インドに着いて10日目
12月15日
インドに着いて10日間たつ。
こちらは程よい気候だ。 寒くもなく暑くもない。
インドの人たちは ”寒くなった”と言い、
毛のショールを 肩からまとって、男性は、
毛糸の帽子をかぶっている。
女性は腹を見せるサリーは寒いと見えて、
パンジャビスーツか、スラックス姿が多い。
面白いエピソードといっても特にないのだが、
デリーのメインの繁華街、東京で言えば、
銀座あたりの、喫茶店に猿の親子が現れて、
客が座っているテーブルに鎮座して、
おもむろに、客の注文した、ドサ(南インド料理)
を食べ始めた光景には、思わずカメラの
シャッターを切った。
喫茶店は、一部、テラスになっていて、その端
にある大木に猿たちが群がり、枝を揺さぶっている。
お洒落な女子大生グループが一つのテーブルに数名、
タバコを吸いながら談笑している。
そこに、やおら、猿が現れて、テーブルに飛び乗った。
彼女たちは 悲鳴をあげて、外国製のたばこの箱を
置いたまま席から離れる。
母猿は子ザルを呼んで、陣取ったテーブルの上に
鎮座している。
女子大生の置き忘れた たばこを取り出したり、
コップの水を飲んだり、そして、砂糖ケースの
蓋を器用に取ると、手を突っ込んで角砂糖を
食べ始める。
もちろん砂糖はテーブル中に散乱。
それを見ていた私はさすがに、テラスで頼んだ
料理を サル親子と数メートルの距離で、食べる
冒険心は持ち合わせていなかった。
店の中にそこで、入った。
そのうち、ボーイさんが、猿がこぼした砂糖を
丁寧にまた、砂糖ケースにしまい、蓋をしめた。
テーブルの水をふき取り、何気ない顔して、
仕事に戻っていった。
女の子たちも、特に文句をいうわけでなく、
ニヤニヤしながら、その光景を見守っていた。
他のお客も、同様。
関心あるようで、無い人もいる。
その猿の親子に見とれている間、自分の料理に
他の猿がいつの間にか近づいてきて、あっと
いう間に、手を伸ばして持っていかれる人もいた。
”アッチャー(やれやれ)” という感じで、不機嫌
になることもなく、席をたった。
そんな塩梅(あんばい)で、色々な人たちの反応
を楽しみながら、インド的なチャイの時間を
過ごした。
先日、自宅にお客様が来られた。
国際機関に働いている日本人の奥様と、
チベット関係のお仕事をしている、チベット人の
旦那様だ。
お二人とも ロミオとジュリエットのような難関
を通り抜けて、結ばれた。
新婚時代は 難民としてインドで生活している
ご主人の家族とともに、過ごされた。
電気や水などのインフラが整備されていない中、
家から遠く離れた水源地へ歩いて行き、
水汲みを毎日余儀なくされたという。
食事の風習や環境の違いに打ち勝って、その
苦労も笑い話にして聞かせてくださった。
ご主人も、チベットという祖国の誇りを捨てず、
インド国の国籍も取らず、難民パスポートの
保有者である。
比較的 一般的日本人の間で、チベット難民の
祖国を奪われた悲しみに対しての理解は薄いように
思う。
ダライ・ラマ師に関しては、世界的にチペット文化
と国際政治へのスポークスマンとして、注目を
浴びてはいるが、チベットの一般的難民が発して
いる声はなかなか届いていないようだ。
奥様はご自分の体験から、影と光の様々な事情、
決してマスコミで取り上げられない状況なども、
語ってくださった。
奥様は、本を出しておられる。*1
もし、チベットに関心のある方は、是非
ご一読されたらいかがかと思う。
*1インドの「闘う」仏教徒たち - 株式会社 風響社 榎本美樹著
マハーラーシュトラ州を中心とする改宗を経た仏教徒──
アイデンティティの模索者
1 改宗を経た仏教徒との出会い
2 マハールと呼ばれた人々──ナーグプル市の仏教徒
3 B・R・アンベードカルの生涯と思想
4 改宗一世代の温度差
5 アンベードカル没後のナーグプル仏教徒
6 社会経済状況、信仰、社会運動、そしてアイデンティティ
7 ナーグプル市における外国仏教団体の活動
8 よそ者の運ぶ風
二 チベット仏教徒──亡国のディアスポラ
1 チベット人との出会い
2 チベット民衆の苦難と闘いの始まり
3 亡命社会の成立と民主主義の導入
4 三権分立の確保
5 予算
6 選挙制度
7 国際社会のチベット支援とNGO活動
8 亡命チベット社会における民主化の課題
三 「よそ者」が関わる意義
1 インドにおける仏教徒連帯の萌芽
2 コネクターとしての国際NGOの役割と可能性
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