自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

エゴイズムの効用ここに有り

2014年08月03日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

心の蟻地獄にひきずられないために    2014・8・3

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いつも、自信に満ちているように見える人でも、

迷いのない人などいないはずだ。

男性は理性的と、一般に言われているが、

それは、社会の中で生き延びるための手段として、

感情を出さずに、理性的に自己を抑圧して生きているためで

あるのかもしれない。

筆者のインドの師は

”男性も女性も、同様に弱いものだ。

感情的でないかどうかというのが、弱さの基準ではない。

感情的でないように見えても、一皮めくれば、人間皆、

不安のブラックホールに引き込まれるような弱い自分を

自覚しているはずだ。

真に強いというからには自分の本質と繋がったときだ”

と言った。

 

先日、友人が海を越えた恋人とスカイプして、

”近頃の彼は、なぜかやけに涙もろくなって、あんなに不安定な

感情を人に見せることはなかったのに、どうしたのだろう?”

と心配していた。

”互いに真理の道を研鑽して、旺盛な探究心と 

活き活きした創造的生活を

送ることが何よりの取り柄だった人が、いったい、

どうして、こんなに変わるのかと

思うほど、変わってきてしまった”

と溜息をついた。

”なんていって、励ましてあげたの?”

と聞くと、

”’そんなに落ち込んでいるあなたは本物の貴方

ではないから、

暗い気持ちに甘んじればそれだけ、蟻地獄の

砂の中に引き込まれていくだけだから’

と言ったのだけど。

わかってくれたかどうか・・・”

と言葉少なげに語った。

 

彼女が彼に問いかけた ”本物のあなたは?”という質問。

確かに、これは 蟻地獄のような心の暗い渦の中に

引き込まれないための、重要なカギかもしれない。

 

今、このブログを ”あなた” は読んでいてくださる。

あなたの時計は今何時ですか?

というのも、拙ブログの読者解析報告を見ると、読者は

24 時間にわたって分散して いる。

多い時間帯としては、朝9時前後、夕方7時前後は

わかるのだが、意外にも、深夜12時以降、一般的に

多くの人達が安眠をとっている、午前2~4時の時間帯に 

時には、一人で、十ページ 近く、開いて読んで

くださる方達が数人記録されている。

 

ちょっと、堅苦しいこのブログを読んでくださる 

あなた”は、ご飯を食べているときのあなた

仕事に没頭しているときのあなた、 

とは 何か一線を画しているかもしれない。

ご飯を食べながら、心身一如 について語り合えば

消化不良を起こしそうだし、

仕事をしながら、”不生不滅” という意味を考えて

いれば、能率が悪くなることだろう。

先の話で、友人が 恋人に、”思い出してほしい

と言ったのは、日常生活に没頭している”あなた

ではなくて、一線を画したもう一人の

あなた”、を指していたのだと思う。

 

昨日と今日の私は、物理的に言えば同一人物

ではない。

古い細胞は死に、新しい細胞が どんどんと

新陳代謝して、入れ替わっている。

子供時代の自分の写真で見ると、面影はあっても、

今の私と同一ではことはわかる。

しかし、誰でも、その写真を見れば、

”あ、須田さんの子供時代?”と気が付いてくれる。

何かが、変わらない自分の存在” であり、

どんな時代を経ても、その人に宿っていることを

皆知っているからだろう。

とはいうものの、”変わらない自分” をここで示してください~

と言われても、困惑する。

自分=実存の私 は、今も過去も、未来も、そして

死んだあともきっと、

そこに居続けるに違いない・・・・と筆者は思うし、

そう願う。

でなければ、魂の輪廻説も、生まれ変わりも

死後の世界の存在でさえ、実態がないものになってしまう。

さらには、インドの大師たちが語る、転生や実際、

幽体を肉眼の前に現わしたという話も、全くの想像物

になってしまう。

先の一線を画した自分というのは、たぶん、higher self 

(より高次元の意識を持つ自分自身)をさすのだろう。

そして、人は誰もが、そのhigher self(ハイヤーセルフ)

を多かれ少なかれ意識しているはずだ。

伸びよう、改善しよう、よりよく生きよう、

幸せになろう、発展しよう、

などの希望は、自分がハイヤーセルフにもっと

到達できるはずだという心持と裏腹のような気がする。

 

そう願っている人でさえ、ハイヤーセルフを拒む要因、

エゴ(利己主義)からの脱却が なかなかできないのは

何故だろう?

友人の恋人のように、ちょっとした事ですら 

エゴを揺さぶられ、不安を掻き立てられる悪循環に

陥るのが常の人生だ。

あたかも、じたばたして余計溺れてしまう人のように、

悩みと悲しみ、怒りと憎しみ、イライラと焦燥の中で

魂(ソウル)が焦げ付いていくような苦々しい

体験を重ねているのが、人生の常なのだ。

そうこうして、目的地に 所詮、泳ぎ着けないと

あきらめて 一度の人生快楽を求めて、

苦しさを忘れようとする。

 

そんな 煩悩に焼かれる私たちに、大師はこう教える。

自然の元素、火と水、土と風、これらに共通した

ことが一つある。

それは、その元素自身、自分自身の強さを知らず、

火は火で焼き尽くされることなく、水は水で

溺れることなく、土は土で崩すことはできず、風は

風によって、乾かすことができない。

つまり、人のアートマ[魂]は日々の物質的生活の

中に見え隠れしているものの、それ自身姿を現すには 

もう一人の自分(エゴ)がいる。”

 

矛盾した言い方なように思う。

”私はなんて、ダメなんだろう!”とため息をつく前に 

エゴ意識の役割を認めてあげたら?~ と覚者は言う。

なぜなら、

エゴを取り去りたいとおもっているのに、

エゴがなければアートマが見えないというのだ。

 

~その前に、エゴ意識ってなんですか?

 自分中心主義の人を エゴ意識の強い人というが、

ではエゴは何か?

といえば、ごくごく簡単に要約すれば、心の中の無限にわく 

独り言はエゴ に端を発している。

一言でいえば、エゴはおしゃべりだ。

たわいのないことを、次々と思いださせる。

それを一喝して、

座禅を組んでも頭の中はいろいろな想いや感情を止めることは

まずできない。

次々と連想ゲームのように、最初の想いが次の想いを生み、

次第に枝葉を伸ばして、気が付いてみると、最初の想いから

はるか離れたところまで妄想している自意識に気が付いて、

また、ハット 瞑想に集中しようと喝を入れる。

追い払おうとしても余計気になるうるさい ハエのようだ。

ハエはハエで顏の周りを飛ばしておけと覚者は言う。

魂との対話を求めるのなら、このエゴのおしゃべりを

利用すれば良いと言うのだ。

つまり、 エゴ意識に、十分話させて、それを、

じっと、聞き流している自分を

意識するという方法だ。

聞き流している自分を意識することだ。

聞き流している自分、が 一銭を画した 

ハイヤーセルフに繋がるというのだ。

おしゃべりに耳を貸さず、ただ、流れていく雲をみるように

そのおしゃべりが疲れて口を閉ざすまで、話させるのだ。

そうこうしているうちに、雲が途切れて青空が心に広がるように

静かな時が訪れるだろう~と覚者は教える。

 

 

雲の合間のひと時、それは、超意識的、超時間的、、

超空間的でもある。

ここに、アートマ意識~higher self が見えてくる。

誰も裁かず、何も選ばず、そこに意識を置く点は、

限りなく小さな点

であると同時に限りなく深淵で宇宙大にも広がる、

収縮可能なスポットでもあり、時空を超えている

世界観が広がる。

 

もう一つの方法は、他者のエゴを知ることによって自分の

エゴを抑制し、アートマを顕わす方法だ。

誰でも、人生道中、馬が合う人 合わない人、と

いう判断を 対する人に下した

ことがあるだろう。

何となく、傍にいて、心が落ち着くという人もいれば、妙に

イライラさせられるという人もいるものだ。

何か特別、その人にいじめられたとか、直接的な原因がある場

を除いては、何となく~、漠然と抱く理由なき感情だ

 

性(しょう)が合わない~といわれるが、その性とは

何なのだろう?

たぶん、相手のエゴ意識をさすのかもしれない。

相手の性分の何かが、何とも気になってカチンとくるのだ。

それも、結局は、自分の中に そのカチンとくる要素と

同質のものがあるからこそ、相手の中のそれを見出す

ことができる仕組みになっている。

同じ周波数の波動を持っているからこそ、自分の内部で、

共振する。

そのカチンとくる性分は、自分自身の中にあって、

自分に対しても許せない

からこそ、 今更、相手からも見せつけられたくない

という想いになるのかもしれない。

 

こうして考えれば、相手の嫌な面、それが、

自分の気づいていない自分自身のエゴの投影

あるかもしれないと気づけば、相手を責める前に

自分を見つめるという謙虚さが生まれる。

さらに、他の誰かにも同じような想いを 

気づかないうちに、させていたかも

しれないと省みる余裕が出てくるだろう。

 

エゴ意識はこう考えてみると、自他ともにとって、

決して意味のないものではなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

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