朝仕事、すっかりはまっちまったぜ。ギンギンギラギラ真っ向勝負のお日さんに面と向かうこたぁないものな。朝の涼しいうちに一稼ぎ、身体の方も覚えちまった。
一つは、夜、ニュース番組を見なくなったことがある。なんか、世の中、うんざりだしなぁ、一日の終わりに改めてチェックなんてする気力が失せた。台本書きに集中せにゃ、って自己規制も働く。深酒も控えなくっちゃな。で、必然、今までよりちょっぴり早寝になった。で、当然、早起きになった。
昨日、今日、朝仕事は田んぼの畔草刈りだ。そんな草ぼうぼうってわけじゃないが、イネもせっせと穂を出し受粉に励んでいることだし、周囲をきれいにして、風通しだけでもよくしてやろうか、ってね。すっきりきれいになった畔、ほうれ、イネが心地よいって囁き合ってるぜ。取り敢えず、畔だけ刈ればいいんだが、やはりここは田に接する道路の法面もきれいにしておこうかい。お盆だしな、帰省の人たち、久しぶり故郷なんだから、荒れ果てた道端を見せるわけにもいかんだろ。
所有権からすれば、道路の両脇はすべて公有地、都会的業務分担で考えりゃ、県や町に整備の責任はある。そいつは、彼らも分かっていて、忘れた頃に草刈り作業車が回ってくる。が、そんな年に一度のアリバイ作りで、旺盛な草を抑えられるはずがない。だってなぁ、今回で畔草刈り4度目なんだから。代掻き前、田植え後、除草機押しの時期、そして、穂が出た今頃の計4回だぜ。
なにも家だけのボランティアなんかじゃない。道路沿いに田畑作ってる農家なら、どこでもしていることだ。田畑に接する道路法面は、その家の整備区域、もう昔の昔から引き継いできている常識以前のことだ。農家の習慣に支えられて、道路の環境は整えられている。いや、道路ばかりじゃない。水路だってそうだ。ここらの水路は、農業用水と同時に各家の下水路でもあり、火事が起これば、消火放水のため池となる。その用水がの周囲を草刈りして水が滞りなく流せるようにしているのも、農家だ。もちろん、農家だけの仕事じゃないが。
なっ、小さな農家の自主的作業があって、この地の暮らしは成り立っているってことなんだぜ。それをさぁ、一部の大規模農家だけに農地任せちまったらどうなる?道路沿いや水路脇の整備はすべて公共事業になってくるんだぜ。どうだい?今の金なし行政で賄えるかい?あるいは、手間かけないように、除草剤で一気に枯らす!なんて、とんでも!なことになって行くんだぜ。
農家を経済性だけで判断しちゃなんねえのさ。暮らしがあって、地域が成り立つ。そこまで含めて農家の有用性だってこと、早く気付かねえととんでもないことになるぜ。あっ、もうなってるか。