキドキ・ハラハラの連続です。

スターリン体制・・・、本を読む限りでは強烈な恐怖政治です。
まるで中世の魔女狩りのように、
少しでも何かの疑いがもたれたら、
捕らえられ、拷問にかけられ、自白を引き出し即処刑。
ソ連崩壊のときに、スターリン像が引き倒される映像がよく流されていましたっけ。
何もそこまでしなくても・・・と実は私は思ったのですが、
実際はこのストーリーほど極端でないにしても、
人々がそうするには、それなりのわけがあったのだなあ・・・と、いまさら思うわけです。
そしてまた、単なるハードボイルドではなく、
このレオとその妻の関係の変化や、
誰もが体制の力を恐れる中でも、徐々にレオの行動への協力者が現れる
・・・など、心が熱くなるシーンもあり、
すばらしく読み応えのある本となっています。

そうそう、肝心の真犯人像というのも、驚きに満ちています。
あまりのみごとさに、読後しばらくぼーっとしてしまいました。

世界中でヒットしているこの本。
ロシアでは発禁だそうです・・・。
リドリー・スコット監督で映画化も決定だそうで。
なんとも楽しみですね!

満足度★★★★★★(←星は五つで満点ではなかったか?)