自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

私がこのブログで共有したいこと・・・

2012年08月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

誰にでも備わっている自然治癒力を最大限に発揮する種




自然治癒力
という言葉は何も、病を患っている方達のため

の言葉ではない。

健康な人も、健康そうに見えるだけで、実は、病の要因を

数々かかえているかもしれない。

それはストレスであったり、慢性的な偏頭痛であったり、

関節痛やぎっくり腰の習慣化だったり、病気とまでいえない

までも体の不調を自覚したとき、若干の懸念が生まれ

不安にさせる、日常的なものだ。



次に何も肉体的に不調を感じない人も、心に凹凸や、

ハイ・ローの波があったり、イライラしたり、沈んだりする

ブレを感じたことがない人はいないだろう。

心の領域にある、感情とはそういうものだから。

その原因は何か?それらの 共通する要因の一つに

”価値観”
の問題があると思う。



他人の価値観に自分を当てはめようとするとき、

あるいは、当てはめさせられて行動しなければならない

とき。
その価値観は 時には社会的であったりする。

拘束性があれば、逆らえない。 自分の価値観を 脇に

置いて、行動する。



人は、特に日本人は、温和な農耕民族の血が調和と協力を

主体とする社会的価値観を生み出してきた。

人と違うことをすると ”変人” と言われ、時には 

”村八分” という言葉にみられるほど、

排他的に扱われることもあった。



”出る釘は打たれるという言葉のとおり、なるべく 

”言動は慎み”、隣の頭と”並ぶこと”を選んできた。



個人主義、自己主張が必要とされる他国の社会的価値観

とは、そのために、一味ちがったものになっていく。


人の目や自分が相手にどう映っているのかを気にし始めた

とき、それが過剰になると、鬱や無気力を味わうことに

もつながってくる。

誰でも誰かに”認められたい”という意識を持っている。

しかし、人と同じことをしなければ、”認められない”

ならば、自分らしさや個性を押さえていかなければならない。


日本人の 礼儀正しさ、正義感、几帳面さ はインドで15年

も過ごしていた自分にとって、時には窮屈に感じられる

ときもあった。

その美点が窮屈であるというのではなく、その美点を”無意識

に相手や他人にも求める”という、一種の社会的圧力が窮屈

だったのかもしれない。



余談であるが、礼儀というのは所変われば品変わるである。

たとえば ”人の目を見ない”から失礼だする文化と、目上

の人に対しては目をそらして話すことが美徳だとする

文化の違いなどもそうである

つまるところ、人の価値観、社会の常識に、自分を合わせる

ことが苦痛になったとき、心の自由性が奪われたような

気持ちになるものだ。

自由が奪われると、草木が水を吸えない状況にも似て 

萎れてうなだれて、活気がなくなり、死んだような心になる。



こうして、ストレスがたまり、心の抑圧が、大きくなっていく。

この状態は肉体に病がなくても、心の病といえないだろうか?



どうしたら、活力を取り戻せるのだろう?

心のやる気 と 自分への信頼、を取り戻し、最終的には

どのような環境におかれても 
真の自由を味わえる強さを、取り戻すことができるのだろう?

活力も、やる気も、信頼も、真の自由も、 人から与えられ

るのではない。

自分の中から生まれてくるものだ。

それには、ほんとうの自分を知ることだ。

そして、本当の自分を知ると、 本来の自分は、へこたれる

存在でないと わかるから、柳のように、風に自分を

まかすことができる。

そして、自然治癒力 という 本来の生命の力も発揮される

ようになるから、 健全な肉体を保持できる。



だから、自然治癒力は、本来の人間の強い心持を自覚して

こそ、友好的に効果的に働いてくれるものだろう

ところで、鳩と3つの塔の写真をご覧になっていただけた

だろうか?

アートマの間を飛ぶ ~ と説明が書かれていた。

アートマ とは聞きなれない言葉だと思う。

サンスクリット語で、人間の純粋な自然治癒力を発動させる、

大自然の叡智の詰まった、

生命力と、何物も束縛できない、真の自由な心を 意味する。

そして、当協会では 人は 完全な、アートマであり、

それ以外の何物でもない~という 不二一元論 と呼ぶ考え方

を底流としている。


自分がアートマであるなら、その影である肉体(想念エネルギー

が造った現象的物質)も完全であるはずである

肉体が健康であれば、その肉体に宿る精神と心も健全である。

そしてそれが本来の私たちの姿であり、その姿が現れるため

の霧をつきぬけよう。

これが私たちの試みである。

 

 続く・・・

自然治癒力セラピー協会オリジナル:無断転載お断り


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