自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

量子学の一如思想

2013年04月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

医学との共通性 平成25年4月22日

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今日は、人間不在の癒しは可能かどうか?

ということを少し考えてみたい

人間不在とは、患者の総合的な全体的判断に欠けて、

データ中心の医療をさしている。

 

医学の細分化、ミクロの世界に掘り下げられた緻密な分析的研究が、

行われるほど、患者の全体象がつかみきれずになっているという。

そのため、患者は、それぞれの専門分野にたらいまわしにされて、

そこで、その科の検査結果によて、臓器器官に診断名をつけられ、

本質的な総合的な判断が損なわれてしまう。

そのことを、現代の医学の盲点 と、池見博士*1 は述べている。

以前ブログで、 内田医師が ”生命医療” を求めて 現場で総合的な

視野で”生理の神秘”を踏まえた医療を試みていることを ご紹介した。

生命医療の点からみると、現代医学では、病気の背後にある、心身の歪み

に関しては、無関心か無視される場合が多いという。

池見博士は、”身心の症状という形で表面化している各人の生き方の

歪みについて、筋道をたてて、教えられることは、皆無といって

よいほどである。” 

と著書で述べ、

ここの器官や症状のみを対象とする 現代医学の在り方では、

 真の病根には触れることなく、症状とのいたちごっこを繰り返す” 

とする。

 

吉田法夫氏 は、余命数年の末期がん患者であり、

その予知された数年を超えて、元気に癌と共存する方法を、

自著にまとめられた(*2)が、その中にも、現在の医学が

データ中心であることを体験として綴っている。

 

”今の医学の主流(西洋医学)はデータが重視されています。・・略

近年、病気を治すうえで精神の部分が大きく作用して

いることが判ってきました・・略

 

病気をなおすうえで、データだけでは見えてこない、

患者さんの性格や心のありかた(精神部分)が、

病気と深く結びついていることがわかってきたのです。”

 

以前ブログでもふれたように、すでに最新物理学では、

分析的思考による、弊害を防ぐために、総合的思考が提唱されている。 

それを、東洋的神秘的アプローチと呼ぶ科学者もいる。

ある意味では 科学と哲学の融合的アプローチともいえるだろう。

ノーベル生理医学賞をとった、カレル博士の話の中にも、

人間と生物学的環境を総合的バランスを主体にして考える、

人間生態学の必要性に触れている。

こうした流れを受けて 近代医学の中にまだ残っている、

機械的体質医療(肉体を機械のように捉えて、弱った器官を

機械のパーツのように扱う)の改善のために、池見博士は

人間性の復活を試みた医療を展開しようと尽力される。

 

博士の言葉を借りれば

” 私共は、物質的な面での現代医学の進歩そのものを少しでも、

過小評価しようとするものではない。 

如何に進んだ、科学的な診断の技術も、いかに素晴らしい、

現代の化学薬品も病める人への全人的な理解をふまえて、

活用されるこによって、その威力を十分に発揮しその副作用を

最小限にとどめうるものであることを強調してやまないものである。”

としている。

 

池見医師があげている興味深い事例がある。

39歳のY夫人は動機息切れなど体の痛みを伴う症状で 

医師の病院に入院した。

診断は、自律神経失調症、筋痛症、感音性難聴 とついた。

この夫人と面接した池見医師は、意外な事実に驚かされる。

それは、夫人は4回の流産を繰り返し、人工授精を30回以上受け、

女児を設け、さらに、夫の男児の熱望を受けて、

再び人工授精を繰り返し、2子を設けた。

その人工授精は夫人にとって、苦痛以外の何物でもなく、

夫に密かな憎しみを募らせたという。

そうして、生まれた子供たちに、モルモットが腹に入っている” 

感覚が残っていて、愛情を感じることができなかった。 


これらの夫人の病名がつけられたのは、2子を出産した後、

実家で療養し 家族(夫と子供)のもとに戻ろうとするときに起きた。

これは、潜在意識で、夫のそばに戻りたくないという拒否反応が 

肉体を通して現れていたのだろう。 

夫への怒り、不満、を 再び冷静にみつめ、感情に走りすぎて

いたところを自覚し、夫婦間のしこりをなくすために、

主治医を交えて、話し合いをもった。

そして、夫婦間の理解が深まるにつれて、次第に症状が好転。

半年後には退院して、難聴 耳鳴り も解消された。

 

池見医師はこの症例をあげて、次のような実感を書いている。

”この例をとおして、私どもが感じたことは、

 夫婦間の感情問題もさることながら、医学的にできること、 

それによって、患者が幸せになるということは、必ずしも

一致しないということである。

 

人工授精そのものは、医学の大きな進歩であるが、

 動物と異なって、深く感じ考える人間であることを忘れて、

 そのような処置が行われる場合、かえって、人間を不幸に

する可能性さえも ありうる”

 

モルモットなどの研究は、人間生理学と結びつかないと

いわれたのは 大阪大学医学部の名誉教授だった。

心 と 体 の相関関係。


人間の全体的、有機的肉体のつながりとともに、

一つの哲学的配慮がなければ、総合的な判断は難しいと

いえるだろう。

 

その 哲学的配慮の根源を、池見医師は、”一如思想” に

あるという。

”たとえば、量子物理学のような科学の先端をゆく領域に属さない

 一般の科学者(医師も含めて)の中には、19世紀の科学観念を

 抜け切っていない人たちが多いようである。・・

  

そのために、人間としての実存、人間を生かしている全体

的秩序が見失われていたことに、ようやく気づきはじめている現状”

の中で、

”唯物論的な科学の代表者とされた物理学者も、 物質的な実在

の解析を進めるにつれ、東洋的思想、一体性 ないし、

全体性の概念との体験に近づいてきている。 

  

たとえば、量子力学者の マックス・ブランクは、’物理学を

一つの統一体として、考えない限り、われわれが求めるに足る、

 物質的法則を見出すことは不可能だ’とするように。”

と池見博士は述べる。

 

ここでいう、全体性の概念とは、どういうことか?

それは簡単にいえば、一人ひとりの人間の中で働く秩序の力、

それは、皆がともに分かち合っている、大きなあって在るべき力、

あるいは、その秩序の一部分であるということだ。

それを池見博士は、自身の言葉でこう結論している。


”仏教であれ、キリスト教であれ、その他もろもろの宗教、

宗派であり、洋の東西をとわず、あらゆる宗教の中心をなすものは、

一体性、ないし、全体性の概念と体験であると思われる”


これを一如思想といい、これまで見てきた、池見博士の 

自己コントロール法の基礎概念にも相通じるものであろう。

 

*1)池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業 

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、

日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会

を設立し、初代理事長になる。


翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された

精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、

内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法

を体系化、実用化に尽力した。 


九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、国際心身医学会理事長、 

日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。


書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。

84歳。


*2)”末期がんを元気に生きる” 吉田法夫著 文芸社 2010年発行

 

参考図書)”セルフ・コントロールの医学” 

s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

鶴川・高蔵寺のシャクナゲ

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