自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ギータの中のヨガ④ Dhyana Yogaha (後半)

2017年08月24日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

 

瞑想を通じて神と一体になるヨガ(後半)2017.8.24

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少しでも多くのヨガ、生活の中でできる、実践方法、いいかえると、

神と一体になるための方法を クリシュナの言葉を借りて、

これからシリーズで、お伝えできればと願う。

ここでいう神とは、ヒンズー教や特定宗教の神ではない。

クリシュナのいうところの、誰の心の中にも存在する 

’Indwelling Entity',つまり、”内在する普遍の資質”、別名アートマ 

のことである。

誰もが、アートマを心に持っているのに、ほとんどの人達は

自覚していない。

自覚したとき、その人の人生は、心身ともに一変するだろう。

苦労を苦労と思わず、喜びの波に有頂天になることもなく、

淡々と、しかも、確実にゆるぎない信念が

生まれて、変化というより、変容するに違いない。 

自然治癒力、病気の意義や病気の真の原因も、自ずから、

納得していただけると思う。

ディワリ, 祭り, インド, 伝統的な, ヒンドゥー教, ディーパバリ, 文化

 先回はユクタ(スピリチュアル意識を深く実践できる人)に触れたところで

終わっていた。 

ギータ6章では、瞑想の道を説く前の前振りとして、内なる神と結ばれる心持に

なる心得として、五感のセンセーションから解放された本当の自己になること

(感覚に左右されやすい自分のマスターになること)、結果を求めず、

そのプロセス(経過)においても、自分の野心や野望を重ねないこと、

常に自己の内なる神を意識しながら、中庸な生活の道を歩み、平穏な心持ちで

生活することが ユクタであると、クリシュナはアルジュナに説いた。

 

そのための方法に瞑想を挙げている。

具体的にクリシュナはその方法を以下のように語っている:

“The person who wants to embrace divinity, must, always in the 

privacy of solitude,

install himself with the Indweller.

聖なる資質を見出したい人は、常に一人の個人的な空間の中で内なる神を

心に反映させるべきである。

 

He must control his body and mind, must be without desires and 

possessive tendencies. In a clean place, he prepares a stable seat 

for himself that is neither too high nor too low and covers it with grass, 

animal-skin and a piece of cloth.

その人は、欲望や物質的所有願望を排除していき、身心を制御する。

(そのために)清潔な場所に、草や動物の皮、布などで地面を覆い、

高くも低くもない安定した座り場所を確保する。(須田注:瞑想のための場所)

 

Seated on that, controlling the impulses of the mind and senses and 

directing them to the Indweller, he must practice the purification of 

his mind. 

そこに座し、心と感覚を落ち着かせ、内なる神に心と感覚を向け、心を浄化

せしめる練習を行う。

 

Keeping his body, head and neck erect, stable and motionless, 

without cognizing external objects, with eyes focused on the tip of 

the nose facilitating one-pointed mental vision, without fear of any 

sort, with a controlled and peaceful mind, practicing celibacy, 

keeping Me as the goal and thinking of Me, he becomes spiritually 

skillful and competent.

体と頭と首は直立に伸ばし、外部に気をとられることなく 

動かさず、じっと静かに保つ。

目は鼻の先に視線を集中させると、心に集中して、ヴィジョンを

抱きやすい。 

微塵も恐怖の心を抱かず、安穏としたコントロールされた

気持ちで、欲望をいだかず、’私”を最終目標に置き、

’私’の事を念じることで、スピリチュアル性を獲得し瞑想は深まり、

上手くいくだろう“

 (6-10 to 14)

 

”私”のことに集中せよ~とは、クリシュナ自身をさしているように

思う。 

同時に、心の内なる神の資質である本来の自分は、宇宙維持の神、

ヴィシュヌ神のアヴァター(生まれ変わり)であるクリシュナに

通じることでもあるので、それに想念を全面的に瞑想中は向けなさいと

言っているのだろう。

アルジュナにこれを語った時、現実に生きている人間の姿をもった

クリシュナを思い浮かべ、瞑想中、心に座すクリシュナに、

集中想念を送ることは、きっと、漠然とした内なる神という存在より、

具体的で効果的だったのに違いない。

私の尊敬する、プッタパルティの故サイババ師は、仏教、キリスト教、

イスラム教、拝火教、ヒンズー教、すべての宗教が崇める神は、

結局は一つの宇宙神であるゆえ、

どの神の姿を思い浮かべ瞑想しても、かまわないと教えた。

この神のみに集中せよ~と限定すれば、神に限界を与えることになり

’普遍な神’という宇宙神の影像と一致しなくなるだろう。

 

現代人の私たちは、クリシュナの代わりに 仏陀やキリスト あるいは

その人が信仰する神様を瞑想中、思念の焦点とすることが、

理にかなっているのだと思う。

 

ここで大切なことは、私たちの奥深いところの内在する‘神’と同じDNAを

持つ自分の神性を自覚すること、それによって、ひきだすこと、それが、

言葉をかえれば、’master myself’ ということであり、自分を統御して、

あるいは、コントロールして、引き出された自分という意味でもあるだろう。

 

日本には仏教の座禅という形で、インド古代の瞑想は伝わり、

現代に根付いているので、日本人にとっては 座禅を組むとか瞑想する 

とかいう習慣はなじみ薄いものではない。

が、キリスト教圏内やイスラム教圏内にとっては、祈りの時間外に、

瞑想するという習慣はないように思う。

しかし、これらの瞑想による精神的安定効果は、実際の医療現場で

ヨーロッパやアメリカで、臨床心理学で応用され、成功を果たしている。

今、流行りのマインドフルネス という方法も、瞑想から来ているのは

注目したい。

果たして、瞑想して何がどのように、変わっていくとクリシュナは

教えているのだろう?

 

クリシュナはそのことを次のように言う:

“With his mind immersed in the practice of focusing on the Indweller, 

he experiences the unity among the apparent diversities.

瞑想の中に心の焦点を常に内在する本我(神我)に合わせる努力を

するものは、現象的多様性に在って、統一的な体験を得る。

 

He sees the same Indweller appearing as himself and all the things 

around as well. 

身の回りすべての中に、彼自身の内在する神が、顕現していることを

知るのである。

 

He, who sees Me everywhere and sees all things in Me, is never lost 

to Me, nor am I lost to him.

そのように、すべからく万物に“我”(神)がいることを見て知る者は、

“我”もまた、その人を見失うことはない。

 

This spiritual aspirant who is established in the experience of unity 

in the apparent diversities, worshipping Me present in all beings, 

gets established in Me at all times regardless of whatever actions

 he undertakes.

このように、スピリチュアルな大望を抱くものは、生きとし生ける者に存在

する”我“を崇拝し、現象の多様性の中に統一性を確立して、常に、彼が何を

なしていても、”我“とともに行動するのである。

 

My dear Arjuna! That spiritual aspirant who always keeps himself 

with the Indweller and experiences both pleasure and misery to be 

the same, is the most exalted-so it has been ascertained!

愛するアルジュナよ! スピリチュアルな大志を抱くものは、不幸の中でも、

喜びの中でも、同じく、内在する神とともにあるがゆえに、最も格調高い、

そのことはすでに確認されていることだ”

(6-29 to 32)

 

瞑想の目的も方法も、宗教や宗派によって異なることだろう。 

クリシュナはここに一つの指針を与えているようだ。

つまり、その目的は、心を落ち着けることや無我の境地を試みることだけでは

なく、瞑想する人の心の内奥を深く深く掘り下げ、究極に座している、

本来のその人の魂~神と同質の大我に焦点を当てるということだ。 

それが 瞑想の大きな目的で、それをたゆまず、修練するうちに、

現実生活の中に少しずつ変化が訪れるという。 

 

Indwellerを見続けている人は、現象の波の中に、喜びや悲しみの波の中に、

一転のゆるぎない、心の碇(いかり)を下すことができ、波に

翻弄されるように見えるときでも、流されない自己を体験し得るというのだ。 

それはまた、現象に現れる万物や万象に神の存在を感じるということでもある。 

だからこそ、私たちには不幸に見える事柄も幸せに見える事柄もそれに 

一喜一憂して心を動揺させるほどのこともなく、すべての事項の裏には

私たちの知らない、見えない、感じない、神の恩寵と愛が常にそこに

存在しているということも知りえるというのだろう。

 

この章の最後にクリシュナは、興味深いことを語る。

それは、今生で霊性が高いか否かというのは 前世でどのように

生きてきたかが影響しているという。

“His spiritual maturity at re-birth is at the level attained in the

 previous body.

 輪廻して得たスピリチュアルな成熟度は前生で得たレヴェルでもある。

 前世で獲得した分の 精神的スピリチュアル的成熟度はすでに

生まれながらにその人に備わっているという。

さらに、

 He then strives to progress further in efforts to embrace the Indweller.

彼は内なる神と一体化するための努力をさらに続け進化していくだろう。

 

Unconsciously, he is impelled by the practices undertaken 

by the previous body.

無意識にも、彼はかつて生きてきた時と同様の修練を今世でも自分に

課している。

 

Even a sincere enquirer of the knowledge about the Indweller 

transcends the bondage of actions originating in the Vedas.

 内在する神に関する真摯な知識の取得者でさえ、ヴェーダに基づいて

行動の規制(しがらみ)を乗り越えている。

 

(須田注; 瞑想実践しない、知識者ですら、行動のしがらみ、つまり、

カルマを超越することが可能だという。)であるのなら、なおさら、

瞑想するものは、神の栄光を勝ち取るだろうと、クリシュナは言う。

 

 The committed spiritual practitioner who practices embracing the 

Indweller with perseverance, gets purified of sins, progresses 

step by step to fulfillment many births and attains the most exalted

 and glorious state of the Indweller.

 スピリチュアルな熟練者は不屈な努力で内在する神と一体になろうと、

修練し、罪を清め、一歩一歩、その時の転生を大切に努力を重ね、

最高の栄光ある神との一体を成し遂げるのである”

 (6-40 to 45)

 

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