自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

認知症の理不尽な物腰への、対処の難しさ

2012年07月12日 | 介護と自然治癒力

読者のかたのご意見に賛成                

 

お母さん、私がお母さんを悲しませること、

そんなことがするはずないじゃない。 


お母さんは幼い頃、いつも、小さな私にとても

優しくしてくれたよね。


そんなお母さんを、どうして、悲しませることができる。 


わかった。 ・・・ わかった。・・

でもそれ以上そんな事を言って、私を責めるなら・・

ごめんね。私、電話、切るよ。”

といって、以前、母が電話の途中、何かに切れて、

プツンと受話器を置いたように、母の理不尽な言葉と

ヒステリックな口調で聞いていられなくなって、

私の方から、電話の途中で受話器を置くのである。

するとその日は 何故かそのことで二度と

かかってこない。


以前だったら、話合って、説明をして、一度納得したように

見えた母は、再度電話をかけてきて、同じ質問をする。


こちらの答えに、また、頭に血が上ったように、母の感情

エスカレートして、興奮が妄想を膨らませ、電話のベル

は鳴り続けたものだった。

 

これは母のケースにだけあてはまるのかもしれない。

ある意味、特殊なのかもしれない。


かし、最近の母は変わった。

今の母は、一人ぼっちになりたくない

言い換えれば、娘から嫌われたくない、だから、娘が

不愉快なことは言わない方がいい~と、頭で理性が

動くだけの余裕があるという事かもしれない

でも、私はそれだけだと思っていない。母とともに、

時々一緒に、食事に誘う妹にいつもいう言葉がある。


それは、妹が私に、”いくら言ってもわからないわよ” 

というスタンスをとる時の、わずかな私の抵抗でもある。

何度でも、噛んで含ませるように母に説明。


先ほどの電話のケースのように、納得してもらっても、

結局、妄想のとりこになる母をみて、私の母に対する

スタンスは、やや、”楽天的だと思う” と妹の反応が

返ってくるのが 今のところ常だが・・・



私の妹にわかってもらいたいスタンスとは次の妹へ

の言葉のものである。


”魂は誰にでもあるの。魂と肉体が分離している(感情の

コントロールが効かないで訳が分からなくなる)

ように見えても、必ず、魂から吐く言葉は 相手の魂に

つながるの。


きっと、お母さんの魂もいつか私たちの真心がとどいたとき、

優しくなるのよ。”

と私は、妹に話すのだ。


では、いつ、私の真心が本物になるのか?


母に上から目線でものを言ったり、”やれやれ” と 内心、

ため息をつきつつ、困った子ちゃんに対するような返答や、

”そうね。そうしましょう。” と言いつつ、相手がそれを

忘れてしまうのを’待つ’式の その場しのぎ的な受け答えで

接する中には、決して真心は、伝わらないだろう。


 だから、心掛けていることがある。

一日のうち一つでいい。優しさと温もりを与えてくれた母

というその人に、そのお返しをさせていただける、という

気持ちをもって、本当の優しさで 自分の心を相手に

投げかけることができるかどうか?



その意味では ゆうこさんの 修行 という心持に、

自分を重ね合わせる。


ずれにしも、私たちの魂の道場の場であるという

ことである。

今、置かれている場所と与えられる体験がすべて 

場の中の修行に過ぎない・・

という点で、ゆうこさんのご意見に賛成です。

 

 

コメント
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