ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ダンス教室発表会に刺激を受けた!

2018-10-20 09:06:27 | アート・文化

 きっと混むだろな、無料駐車場、無理だよなぁ、きっと。着いてみりゃ、やっぱなぁ満車。近くの有料駐車場に乗り入れたものの、駐車スペースなしで車が何台も右往左往してる。こりゃぐるっと回って出口に直行か?っと、半ば諦めかけたら、通路横にわずかなスペース、えいっ、通行の邪魔にゃならんだろ、ここに止めちまえ! 

 会場の入り口入れば、花束の山!受付の関係者とお客さんでごった返している。そうだろ、そうだろ。可愛い娘や孫が踊る発表会だもの、家族から親戚一同総出だろうさ。友達だって来てるだろうしな。客席の方も8割方埋まってる。700人ってところかな。羨ましい!菜の花座もいつかこんな満席の熱気に煽られるような公演打ちたいもんだよ。

 舞台はまず小学生の子たちの可愛らしいダンスから。みんな一生懸命踊ってて、めんごいねぇ、と、じいちゃんの視点で目を細める。が、そんな優しいいたわりの気持ちで見続けるわけないよ、俺が。ついつい視線が向かうのは照明。地元舞台サービス会社が一手に引き受けていて、ここは自前でムービングライトを持っているんだ。自由自在に色も形も変わり、目まぐるしく美しいシーンを作っていた。これまた、羨ましい!

 が、それはないものねだりってもんだ。何か盗んでいけるものはないか?と感性を研ぎ澄ます。あるぞ、あるぞ、音楽だ。K先生の選ぶ音楽は本当にセンスがいいんだ。葉加瀬太郎風のものから、サンバ、さらにはテクノまで、斬新だが、耳に心地よい音が次々に続いた。残念なのは、使用音源についてのクレジットが一切ないことだ。まあな、この大観客の中で、この演奏者知りたい!なんて渇望してんのは俺ぐらいのもんだろうからね。

 センスが良い、ってことだけじゃない。どの曲も一つの三次元世界を暗示しているんだ。ああ、この音からなら芝居が作れる、物語が書ける、そんな意欲をかきたてて来る音たちなのだ。そうか、そういえば、以前はよく、音楽に触発されて台本書いたものだったよなぁ。ヴァン・モリソンの「マザレスチャイルド」をどうしても使いたくて、臓器移植用人間の屈辱と復讐の物語『マザレスチャイルド』を書いたし、『聞き耳族の少女』は東欧の音楽を全面に散りばめて、深い森に妖精のメルヘンを描き出した。そうだ、そうなんだ!音楽のイメージ喚起力って強烈だったんだ。

 忘れてた、あの3.11以降、身近に溢れていた音楽がどこかに遠ざかってしまってたんだ。あの時以前、身の回りには音楽が溢れていた。車に乗れば常にCDから音が流れ、新たな音楽との出会いを求めて、欠かさず音楽番組をチェックしたりしていた。年に数度東京に出れば、立ち寄るのはタワーレコード!売り場でお勧め視聴版を聞きながら半日粘って過ごしていた。今はどうだ?

 菜の花座の芝居に音楽はある。でも、ザ・ピーナッツだったり、山本リンダだったり、とうとう今回なんざ、美空ひばりに笠置シズ子だよ。ダメだ、ダメだ。懐メロに寄り掛かるようじゃダメだ。もっと、空想世界を立ち上げて行くくらいの力を持った音楽を聞かなくっちゃ。自分の出来合いの鈍い感性を揺さぶってくれるような新しい音と出会わなくっちゃ。

 K先生の振り付けには、音楽からインスパイヤ―された身体表現が満ち溢れている。見上げる少女たちの視線の先に、あるいは希望が、あるいは切ない憧れが宿っている。屈めた姿勢には悲しみや静謐が。照明の束の中に刺し上げた何本もの腕には抑圧から抜け出そうとするもがき苦しみが満ちていた。音楽を深いところで聞き取り、その精髄をダンスに昇華する。いいものを見せてもらった。

 音楽を聴こう!身体の表現に鋭く反応しよう!怠惰な今を鞭打たれる貴重な2時間だった。

 

コメント
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