自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

不老長寿の草を求めて・・ユートピアとは、古代日本だった  

2023年09月01日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

         2023年9月01日

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前方後円墳 に対する画像結果

 いつかだいぶ前になるがNHKのヒストリア~という

番組で、何故、古墳の形が前方後円墳、手前が四角で

後方がマルの形をしているかという解明をしていた。


同志社大学の元教授が 語っていた:

“古墳はツボの形をしていて、中国では不老長寿の

ユートピアの国をツボの上にたどり、埋葬品と

一緒に埋めたことから、それに由来するのではないか”


日本超古代史、秀真伝(ほつまつたえ) は 古事記や、

日本書紀より古く編纂された~と認める人たちが増え

てきている。


6世紀以後、仏教文化の促進のため、聖徳太子以後、

”秀真伝”は、世から消え、密閉された。


心ある人達によって、それを、後世に伝えるために、

しかるべき処々に、保管されながら、最近、ようやく、

陽の眼をみて、今、多くの研究者たちに、解読読解と

普及が試みられるようになった

 

神道関係者には、宗務庁が、”古事記”を正式な古文書

と認めいる以上、秀真伝え(ほつまつたえ)の内容は、

公にはされていないのが現状である。


”古事記”と比較すると、”秀真伝”は、単なる神話以上

の、現実的かつ、科学的、史実的表現が見られる。


’現実的’というのは、何に関してかといえば、

日本人の現代にも続いている、独自の日本文化的遺産

のルーツが、精神的にも、歳時記的にも、明確に

記されているところだ。


’科学的’というのは、胎児の成長のディテールや、
うるう年を決めたその天文学的背景など、紀元前の、
縄文文化よりさらに古い、天照大神の神代時代に、
すでに、そうしたことが、存在し、秀真文字で、伝承
されていたことを指す。

’史的表現’というのは、天照大神が男神であったことで、
現代の天皇家につながる、その家系が、神代から、
瓊瓊杵尊(ににぎねのみこと)まで、明白化されて
いることである。

さて、今日のテーマである、”古墳”と、”秀真伝”の

関係に戻ると、秀真伝には、古墳を通して、日本人

特有の宇宙観が 垣間見られる箇所をみつけた。


古墳の形を見ると、”秀真伝”に書かれている 宇宙構成の
五元素を象徴しているように感じる。

そこに葬られることは、高貴人の御霊を慰霊すると
ともに、亡くなった御霊が、宇宙に基原し、還るという
意味を表しているような気がするのだ。
(次回に、詳細に触れたいと思う)

14綾に以下の記述がみられる:

 此処に於いて子守神は、御(み)種(たね)紀(ふみ)に

ついての教えを講ずるなり。


「古、天地の未だ分離せざる時、初に一元の気ありて其の

貌(かたち)は円(まどか)にて鶏卵の如きなり。


この気、動きて陰陽に分かれ水に膏(あぶら)の浮く如く、

陽(お)先づ昇りて天となり、陰は後に降りて地(くに)埿(どろ)

を成す。


更に土(はに)・水を分け土(はに)は山(やま)と成り、水は海

と成る。


天の気を空(うつお)と云い、空の動きて風を化(な)し、

風の動きて火(ほ)と化(ば)けるなり。“

・・・・・空・風・火・土・水の五気が交(まじ)わりて

人と成り“

 

ここでは、私たちの世界を形造る、5元素が明らかにされる。 

空、地、水、風、火 である。 


それぞれがどのように誕生したか、上記の記述には書かれて

いる。 

そして、その五元素、五気が合わさって、人間ができた。


”四柱推命”などの占いとともに、こうした考え方は、
中国から伝わってきたとされるが、秀真伝を読むと、
むしろ、日本にすでに、五元素、天地開闢(かいびゃく)
にかかわる、陰陽の定義、などが、秀真時代に、存在
していたことがうかがえる。

”干支”(えと)の解釈も、中国からと言われているが、
実はホツマツタヱには、“干支”という言葉は存在して
いた。

ただし、動物になぞらえての、話とは、やや、異なっては
いたが・・

稲作も大陸文化とされているようだが、イザナギ尊が、
現在の滋賀県で、国改革と、稲作の生産性を高め、
国造りをされた話では、古代日本では、稲の歴史は、
中国から伝わる以前に存在していた。

前方後円墳 に対する画像結果

それでは、先の同志社大学の先生が述べていた、東の国に

ある’不老長寿の国’ は、どこだろうか?


そう、”日本”である。

秀真伝えでは、そのことが明記されている。

それは、不老長寿の国と呼ばれていた理由は、富士山に

生えていた、“千代見草”と呼ばれる不老長寿の草が存在

していたからだと記述がある。


天照大神は、この千代見草を常食とされていて、まさに、
不老不死の薬の名前に、ふさわしい、何十万年の天命を
全うされている。 

さらに、15綾には “支那王~しなきみ~出でて、

千代見草 尋ぬと嘆く”とある。 


どういうことかというと、ここでは、蓁の始皇帝が、

不老長寿の仙薬(千代見草)を 東方海上にあると

聞き、探しにきたが、見つけられず落胆したと

いうのだ。 

 

秀真伝研究家である、姑(はは)須田痲紗子に

よると、

“ 和歌山県新宮市と 熊野市に、それにちなむ

(草を探しに来た)徐福の墓があり、現代の中国

の学者たちの間では、蓬莱島は日本だったという

説を裏付ける。” としている。 

 

さらに、蓁時代をさかのぼる、中国の春秋時代にも、

東方海上にあるといわれる、’神仙’に仙薬を求めに

出向いたということが記されている。


つまり、中国の墓からの出土品の、ツボの形の上に、

仙薬を求めにいくモチーフの彫刻から、このツボを、

無くなった魂が永久にきるための、死者とともに

葬った、不老不死の仙薬を入れるツボであったので

はないかという仮説がある。 

前方後円墳 に対する画像結果


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