サンスクリット語(上)で、自然のことを、
”stri”と言います。
そこには、淨性、鈍性、激性が、
含まれているからです。
詳しくは、本編の最後に・・・
2023年11月3日
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(白は淨性の象徴色です。雪景色は心を落ち着かせますね)
前書き)
私は本来、とても、怒りやすい(ラジャス的)な
激性を持っている人間でした。
アトピー性皮膚炎を生まれながらに持ち、数十年、
包帯を巻いたりしながら、自然治癒力に任せきるまで、
完治しませんでした。
そして、完治したと思ったら、何十年ぶりに、去年から
帯状疱疹が出ました。
今は、右の手の甲、指の間が、痒くて搔きまくり、
ざらざらで、ケロイド状態になっています。
これは、私の中にまだ、ラジャス的な攻撃的で、
´赦せない’(人や社会、自分に対して)が残っている
火種が、くすぶって、ついに、手の甲に出たのだと
感じています。
サットヴァ的な淨性が、私に今こそ、求められて
いるのだと、思いました。
そんな反省をこめて、本日の記事を書きました。
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存在するものすべてに備わっている性癖を”グナ”と、
ヴェーダ哲学では呼びます。
それらは、三つあり、’サットヴァ’、’ラジャス’、’タマス’
に分けられています。
前回では、この五つの元素が、この三つのグナに
結び付くと身体の上では、どの感覚器官に現れるのかを、
お話しました。
今日のお話は、グナ(性癖)が変ると、その感覚器官
から受けた情報で、どのような行動傾向をとるかと
いうお話です。
’サットヴァ’は、外からの刺激を受ける役目、
’ラジャス’は、サットヴァ器官を通して受けた、刺激に対して
の’反応’を司さどっています。
たとえば、”皮膚” は 元素の一つ、風(ヴァーユ)と関連し、
その中でも”手”は ラジャス[激性) から生まれると
云われます。
だから、蚊が皮膚に止まり、血液を吸う瞬間を察知すると、
ラジャス性を持つ、”手”が 反応して、蚊を、叩く行為で
その攻撃性が示されます。
先にも書いたように、私は、昨年11月から、帯状疱疹が
手の甲に出て、”かきむしる”ほど痒かったのですが、
これは、私の”攻撃性”のバランスをとるための浄化作用
ではなかったかと、自然治癒力的には解釈しています。
本来、”皮膚”自体は、 五元素の”風”がサットヴァ~浄性と
結びついて、生まれたものです。
元々は、赤ちゃんのような すべすべで柔らかな肌合い
なのですが、潜在意識にたまっていた’攻撃性’が、
エネルギー的に、噴出すると、アトピー性皮膚炎(常習的)
や、突発的な炎症(痒さをともなう)や、
蕁麻疹、帯状疱疹などの、症状が出ると考えられます。
特に、社会では、いつの時代も多かれ少なかれそうなの
ですが、
’浄性’ と ’激性’ が入り乱れ、激性が好まれ、淨性が、
排斥されていることが多いようです。
’戦争’は激性のエネルギーの現れです。
’平和’は淨性のエネルギーの現れです。
過度な’香辛料’は激性です。
暴走族の乗る、’バイクの激音’は、激性です。
カッと、頭に血が上るのも激性です。
本来は、淨性的な行為や価値観が、安寧で安心な社会
を生み出すのですが、
“現代社会の出来事の多くが、その逆に働いている。”
と言えそうです。
そして、私たちの心身も、無意識の中に、そうした
エネルギー傾向と知らず知らずのうちに、同調して
いるのでしょう。
病がちになるほど、ストレスが鬱積するのは、
こうした激性の社会風潮の影響もあるかもしれません。
ところで、大自然の最初の性質は、皆様、何で
できていると思いますか?
サットヴァ(浄性)です。
その理由は 下のように、言霊(ことだま)的に
説明できそうです。
”大自然”を、サンスクリット語では ”stri”(シュトリ)” と
よびます。
シュトリ の 言霊 を 分析すると、s、t、r の 三音から
なっていて それぞれの言霊は以下とされています。
最初のS=サは サットヴァのサ、
次のT=タはタマスのタ、
最後のR=ラはラジャスのラ、
つまり、サンスクリット語の”大自然=”stri”(シュトリ”
には、すべての三つのグナが、言霊の中に、その霊的要素
として、含まれてます。
サットヴァは清らかで、平和、平穏、静謐(せいひつ)、
タマス は 従順、謙虚、控えめ、怠惰、愚鈍、
ラジャスは 激情、欲望、断固たる想い、行動のエネルギー
そして、その、資質の順番にも 意味があります。
大自然の”stri”を見ると、まず、S=サットヴァ が はじめに
来ています。
これは、穏やかな均衡のとれた資質が一番最初にあることで、
タマス的な、少し怠惰になりがちな情緒や、ラジャスの激性の
激しい性質を中和し、統御する役目を持っていることを
示唆します。
宇宙の創造においても、最初に顕れるのはサットヴァ的な
性質で、人間界の一般に求められる好ましい人格も、
この サットヴァ的性質が根本となるようです。
でも、この三つの資質(性癖)は、どれもが生きていく
ために必要なもので、優劣はありません。
人も、時として、この三つの要素を表現しながら、生きている
わけです。
調和が必要なのですね。
適材適所で、それぞれの資質が活用されていれば、私たちの心身
は健康を保ちながら、健全に生活できるはずです。
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