印度人間模様・ 1月1日 2013年(平成25年)
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恭賀新年!今年も皆様にとって良い年でありますように
昨日の続きから~
こうした状況に、何となくいたたまれなくなるのは、日本人の性分かもしれない。
でも、ここで100円恵んでも、何も変わらない。
彼らを使って、儲けをピンハネしている、親分は 彼らの背後、この通りのどこかに潜んでいる。
その恵みを全部とりあげて、わずかな報酬を彼らに分け与えるに違いない。
そして、人にこうして乞うことは恥でも罪でもなく、
人生これで生きていけるという確信を与えるだけにすぎないだろう。
そう思って、どうすることも無く、金縛りにあったように、私は硬直して、
信号が赤から青に変わるのを待つだけである。
そういえば、アシュラム(聖地にある、精神道場)に何泊かで泊まりに行ったときも、
世話係りから、注意された。
”物乞いには決して、金銭を与えないように”
アシュラムの人のお達しである。
その理由は、一人に上げると、大勢たかられて、身に危険が及ぶからだということだった。
取り巻かれて、パスポートなどを盗まれた、修行者もいると聞いた。
こうして、いろいろ書いていくと、インドの人の気質は一口では言い難い。
ましてやインドの魅力も、言い尽くせない。
その反面、騙されたり、脅迫されたり、裏切られた思い出もたくさんあった。
しかし、その嫌なはずの思い出をもってしても、インドの魅力と、
ひきつけるエネルギーは有り余るのである。
私にとって、やはり、インドはいまだに 謎と魅力と、思いがけない展開を
見せてくれる、サプライズ箱であること
には違いがないだろう。
嫌なことは忘れる。
こだわらない。
そうでないと、インドとはつきあえない。
昨日の敵は今日の友、こういう言い回しが妥当だと思える体験もしている。
極端に聞こえるかもしれないが、事実である。
”昨日の泥棒は今日の友”である。
息子とGKで、生活していたとき、息子の部屋に置いてあった、財布から、
アメリカ紙幣500$が消えた。
当時は一ドル100円は切っていなかったから、最低5万円の価値があった。
印度では公務員中堅クラスのひと月の高給料に匹敵した。
盗まれたのだ。 警察が来て、事情を聴き、容疑者を逮捕した。
なんと、10年間、住込みで働いてくれていた老夫婦の娘Aだった。
執拗に容疑をこばんだ。 私も警察に呼ばれ、泥試合のような、
論議を娘とするはめになった。
老婦人のところに遊びに来ていた娘が、母親が寝込んだとき、
代わりに、息子の部屋などを掃除していた折の出来心であった。
警察で、”私ではない”の一点パリで嘘八丁つきながらの攻防戦を繰り広げていた娘も、
”それでは財布の指紋をとりましょう。” という私の言葉で とうとう自白した。
娘には兄がいた。老夫婦の独り息子でもあった。
Rさんという娘の兄は、謝罪し、その盗んだ金額相当を何回かに分けて返済してくれた。
大工であった、Rさんとはそれからも 拙宅の装飾やメンテなどを頼み、
お付き合いはしていた。
今回、久しぶりに、今は亡き、老夫婦の息子Rさんと、会った。
食事に呼ばれ、よもやま話しで話しが弾んだ。
”そうそう、妹Aの娘も結婚して・・・子供も生まれましたよ”
妹A ? そう、彼女こそ、10年以上前に、警察騒ぎを起こした張本人だった。
Rさんは 嬉しそうに かつての泥棒騒ぎもなかったように、妹の話題に転じた。
”それはそれは、おめでとう” 私は答えた。 和気藹々としていた。
もし、その場に妹Aが顔を出しても、平然と、”マダム、こんにちは”と
笑顔で挨拶してきそうな雰囲気でもあった。
それから数日後、Rさんの奥さんはわざわざ、食事をつくって、届けにきてくれた。
”インドに来て、何か家庭料理で欲しいものがあったら、何でも行ってください”
と言い残して帰って行った。
悪口や批判をしていた当人が、いつの間にか、近寄ってきて、力を貸してくれる。
9年もの良い関係だった方から、裁判にかけるという脅しまがいの手紙を受け取る。
家族が、泥棒沙汰を起こしても、何もなかったように、旧交をあたためる。
”何が何だかわからないうちに、物事が進行している”人間模様。
あんなことをされた、とか、あんなことを言われた、というこだわりは、不必要だと思われるくらい、
印度人の人間模様は、単純なようで、複雑、複雑なようで、単純のようだ。
これもまた ”人生よ” と ルールなきルールの人間関係を受け入れるしかない。
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