”人間について総合的に知ることである”~医学の本命
平成25年4月17日
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”人間・この未知なるもの” の著者 アレクシス・カレルは
ノーベル・生理医学賞を1912年受けた。
組織培養法を発見し,血管縫合術,臓器移植法を
考案して 現代医学の礎を築いた功績がたたえられた。
ところが、氏は、1904年に故国フランスを離れ、
アメリカ・カナダにわたっている。
その一番の大きな理由が、1902年に、巡礼団付き添い医師として,
キリスト教聖地、聖地ルルドを訪問した際、
重症の結核性腹膜炎の少女,マリ・バイイが聖水を浴び,
急速にその症状が回復した事実に遭遇したからだ。
そして、この時の事例を、「ルルドの奇跡」が実在したとして、
リヨンの医学会で発表。
ルルド大聖堂
これが、きっかけとなり、医師仲間からは非科学者とそしられ、
実質的な医療活動が 故国ではできなくなったという背景があった。
それを勇気ある行動ととるか、そうでないかは緒論があるとは思うが、
自己の信念に忠実に従い、良心を曲げることなく、医者として
理想とする姿を自ら本にまとめ、行動に移したということには、
多くの共感を呼んでいるようだ。
この著書は、ベストセラーになり、世界中で読まれている。
「人間-この未知なるもの」 と訳されて 日本で出版されたこの本は,
どんなものであるのか?
カレル博士は、この本の目的は
”人間について総合的に知ることである”,
と「序文」で述べている。
総合的に知る とは、どういうことか?
以前、内田医師の現場からのレポートという形で
実例を挙げながら、有機的生命として、精神と肉体の影響を
深く配慮する医療をブログでご紹介した。
内田医師は、そうした、ご自身の医療方法を、
生命医療 と名付けられている。
大阪大学の名誉教授でおられた市原硬博士は
”新医科学提網”の緒論に 以下のように書かれている。
” 生理とは天然のことである。生体反応のもっとも、巧妙な点は、
心身が一如であり、無数の反応が調節されている点に存する。”
” 医学とは、生命を究明せんとする学問である。
動物には 動物生理学があり、植物には 植物生理学があるべき
であって、人間を動物の一種とみなした場合には、それは、
もはや、医学ではなく、動物学である。
人間生理の究明という最終目標を忘れた、単なる、解剖学や
病理学であるならば、それは、医学でもあっても無意義である・・”
現代の近代医学が高度に専門化してしまい、
全体像をつかむことが難しくなっているとするならば、
そのことを、予見したかのように、カレル博士は、
”総合的に全体像をつかみ 人間の資質を引き出す”
ことの重要性を、この本の中で指摘しているのかもしれない。
そのことに関連する章をあげると、以下に見られるだろう。
第一章、人間とは何か-その多様な資質の未来
要約すれば、人間には素晴らしい資質があるが、
現代はそれをのばすことができない状況にあるということ。
その元凶は、人間が自ら 便利さ、快適さ、利益の追及が進み、
物質文明の発展の目覚ましさとともに、それが侵害する領域、
つまり、精神性の世界への無関心が、アンバランスを
生み出しているというものだ。
たとえば、科学が与えた弊害として,
環境破壊,精神的退廃,退行性病変の増加,肉体の脆弱化
などを博士はあげている。
第二章、「人間の科学」-分析から総合へ」
統合された真の人間の科学の必要性を説く。
統合された、つまり、肉体の精神のみならず、
人間と人間が造りだす環境の統合も含まれている。
第四章 創造する精神
人間の、知的活動,道徳的活動,美的活動,宗教的活動
について語る。
幸福は 精神の調和の中 にあり,精神活動と肉体活動の
関係性についても 触れている。
第五章 人生の密度と「内なる時間」
物理的な時間の価値は,過去と未来で異なること,
「内なる時間」は生理的時間と心理的時間で相違すること、
そのような認識の違いによって、寿命や老齢化も、
各自の生理的、心理的時間によって、変わってくるだろう。
心理的時間というのは、楽しいことをしていれば、
時間は早くたつし、苦痛をがまんしていれば一分が一時間
にも感じられる。
人が、生き生きと創造的人生を送っていれば、時間のたつ、
年を取るという感覚も、そうでない人と比べると、遅くなるだろう。
いつも青春だ~と思っている人にはなかなか、老齢化が
見られないように。
カレル博士は、
”本来、人間は無限の可能性を秘めた、崇高な存在である。”
という信念をもち、
”その可能性を十分引き出さなくてはならない。
そのためには自分と向き合い、自省し、神と対話し、ある程度
ストイックな生活を送る必要がある”
と語る。
無限の可能性を秘めているからこそ、崇高な存在であるからこそ、
肉体と精神の統合された生命体として、総合的な見地を大事にする
医療を提唱したのだろう。
最後に、カレル博士の心情を顕わした詩をご紹介したい。
祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである
それは地球の引力と同じ現実的な力である
医師としての私は多数の人々が、あらゆる他の療法で失敗した後に
祈りという厳粛な努力によって疾病や憂鬱から救われた例を
目撃している (アレクシス・カレル)
この詩の中の最後のフレーズ、
”祈りという厳粛な努力によって、疾病や湯 憂鬱から救われた”
これが、言い換えれば、形而上的癒しの根本であり
”自然治癒力の発露”の源泉でもあり、その究極の可能性が
祈りにあるということを、カレル博士の詩によって、
改めて思い起こす
参考:
1. 人間-この未知なるもの:アレキシス・カレル著,
渡部昇一訳・解説,三笠書房 (1992)
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