自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヨガのイロハ~不二一元論とサイババ師の講話(12)

2021年06月02日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

五つの要素(この人生をもっとも自分らしく生きる

ためのエッセンス)とは?  2021/6/3

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サイババ師は身体を‘神の住む神殿’として大切に

扱うことを、これまで述べてきた一方で、身体に過度

の執着することは、避けるように提言している。

その理由の一つに、身体と、その身体の持つ

諸感覚から “自分の” とか “自分が” という

意識が発生して、そうした小さな“我”意識が、

社会中にはびこることによって、様々な諸悪の

原因となっているという。

その代わりに”わたし達の”とか”私たちが”という、

言葉を使うことで、その考えは、個よりも他者を

含めての観点に立ちやすくなるのだろう。

 

古代インドでは、人の平均寿命は今よりはるか

に長いことが、古代聖典の中に出てくる。

たとえば、“マハバラータ”に出てくるクルックシェトラ

の闘いで、主人公として登場するクリシュナは当時、

86歳、クリシュナの親戚にあたり、クリシュナを神の

化身として全面的信頼を寄せて、総指揮官を

務めたアルジュナは84歳だった

 

一方、敵方、カウラヴァ軍の司令官、ビシュマは

116歳であり、7日間にわたるこの闘いで前線に

たって、激しい戦いに加わっている。

サイババ師は、彼らの活力の源に、触れている。

その源とは、精神力と健康を保つ適当な食事は

無論だが、最も重要な点は彼らの、“自分自身へ

の本当の自信(本来の自己であるアートマへの信頼)”

であったと、述べる。

 

古代インド人の智慧と信仰は、’自己の内に在るアートマ

と’’という、ゆるぎない信頼の上にたっていたので、

多くの現代人のような、神の像や写真を拝むという

上辺的な信仰とは異なっていた。

 

それでは今日はこのあたりからお話しを進めます。

 

こんにちでは、人々の心の中の自信は、たえず

上下を繰り返しています。

人々の心は不安定で、瞬間ごとに飛び上がって

喜んだり、落ち込んだりするのです。

何か願い事がかなうと、礼拝室の一枚の神様の絵の横に、

さらに10枚増やして飾るでしょう。 

ところが、願いがかなわないと、以前に拝んでいた

一枚の絵さえ、取り除きたくなるといった塩梅です。

 

一枚の絵を神として拝むのは結構ですが、神を一枚

の絵として拝むのはいかがなものでしょう。

こんにち、‘私は神を信じている’と公言する人は沢山います。

しかし、こうした敬神家が、正しい行動をしている

とは限らず、そのため、多くの人達は、

彼らを見て、無神論者になろうとしています。

口ではバクティ(帰依)を言いながら、多くの人々

はブクティ(快楽主義者)に走っているのです。

これは純粋な帰依とは異なります。

 

帰依者はどんなことが起こっても、それを神の

贈り物として喜んで受ける覚悟ができて

いるものです。 

サトウキビを要求するだけで砂糖を得られるでしょうか?

サトウキビを潰して糖液を絞り出さない限り、

それは不可能です。

同様、最高級のダイアモンドでも、それをカットして

磨かない限り、燦然と輝くことはないでしょう。

人間も、同じです。

人間の場合も、試練と苦難、損失と悲嘆を体験して

初めて、その人の真価が輝きだします

真の帰依とは、固い信仰によって支えられ、

どんな境遇に置かれても一定不変です。

そうなってから、初めて人は、本当のバクティ

(帰依、献身)の成果が得るのです。“

 

信仰というのは、特定の神様を儀式的に拝む

ことではなくて、どんな境遇に置かれても

‘自分を磨いて、本当の自分になるための

試練だ’と肯定的に受け止め、その苦難を

乗り越える体験を通して得られる神との

信頼関係’をさすのですね。

さて、サイババ師は、次のようにまとめています。

 

“聖なる愛の体現者として生まれてきた諸君よ!

あなたがたは、身体意識をもっているが、

あなたがたの人生はアートマの自覚に

よって導かれるのです。 

身体感覚知力アートマ の5つの

要素は、あなた方の5つの息

(パンチャ・プラーナ)と考えられるべきです。

この一つ一つの神秘的で微妙な要素を

理解してしまえば、ほかの霊的訓練は

不要になります。

これを理解しなければ、あらゆる種類の

サーダナ(霊的修行)を繰り返しても、

何の役にたつのでしょうか?

だから、まず、心の性質を理解する

ように努めなさい。そのとき初めて、あなた

がたは心を制御できるようになります。

 

あるとき、一人の老夫人が私のところに来て、

自分の心が落ち着かうず、彷徨いだす

ので苦労が絶えないと訴えました。

そこで、私は彼女に、

‘あなたを困らせているその心は、どこに

あるのかね?それを私に見せてごらん。

私が、それを退治してあげよう‘と言ったところ、

婦人は、‘それが、どこにあるか、私には分りません’

と答えました。

それで私はこう言いました。

‘心がどこにあるのかわからないのなら、それが

あなたを悩ますとどうして、言えるのかね?

あなたを悩ませているのは、心なのかな? 

それとも、’あなた’が自分を悩ませているのか? 

どちらかな?‘

 

心について、何も理解していないで、心を

非難するのは、無意味だし、瞑想で

座って解決できると思うのはただの、惰性的

な方法におちいりやすいのです。

普通の瞑想の中では、あなたがたは眼を

つぶって、楽な姿勢で座っているだけです。

瞑想といいながら、あなたがたの心は、床屋や、

クリーニングや次の買い物のことを

思い浮かべているのです。

そのような無駄な実習をおこなうより、社会に

はいって無我の奉仕をした方が 

効果的でもあるでしょう。

 

神は目的なしには何も創造していません。

すべてのものに、目的と意味と、至福と価値

があふれています。

しかし、私たちは、その神秘を理解しようと

試みることすらしません。

 

これから、身体、感覚、心、知性、アートマ の

この5つの性質と役割を、徹底的に

理解できるよう、これからの講義の

テーマとしましょう。“

(以上サイババ師の引用)

 

ということで、次回からは、もう少し深く、

それぞれの5つの、人生の知られざる法則を

知るための要素を、サイババ師は解説いたします。

 

 

 

 

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