締め切り、1週間延ばしてもらった。さすがにあの炎暑の中を猪突猛進するのには無理があった。盆過ぎて、大気も爽やかになって、やっとすいすいと筆が、おっと、タイピングが進んだ。
昭和15年、太平洋戦争突入の1年前、満州を舞台にした。それも、戦地慰問の旅役者一座。菜の花座の持ち味、歌や踊りをすんなりはめ込むには、この構成が必要かな。戦争どんどん泥沼化して、国民精神総動員なんて色気も味わいもまるでない時代、始まって、世の中大衆演劇どころじゃなかったからね。慰問に出かけたことにすりゃ、大手で降って歌ったり踊ったりできるってことさ。
が、ここに難問!慰問相手の兵隊はどうする?かなりの数の男たちが入り用だぜ。これ、菜の花座にゃ不可能!
それとも一つ、慰問団と軍、となると、どうしたって戦時カラー一色に染まっちまうんだよ。軍隊内も慰問に出かける人々も聖戦遂行!あるのみだから。平和主義なんて入り込む余地はない。まして、侵略されてる満州や中国の人たちの思いなんて組み込みようがない。
忠実にリアルに当時の状況を描くなら、そういうこと、戦勝向かってまっしぐら!これしかない。でも、そんな一億一心の過去を再現しても意味はない。歴史は批判的に振り返らねばね。
その袋小路を突き抜ける工夫、それが、銃撃戦に巻き込まれて旅一座のみ孤立する、って設定だ。これだといろんな人間が出入りできる。ドラえもんのどこでもドアさ。日本軍に抗して闘う抗日戦線の若者とか、軍の裏側、慰安所を支える娼婦斡旋業者とか、軍からはみ出した朝鮮人皇軍兵士ななんて人々も登場させられるのよ。これで、ようやく、あの戦争多面的に描くことが可能になったってこと。話しに深みが生まれ、展開が一気に面白くなった。
見ようによっては活劇もののエンターテイメントになった。が、面白くなっただけ、現実感は失われた。これであの戦争を描いたと言えるのか?って不安はないわけじゃない。こんな勝手に登場人物を操っていいのか?果ては、1年前のノモンハン事件の生き残り?まで登場するって自由気まま過ぎないか?
シリアスな、戦争と人間、戦争と大衆、戦争と芸人、を見たいと思ってきた人は失望するかもしれないなぁ。今回の菜の花座、そんなのあり得ねぇべぇ!無茶だろ、それは!が盛りだくさんなんだから。不安はあるなぁ。
でも、あり得ない、を舞台に出現させるのが演劇ってもんだ。そのあり得ないから、真実を覗き見ようてのが芝居だ。
いいんだ、これで。井上ひさしさんだって、『円生と志ん生』中で、志ん生が修道女たちにキリストとして崇められる?なんて、"とんでも"を描いて、大絶賛、大爆笑だったじゃないか。それに比べりゃ、小っせえ、小っせえ!