自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

癒し、癒され、の第一歩

2014年08月06日 | 健康のための心の波動

癒しの条件    2014・8・6

*********************************

癒し という言葉。

癒されるということはどういうことだろう?

それに必要な条件はなんだろう?

表面的な癒しから,深い意味合いのそれまで さまざまな段階が

あることだろう。

癒されたと感じるとき、それは、

ホットして、緊張がとれ、希望とかプラス思考に向かう

エネルギーを与えられた時かもしれない。

自然治癒力セラピー協会で 癒されるというとき、それは、

日常生活の中の感情や執着から離れて味わう解放感と

軽快感とともに、心身が本来の 健全な状況に近づくときを

さす。

スーパーコンシャスネス(超越意識状態)に

入って抜け出てきたときの実感だ。

 


超越的意識状態というと、何か、意識が朦朧(もうろう)として、

夢見心地のようにぼーっとしているときの心持のように、

聞こえるが、実際は 感覚がとてもシャープになる一方、意識は

冴えわたった感じがするものだ。

その意識になったときの特徴といえば、明白に善悪が理解できる

ようで、それを使って裁こうという感覚が起こらない。

受容的であり、包括的、かつ、喜びと調和の静かな平常心が

そこにある。

むしろ、愛と一体感 というような、言葉ではなかなか表せにくい

空気に包まれている自分を感じる。

 

チョープラ博士(前出)は、その時、つまり、超越意識段階に

入ったときこそ、自分の本源と繋がっているのだという。

その状態がどういうものかといえば:

 

1) 心配事を超越している。

現実には色々な難問が残っていても、魂の源と繋がっているときは

’時の流れのままに任せる’ことがベストであること、一度、心の奥底で

”こうなりますように”と理想の状態を描き、願ったら

あとは、くよくよしない。

必ず、一番良い具合に 宇宙が動いて行くと

信じて時を待つことがベストであると知っていること。

だから ”心は軽意”状況でいられる。

 

2) 押しも引きもしないで自然体でいられる。

他人がいろいろ意見してきても、冷静に聞く耳をもてる状況。

反対意見に対しては、決してそれを強く否定しないまでも、

相手に影響されず、かといって、自分の考え方が正しいと

押し通すことも無く、それも良し、これも良しと在るがままの状態

を受け入れることができる。

 

自然にしているうちに、事が一番良い方向に流れていくことを

知っているからだ。

だから、”何かに強く抵抗することもなく 執着がない”状況

といえる。

 

3) 宇宙意思(無限の叡智)の発動が起こる

必要な人、、会うべく人、そのタイミング、言うべきこと、

するべき行いすべてがバランスよく、無理なく難なく 御膳

だてされたように現実に自然と整う。

人は偶然というけれど、これこそ、宇宙の叡智、人が思いも

つかない”細部のタイミング”をすべて熟知している叡智の業(わざ)、

空間と時間を超えてそうした運命的にみえるほど、良い方向に

はかどっていく。

 

勿論そうさせているのは、自分が自分の魂、アートマ=宇宙意思と

繋がっているからで、それによって、奇蹟のように、見える

”偶然の一致”もたびたび、起こり得るということになる。

 

それを人は気づかないことが多いから、せっかくの偶然の一致

にみせかけた大きなチャンスを 意識せずに、逃すこともある

という。

心が その時何かを囁きかけたら、恐れずに、その偶然の一致

のチャンスを利用することが、宇宙の心、自分の魂の願いに

かなうことなのかもしれない。

 

何となく、ここに来た(来なければならないような気がして)~

それを喜んで受け入れることで 必要な情報が得られるかも

しれないし、必要な人と出会うことができるかもしれない。

何となく、この人に会いたくなった~それを喜んで受け入れる

ことで、その人が”魂の友人” になるかもしれない。

 

何となく~偶然で~というときに与えられている 幸運の

チャンスはもしかしたら人生の転機になるかもしれないのだ。

そこで、三番目の指標は ”偶然の一致と片づけないでその時の

何か重要なメッセ―ジを考えたことがありますか?”

 

4) そして最後は、自分の主体性モードを変えることなく、

決して犠牲者モードにしないことだ

先のブログでも話題にしたように、自分の周りのものは、善き

にせよ悪しきにせよ、それは、自分の心の反映であるという

ことを知る。

 

何か問題が起きたとき、大概は第三者が関与しているのだが、

”相手と同レベルでものを見て 解決しようとしても無理”

ということを体験している方は多いだろう。

その問題が解決できるとしたら、

”超越意識、宇宙意識、あるいは、アートマレベル、の意識”

で当たるほかないのだろう。

 

或いは、自分の信じる、守護霊や守護神への敬虔な祈りの中で

信仰をベースに、”大いなる力に守られている”と自覚したときの

意識であるかもしれない。

守られているのなら、お任せしてしまえばよい。

神様は丸投げされたものに対して、受け取ってくださるのだという

信念がそうさせるだろう。

 

あるいは、その意識は、深い瞑想の中で 現実意識を超えて、

沈黙の宇宙に広がる平穏と至福の意識であるかもしれない。

最後の指標はこうだ。

”自分の内側で何を変化させればこの問題は起きなくなるだろう?”

問題に直面したときに 問うことができるかどうか?ということ。

 

いかなる問題でも… たとえ、それば自分とは関係のない世界で

起きている問題でも、一旦 自分が知った以上は、何らかの関与が

自分にもある。

 

”私は関係ない” という言葉は、たぶん、世界中で起きている

悲劇や事件に対して、通用できないのが真理の眼から見たときの

現実だと覚者は言う。

そういう意味では、この4番目の指標の持つ意味は ”そんな自分

でも何かができるはずだ”と積極的に関与しようとすることと

教える。

たとえば、自分の浄化や癒しから始めてみる。

 

癒しというのは、単に健康になったり、慰められたりすること

だけではないだろう。

癒し、癒されるというのは、相手の本領と本髄を引き出すという

ことだとすれば、自分を癒すことが、相手を癒し、相手が癒され

れば、その癒しは連鎖的に拡がって行くに違いない

 

\                                   

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする